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転職のあてもなく「ホワイト企業」を退職し、人生初の「二度目ブロック」をした理由【後編】

【前編】では、まだ序の口だったが、後編では本気でなぜ退職したいと考えるに至ったかを書いていく。


(1)「心・技・体」? ここは何をする組織だ?

皆さんは、「心・技・体」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか? 私は相撲や柔道といった武道・格闘技・スポーツの世界での競技を思い浮かべる。

それは2019年のことだった。
入社して約一年。
課題がたくさん見えてきた。
2020年に社長交代だと社の内外の人たちは考えていたし、当事者であるO氏も否定しなかった。

私としても、それによって、いよいよ旧態依然とした体制から抜け出せるのかと期待をしていた。

そんな時期に、経営陣から相談があった。
「2020年は我が社にとっても節目の年となる。何か、世間に大きくアピールする企画はできないものだろうか?」と。

実は、それまでの一年でも、文科省直下の研究所との共同研究締結や大手企業との共同研究などで実績は徐々に出してきていた。
とはいえ、外に存在感をアピールするための体力も体質も気持ちも社内で整っていないことは明白だった。
しかし、節目の年となれば、少しはお祭り意識も高まる。
それをうまく利用して、社内でも「一人一人がお祭りに参画している」という意識を持てるようにすれば、少しは主体的な意識改革ができるのではないか、と考えた。

そのためには、賑わいとなるイベントが欲しい

そこで、以下のことを推進するための会議体をコアメンバーで固めた。

・2020年に新体制を謳うために、経営戦略を見直す
・2020年に行うアイキャッチのためのイベント企画を行う

経営戦略は今後10年を見据えて、新社長が振る「旗」となるべきものだ。
取締役O氏に自分の言葉で語ってもらわないといけない

同様に、そのコンセプトを掲げるに際して、どのようにしたら耳目を集められるのかも考えなければならない。

そこで、私は基本に立ち戻り、SWOT分析を徹底して行うことを勧めた。これはまずコアメンバーの意識合わせをする機会であるとともに、新参の私が、社内の状況を知るチャンスでもあった。

そこで、コアメンバーで会議体をもつことにした。会社のこれまでとこれからを考える会議だった。月に二度、私が東京から大阪に出社して行っていくことが決まった。

最初は私や人事戦略担当者が論点整理をしながら、推進していったのだが・・・どうも、経営陣からは「どうしたいか」「どうなりたいか」というビジョンが出てこない

最初は、単に言語化できないだけなのかと思い、さまざまに質問したりしながら深掘りしようとするが、チグハグな回答しか出てこない。

「私たちは、どのようなことで社会に貢献したいのですか?」
「私たちの会社の価値はどんなところにありますか?」
と尋ねると、「教育は国の基だ」「我々は教育立国・日本に貢献している」という抽象的な表現しか出てこない

「それは、他の会社にも当てはまることでしょう。我々の独自性はないんですか?」

その繰り返し。

しょうがないので、「じゃあ、取締役が重視していることを教えてください。社員・スタッフに強く求めていることです」と、今までと切り口を変えて質問してみた。

そこで出てきた言葉が見出しにある「心・技・体」だ

驚いた。いや、心も大事、技も大事、体も大事だ。だが、そこに具体性がない。たとえば「技」が大事だとして、我々出版社が、いや「我が社」が大事にしている技とは何かが見えてこない

あまりの具体性のなさに、「ピントがズレてますよね」と皮肉を言った覚えがある。

結局、ビジョンを自分の言葉で具体的に書いてきてくれ、それが次回までの課題ね、と言ってその日は解散。

ところが、翌月からO氏は出席しなくなった

これ以降、O氏は出たくない会議には出ないようになっていく。

結局、イベント企画はマーケティングの会議において推進することにした。その方が実務者が揃っているからだ。
読者参画型企画を2本、LPを新規で製作して著名人にコメントをもらうという企画を私が主導で進めることとなった。

これはかなり注目され、「賑わい」ということでも成功したと言える。また成果物として2022年末に書籍も一本出すことができた。

それにしても、「心・技・体」を掲げた本人に、逆風に耐えられるだけの「心」の強さは伴っていなかったことが社内でも明らかになっていき、社員間で「あの人はいざと言う時に逃げる」と言われるようになる。

(2)教育ツール開発ではなく「タピオカ」には予算がでる?

私が社内で求められていたのはR&Dである。

もちろん、営利団体なので基礎研究自体をするのではなく、基礎研究の中から中長期的にビジネスになりそうなものを見つけたり、その可能性があるなら開発をしていくことになる。

入社の際に、オーダーされた業務項目には以下のようなものがあった。
・社内のDXを推進して欲しい
・優秀な著者を集めて欲しい
・10年後に売上の軸となる商材を開発して欲しい
・会社のブランドを向上させて欲しい
・従来の参考書/問題集だけではなく、書店の他の本棚に並べるような教育系の書籍を企画して欲しい

最初のDXについては惨事であったことは前編ですでに述べた。2番目の著者の話も、前編で述べたように「関わらない方がいい」と断っていた状況だった。

問題は、3番目である。今後、売上の柱となる新商材の開発。
ここにこそ、私が入社した意義があるはずだ。

しかし、私個人が開発したとしても、私だっていつ辞めるか、どんな状態になるか(病気になるかもしれない)わからない。だから、「会社として」「組織として」強みを活かしたものを開発したい
そのためには、当然ながら、これまでのコンテンツの「量」と「質」を活かしたものであるべきだ。また、紙の素材についての見識も活かしたい。デジタル教材だけに拘泥することなく、もっと紙の良さも活かしたものはできないか。

新規サービス開発に関わった経験がある方ならわかっていただけると思うが、「こんなの作りたい!」といきなり予算全振りしても、売れなかったら全て失ってしまう。だから、まずPoC(Proof of Concept:概念実証)をする。とりあえず、ラフでもいいから、話題にしたり使ってみたりする具体的なもの(我々は「モック」と言っている)をターゲット層に見せる・渡す。そこから反応を伺うわけだ。

特にシステム開発の際には、機能開発だけではなく、UI/UXを洗練させるのに、誰かに使ってみてもらわないといけない場面が出てくる。

さて、問題は、そのモックをつくるための予算だ。

直属の上司であり決済権のあるO氏に予算の話をしてみた。

「ウチの研究所にはどれくらいの予算がついているんですか?」
「ないよ」
「え?どうやって開発するんですか?」
「言ってくれたら、出す」
「どれくらい? 予算の大体の規模感によって、できることも違ってくるから」
「数十万円でも、場合によっては数億円でも出すよ。ただし、絶対に儲かって回収できるなら。」

いや、絶対に利益出せることがわかっているなら、俺個人で既にやっとるわ

その可能性を探るためのPoC実施にいくら出せるか、という相談をしているんだが・・・

そこで、改めて「この会社であなたは何を実現したいのか?」「どんなサービスであれば、我が社の経営戦略と合致すると考えているのか?」「そもそも、どんな教育サービスが社会で求められていると考えているのか?」「顧客は誰か?」を尋ねた。

すると、「まず稼がないと社員に給料が払えない。まずは儲けることをしようよ」と。

そこで、次のような皮肉を言ってみた。

儲かることがわかっているなら、「タピオカ」でも売りますか?

返答は「やろうか!」。即答だった

ウチは教育出版社ですよね? タピオカを売りたきゃ勝手に売ってろ
要は、教育にも出版に対しても「愛」がないことがわかっていった。

結局、最後まで予算がつかなかった。いろいろな経緯から、動画編集や撮影などの業務もせざるを得ない状況になったが、ハイスペックPCを買ってくれるわけもなさそうだし、カメラも「iPhoneを使えば?」という感じだったので、自腹で揃えた。周囲には「趣味です」と言って。まあ、カメラなどもチャチなものなら買ってくれるが、それだと使い物にならない。

家族経営のメリットの一つに、株主に忖度しすぎて刹那的な利益ばかり求める組織にならずに済むということがある。それを期待していたが、その機能は全く働いていない

(3)株価よりも、目の前の利益

少し目線を変えてみたい。
ブランドの向上の部分である。

現在、サイトなどで書かれている「我が社の取り組み」の派手な部分の大半は私がほぼ個人的に関わっていたもので、退職した時点で「誰もできないこと」になってしまっている。

・文科省直下の公的研究機関との共同研究プロジェクト
・VRをつかった実証実験(大学・企業など複数の事例あり)
・AI技術を使った学習ツールの提供・・・前職で設計したものを持ち込んだ
・教員向け/一般顧客向けのオンラインセミナーの実施・・・私自身がプロデュースするとともに講師としても複数回登壇
・大学などでの出張授業
・広報企画の多くは私の発案(社内では斬新で効果的なものは出てこない。POPくらい。)

正直に言うと、他社さんからは「大金星ですね!」と言われるようなコラボや共同研究を行ってきた。これが上場企業であれば、株価が上がるはずだ。

そう。気づいてしまった。
・・・ここの会社、非上場で、家族経営だった・・・

つまり、どんなに派手で将来性がある取り組みを対外的にアピールしても、経営陣が他社さんから「すごいですね」と言われて「喜ぶ」以外の価値が創出できないことに途中で気づいてしまった。(入る前に気づけよ、という話だが。)

そう。ブランディングが直接的な「売上」につながった場合にのみ、経営陣は反応する。それ以外の中長期的なブランディング、つまり、株価が上がり、資金調達がしやすくなり、それを元手にして研究開発したものが数年後にリリースされ、それによって後から利益が生み出される・・・というシナリオは最初から考えられていない。

結論。そんな会社に新規事業部や研究所など要らない。

そうなると、私のような存在は、不要になる。それどころか、疎まれるようになっていった。
また、他の部署でも自らの頭で考えて、意見具申をする社員は閑職に回されることとなっていた。

(4)思考停止したゾンビが幸せになれる職場

もう一度、整理しよう。
この会社は私に言わせれば、給料をもらうための仕事をする職場としては、かなり「ホワイト」だった。

いきなり「ペットショップでパワハラされる」などということもない。(このネタは私が以前に所属していた会社で実際にあった話。いずれ小説風に書いてみたい。)

9時にみんなタイムカードを押し、古びたPCで仕事をして、あまり話をすることもなく、皆、淡々と17時まで仕事をする。17時になったら、さっと帰る人が大半。

忙しい部署の人は終電で帰る毎日のようだが、残業代はたっぷり出る。休日出勤の場合には、社長がどら焼きなどの差し入れもしてくれる。金曜日の夕方に、休日出勤人数を各部の部長が社長に報告するらしい。

まあ、そんな残業や休日出勤の常態化をなんとかしようとしない思考回路自体が問題だと個人的に思うのだが、そのどら焼きを喜んでいるスタッフもいるみたいだ。

よっぽどのことがないと、叱責されることもない。
だから、普通に毎日を繰り返して、定時で帰宅し、子供とプロ野球中継を見て晩酌をする。時々腹が立つことがあっても、上司の悪口を行って鬱憤ばらしをすればいい。翌日になって、その上司に大阪風の軽口を叩いておけば、仲良く飲みにも行ける。
そんな職場だ。

給与面は完全なる年功序列と入社歴で算出される。

先日、中途採用で入社してきた若手が、「どんなことを頑張れば給与面の評価が上がるんでしょうか?」と入社時に人事担当者に尋ねたらしい。

「あ、ウチの会社、そんな会社ちゃうから」

と笑われた、とのこと。その瞬間にモチベーションが下がったらしい。

別の新卒採用の若手は、友達(かなり優秀な大学出身者なので)は一流企業で研修などを通じて成長しているようだが、「ウチの会社って本当に研修とかないですよね」と時々不安になると言っていた。つまり、市場価値が上がるような成長をさせてもらっているのか、育てられている・鍛えられているという実感がない、ということだった。

「編集部に入ったら、自分で本を企画したいんです!」とキラキラしていた子が一年で下を向きながら、無表情で仕事をしている。
企画会議自体がないので、企画書を作る機会自体が存在しない。

それでも、待遇は良い。書籍が売れてしまっているからだ。

でも、教育関連企業が社員を教育することなく、また、自らの「知恵を絞る」機会を用意できていない。スタッフの持っている能力を最大限まで引き出す仕掛けができていない

そうやって、社員のゾンビ化が進む。全く、活気というものと無縁だった。

(5)業務の非民主化が商材を陳腐化させる

問題なのは、スタッフだけではない。

ゾンビが生み出した商材自体が陳腐で、あまり価値があるものではない場合が多い

先ほど話題にした2020年の社内改革のための会議での話だ。
私から、業務フロー見直しの提案書を出したことがある。それは、業務の民主化を目指したものだった。

一方的で会議なしの「トップダウン」の業務体制を変えたかった。

・誰もが企画や提案を出せる
・決済は社員がいる前で会議で行われるべき
・決定事項は速やかに社内SNS(Slack)を通じて行われるべき

簡単に言うと、こんな感じのことだ。

これによって、経営陣の「意向」をプロデューサー・ディレクターが拾いながら、「自分たちがそれを受け入れ、受け入れた限りは自分たちの業務として主体的に行う」姿勢が生まれてくることを望んだものだった。

ところが、O氏がその提案書を見て言ったのが、「このやり方はウチの会社に合わない」という一言だった。

理由を尋ねると、「出版社っていうのは、社長を筆頭とした僕ら経営陣が作りたい本を作るために存在している。スタッフはそれを実現するために業務をすればいいから、そういう会議は不要」ということだった。

そういう体制だから、当然ながら、
・同じような企画や書籍に偏る
・二番煎じの商材ばかり
・実際の著者や編集者の制作コンセプトを無視した表紙や書籍名がつく
・同様に、コンセプト無視の宣伝文句や書籍説明がなされる

ということが起こる。

しかも、困ったことに、学習参考書メーカーなので、自分たちを教育のプロだとなぜか自認していて、全く教育のトレンドにも学術的な領域にも不案内なので、ドン引きな書籍タイトルをつけたりしているが、気にしていない

私が何度か、パンフレットや書籍自体の説明や案内文がおかしいと指摘したことがあった。「岡田さんが細かすぎるんだよ」と言うが、顧客の中には非常に知的で教養の高い方もおられる。その方だったらすぐに気づくレベルの間違いだったりする。つまり、顧客を低く見ている。「書店に置いておけば売れる」と思っている節があった。

本音を言うと、こんな品質の低い本を買っている保護者や教員にも責任はある。
「あの出版社なら安心」と思い込んでいて、よく選ばずに買っている。
また、そもそも出版社すら、中身すら見ずに買っている人が大部分のような気がする。

そういう市場に甘えている会社なのだ。

ある時に、あまりにも原稿のクオリティが低いものが入稿されたのを発見して、「こんなのはちゃんと著者・プロダクションに作り直してもらうべきだ」と提案したことがあった。

ところが、印刷所に回す日程の方を優先して、そのクオリティには経営陣は目を瞑った。

その時に、「そういうクオリティコントロール(品質管理)も含めて、マネジメントなのではないのか?」と言うと、「あれは、著者に丸投げだから、しょうがない」という返答をO氏がした。

「経営陣が、自社ブランドで出す商材に対して、「丸投げ」などという表現を使っている時点で、終わっているな」と言ったが、返答はなかった。

日本がなぜ国際競争力を持たなくなったか、って?

利益や効率化ばかり考えて、品質管理の意識や、それを主体的に気づいたり提案したりするスタッフを育ててこなかったからじゃないか、と個人的には思っている。

要は、経営陣に忖度することばかりで、顧客に価値を提供するという姿勢をスタッフが持たないし、それを経営陣も求めていないし、購買者も品質よりも値段をまず先に見てしまうようになっている社会の雰囲気が問題なのだと思う。

そのことが気になりだしてから、私自身、この会社で働いていることが恥ずかしくなったのだ。私はゾンビにはなりたくなかった

(6)私が退職を決めた理由2


以上、前編と重なるところがあったが、これが社内にウンザリした経緯である。

それでも、すぐに辞めることはなかった。
・経営陣も徐々にわかってくれるかもしれない
・周囲のスタッフもわかってくれるかもしれない
・社外から評価があがれば、みんなの意識も変わるかもしれない

など、淡い期待を抱いていた。

O氏の弟の取締役には個人的には期待していたということもあった。一度、彼に「(お兄さんのO氏ではなく)あなたが社長になる可能性はないの?」と尋ねたことがあった。

ある時、O氏が定例会議を連絡なしで欠席したことがあった。その会議は事前に議題もSlack上で公開していた。その日、私はO氏にその議題に基づいた相談もあったのだ。

ところが、O氏は現れない。そのことを誰も気にしていない。しばらく経って、O氏の不在の理由を周囲に尋ねると皆顔を見合わせて「知らない」と言う。

流石に、全員を叱責した。O氏の弟の取締役に対してもだ。

・定例会なのだから、急な来客や体調不良などの不可抗力を除けば出席するのは当然だ
・決済者が不在で何が決まるのか
・そもそも欠席なら連絡するのが礼儀だ

ということだ。そして出席者に対しても「自分たちの存在、この会議の存在を軽んじられているのに、そこに対して何も疑問に思わなかったのか?」と問うた

O氏の弟は謝罪してきた。その点は誠実さがあった。でもO氏は言い訳のみ。その後、会議にも出てくる頻度は下がった。私も何も言う気がなくなった。

そんな時、前職の同僚が大阪に出張に来るというので、会って話すことになった。
その時に、コロナ禍であっても大きなプロジェクトを進行していること、ビジネスをどのように拡大するか、海外にまでどうやって市場をつくるか、考えていることを聞かせてもらった。

衝撃だった。

この4年、そんな情熱を持つこと自体を忘れていて、一社内のことにしか目を向けてこなかった。視点・視野・視座のどれをとっても退化している自分に気づいてしまった。

自分が自分らしく、自分の精一杯を出して何かを生み出すことを忘れていた。
自分はゾンビになっていないつもりで、やっぱりゾンビ的な生き方しかできないようになっていたのだった。

そのことに気づいてから、辞める時期を決めた。
クライアントに迷惑をなるべくかけない時期であり、かつ、なるべく早目にいなくなりたい。それが2月末だった。

引き継ぎなどもあるとおもったので、規定よりも1ヶ月半前に退職の意向を伝えた。

ところが、退職の意思を伝えた後、引き継ぎや事務手続きなど具体的な事項については「連絡する」と返答があったが、その後、1ヶ月の放置された。こちらがリマインドすると「本当に辞めるの?」と言い出す始末。その他、連絡はまったく来ない。
ウンザリしながら、退職の準備を進めていった。

結局、「終わってるな」と言った時点から約10ヶ月、O氏は上司であり私をヘッドハントしておきながら、全く連絡もよこさずじまいだった。

最終出社日も、人事担当者にSlackで「〜〜さんに『お疲れ様でした』と伝えておいて」と連絡をしてきただけで、会議にも、会社にも顔を出さなかった。

改めて、FacebookなどのSNSでは、O氏をブロックした。

今、しばらく経ってみて、辞めてよかったと思っている。

問題は、残っている同僚たちから、私の抜けた穴を埋めるのが必死だということで悲鳴が届く。しかし、こればかりは、どうしようもない。私の人生は私自身のものだから。

現在、私はフリーターである。しばらくは、自分の心と向き合いながら、次の一歩を踏み出すための充電をしている。
日本は、本当にやりたいことがある人を応援する社会ではないな、とちょっと個人的には思うようになった。これは別の機会に書いてみたい。

(7)最後に:ブロックは二度目?

ここまで、長文を読んでいただき、ありがとうございます。まあ、愚痴ですので、「そんな会社、本当にあるんだ」とか「ホワイトという基準だけで会社選びしてはいけないのかな」と客観的に感じてもらえたらと思います。

ここまで読んでいて、タイトルにある「二度目のブロック」が存在しないのではないかと思った方もおられるでしょう。そうです。(6)でのブロックが実は二度目だったのです。

ある人のSNSでブロックすることはよくあることかもしれませんが、それが二度目というのはそうそうあるものではないと思います。

実は一度目は、数年前に、Z社に最初に誘われた時でした。

その時、私は大阪にある会社の本社で働いていましたが、突拍子も無い業務と社内政治に巻き込まれて、「辞めざるを得ない状況」になりました。ある年の12月のことでした。(これを仮に「ワンチャン事件」と呼称します。そのうち、小説っぽく書いてみたいと思います。)

そんな時、O氏が声をかけてくれました。私はすぐにでも転職したい旨を伝えました。
ところが急な話なので、社内調整が必要ということで、一旦「3月末退社、4月入社」ということで、口約束ですが、それで決まりとなりました。

ところが、そうやっているウチに、いくつかの企業(いずれも東京)から声がかかりました。でも、Z社に入社が決まっているということで丁寧にお断りしていました。また自分の市場価値を知りたいということもあり、O氏にはちゃんと報告して「Z社に行くつもりだが、他の会社からの話も聞く」ことを了承してもらいました。

その中で、熱心に声をかけてくれた方がいました。大手通信会社の子会社の社長でした。新しく教育部門の会社を立ち上げたのでJoinして欲しいと。ほぼ毎日、メールが届きました。
それでも、Z社に行くことを約束している旨を答えていたのですが・・・肝心のZ社から3月になっても4月になっても返答がありません。

そこで、O氏には「ゴールデンウィーク中には内定書をいただきたい。退職時期は6月半ばにするから」という連絡をします。

すると、
・「ちょっと社内調整が手間取っている」
・「9月には入社してもらうので、それまでノンビリと旅行とか行けばいいのではないか?」
という返答が。

実際、この時点で4ヶ月が経過していたのと、「そんな旅行に行く経済的余裕があれば、こんなに焦っていないよ!」という腹立たしさもあり、「他からは早々に内定がきているので、ギリギリ待ったとして5月中である」ということを伝えた。

さて、実際には・・・5月も終わってしまった。退職届は出してしまっているので、6月中旬で退職は決まっている。

悩んだ結果、住み慣れた大阪を離れて、東京に行く決意をする。

二週間で家も決め、引っ越しもしなければならない。
その結論をO氏に伝えた。

すると、泣きながら電話があった。
「僕と一緒に仕事するというのは嘘だったんですか?」と。

散々のリマインドをしたにも関わらず、なぜ、心は離れないと思ったのだろうか・・・

その日、私はO氏をブロックした。一回目だ。

その後、紆余曲折あり、仕事上で再会することになる。その際、「あの時の申し訳なさは一生消えない。後悔している。だから、もう一度、友人として付き合って欲しい」と言われ、ブロックを解除したのだった。

・・・それから数年。三つ子の魂百まで、という言葉の重さを感じている。

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