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能動的で文化的な生活

皆さん、こんばんは。7月ももう今日で終わりですね。気がついたら梅雨も終わり、ただただ熱せられる日々です。これだったら雨が降ってる方がマシじゃないかと思えてくるくらいには、厳しいものがあります。

こうも暑くなってくると、体力をそこで消耗してしまってどうにも計画通りに人生が進まない。今月こそは前進してやる!という気持ちも蒸発。惰性でカレンダーをめくることに嫌気が差してきます。

文化的な営みと言うと高尚に聞こえすぎてしまいますが、まあ簡単に言うと趣味ですよ、趣味。人生に奥行きを与えてくれるこの営みがどうしても後回しになってしまう。起きて、仕事して、食べて、寝る。それだけ。くだらない。

なんとか、何とかそれから脱しようとしても体力が無い。こういう時の趣味って結構受動的なものに偏ってしまうんですよ、仕方の無いことですが。

例えば映画です。もちろん作品を咀嚼して解釈していくプロセスには能動的な働きが必要ですよ、それはそうなんですが、映画自体は受動的な営みですよね。流れてくる情報を見て、聞いて。長時間拘束されるので、体力を使っているように思えますが、実際何も自分から働きかけなくても動いてくれますから。その点では、受動的と言える。

それに対して読書はかなり能動的な営みに思えます。作者との情報伝達の手段が文字だけですから、自分から働きかけないと掴めないんですよ。言い換えると映画は体験できますが、読書はそうはいかない。文章を通じて脳内で再現しなければいけない。落とし込まなければ。

そのためここ最近は本当に、本が読めませんでした。読みたい気持ちはある、と信じていましたがその気持ちも溶けていたような気もします。お茶を濁すように映画を観て、芸術世界と自分とを繋ぎ止めていた日々でしたね。

ただ少しづつ風向きが変わってきました。こういうのはふとしたきっかけでガラッと気持ちが変わるもんです。今回のきっかけは日帰り旅行でした。

城崎温泉

こないだの土曜日に、城崎温泉に行ってきたんです。開湯1300年の歴史があるこの温泉街は、文学のまちとしても知られています。その代表的な作家としてよく挙げられるのが『城の崎にて』を著した志賀直哉です。

とんでもないくらい余談なんですが、私は志賀直哉と誕生日が同じなんです。それだけで謎に縁を感じていたんですが、本自体は全く読んだことがありませんでした。

オシャレな空間
コウノトリのデザイン
照明も本

そんな中で今回短編喫茶Unというお店に入りました。そこは前述した志賀直哉の『城の崎にて』を初めとする、短編小説の蔵書数世界一を目指しているブックカフェだったんです。

オシャレな店内、そして短編小説を集めるという斬新なコンセプト。とても惹かれましたね。
読書から離れていた自分にとって、短編小説というのはひとつの最適な解決策に感じられた、というのもあります。短い文章を読むところから自分のリズムを取り戻していくことができるはずだと。

コンパクト

そこのお店で『城の崎にて』を購入しました。そして早速、読んでみましたよ。実直に、ありのままに自然に起きていることや自分の感じたことを表現するその文章力は、たしかに小説の神様と呼ばれているだけあるなと思いました。

ただ、どうしても理解ができない一文がありました。

で、またそれが今来たらどうかと思ってみて、なおかつ、あまり変わらない自分であろうと思うと「あるがまま」で、 気分で希うところが、そう実際にすぐは影響しないものに相違ない、しかも両方が本当で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それはしかたのないことだ。

志賀直哉『城の崎にて』

前後の文脈で判断する必要があるのは、わかります。ただ、本当に分かりにくい。小説の神様に見放された感覚になりました。

ネットで様々な解釈、解説を見たり、人と話し合ったりしましたが未だにモヤモヤしています。
ただ、この文章に対して解釈しようと努力しているうちに、自分の中での読書欲が再燃してきたんです。

わかる事がカタルシスになり、それによって成長を実感する。人間これだけじゃないなと思いました。わからない事がもっと先に進みたいという気持ちを成長させてくれることも、あるんですよね。

だから私はこれからも様々な作品を読んでいきたいと思います。そして色んな物語や批評、評論エッセイでもなんでも良いんですが、そこを旅することで自分自身も前に進んでいける気がします。
そしてまた、この城崎に戻ってきてこの文章と戦うことにしたいです。

今モヤモヤしながらわかった気になって中途半端な満足は、したくない。虚構の自信で塗り固めた外面に意味なんてないですから。とにかく自分で納得出来る自分になるためには、まだまだ険しい道のりが続いているようです。

日々、しなければならない事を当たり前にこなしていく。そのうえで、能動的に文化的な生活を追求していく必要性を改めて感じました。受動的なだけでは、ちと厳しい。読書だけではありませんが、とにかく自分に働きかけていけるような生活を来月は行っていきたいです。いや、やります。

まだまだ暑い夏は続きますが、みなさん緩く頑張りましょう。ではまた。

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