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「インドを旅してしあわせに服をつくった話」を小説に書いています

 ただいま電子書籍本に掲載する短編小説に挑戦中です。題材は「インドを旅してしあわせに服をつくった話」です。そもそもわたしは文芸を学ぶ(大人の)大学生という身分であり、ただでさえ小説を書くことに苦労しているというのに、どうしてこんなことになったのでしょうか。

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それは、こういうことがあったからです。小説を書けないと悩む → 娘に励まされる → とにかくなんでもいいから書こうと頑張ってみる → 電子書籍本の編集者である秋さんに、短編小説を書いてみないかとお声をかけていただいた。という流れです。

いつもだいたい流れに身をまかせて生きています。そのほうが思いもよらなかった面白いところに漂着するから。しかもインドですからね、いったいどこへ辿り着くでしょうね。行き先のわからない旅ってワクワクします。

そもそもなんでインドの話だったかというと、編集者の秋さんからのアドバイスです。このnoteに注目してくださいました。実際のこの旅をノヴェライズする方法はどうですか?という提案を、具体例とともにしてくださったのです。

ちょっと意外でした。この記事はまだnoteを始めて1週間ほどしかたっていない頃に書いたもので、文章もかなり適当だし、スキも多くない。スキしてくれたのもほとんどが非ユーザーであることから、おそらくFacebookからの身内のスキでしょう。正直、えっ、これですか? って思いました。自分の体験の特別さや、面白さって、案外ひとに言われないと気がつかないものなのかもしれません。

たしかにインドはわたしのキャッチコピー「旅をして服をつくる」の始まりの場所ですし、大好きな旅のことをノヴェライズするのは楽しそうだなって思いました。

ニューデリー → ジャイプール → カルカッタ(現:コルカタ)と旅をして服を作りました。会社員としての仕事で行ったので、ほとんど現地メーカーと工場とホテルの往復でしたけど、それでも道中やあいまの時間にときめきと刺激がいっぱいありました。

車に乗っていて牛と目があったこと、放し飼い孔雀のいるホテルの庭でヨガマザーとヨガをしたこと、ヨガマザーが教えてくれたこと、全ての食べ物が自動的にカレーなので体がカレー風味になったこと、チャイを飲みながら服と生地に埋もれて、ただひたすら仕事をしたこと…。

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こんなこともありました。カルカッタからニューデリーに向かう飛行機の出発を遅らせてしまったり、マザーテレサハウスで少しだけ子どもたちの新学期のお手伝いをしたこともありました。ああ、それに、市場にサリーを買いに行くだけなのに強面のボディガードがついていたことも! 信じられます? ボディガードですよ。(ホイットニー・ヒューストンのあの名曲を思い浮かべてください)わたしの人生のなかで、あれが最初で最後のボディガード体験です。

その時に市場で買ったサリーは日本で着るチャンスはありませんでしたが、いつかのリメイクコンテストでドレスになりましたし、男性用の白いパンジャビ・スーツは、白がドレスコードのホワイトディナーでアーティスト仲間のTさん(男性)に貸し出すことができました。それがもうぴったりで。人生何がどこでどう役立つかわからないものです。

とても思い入れのある仕事だったので、当時の日記やメモもかなり残っていて、記憶を辿りながら小説としてどう書こうか、創作の部分も含めてワクワクと進めています。まだ思いつくエピソードを書き留めてプロットを考えている段階ですが、かなり楽しいです。エピソードにまつわるインドのブロックプリントや更紗のことなど、書こうと思ったらちゃんと調べないといけないですし、そうするとかなり広がっていきそうなので、おいおいnoteで連載にしてみるのもいいのかなと思っています。(これも秋さんのアドバイスです)

過去の資料の中にホテルの書類や旅程表もありました。文章を書くのにだいぶ参考になります。物持ちの良い自分を褒めてあげたい。今はこんなご時世だし、「ご旅程表」っていう字を見るだけでもうときめいています。これも旅の禁断症状なのでしょうか。

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…でも、ひとつ、とっても気になることが。

秋さん、これじゃいくらなんでもハードル上げすぎじゃない?

しかも「文章が若い」って、そんなの自分じゃぜったいわからないよね。




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だれにたのまれたわけでもないのに、日本各地の布をめぐる研究の旅をしています。 いただいたサポートは、旅先のごはんやおやつ代にしてエッセイに書きます!