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まさか息子に大学のレポートの書き方を教わる日がくるなんて

まさかこんな日が来るなんて。現役大学生の息子にレポートを助けてもらった。

わたしは息子が大学生の芸大生だ。2021年春に通信制の大学の文芸コースに編入学し、最短2年での卒業を目指している。(毎日くじけそうになりながら)

卒業論文としての小説には着手しており、卒業研究も進行しているのだが、「卒業論文着手条件」を満たすにはテキストレポート科目の単位が全然足りておらず、毎日「やっぱり無理かも」「せっかく学問の楽しさがわかり始めたところなのに2年で卒業するのは逆にもったいないのでは?」「いやできるだけがんばろう」と、日々葛藤しながら勉強しているところだ。

レポートに苦戦

しかしわたしは単位を取るためのレポートに苦戦している。

わたしは文芸コースだが、芸術学部共通科目の中には、美術史や芸術批評などのいわゆる「学問系」の科目もある。

しかし大学に入る前は、それらの科目も特に問題はないだろうとタカをくくっていたのだ。なぜならわたしは、短大だけど最初の学生の時も芸術系だったし、西洋美術史も、アートを学ぶ上で必要不可欠な世界史も旧約聖書と新約聖書も、それなりに学んできたつもりだった。

そして、社会に出てからもアートやデザインに触れる仕事をしてきたわけだし、今の副業先だっていちおうアートとファッション関係だ。

というわけですっかり甘く見ていた。

よくよく考えてみればわたしは、アートとファッションに「学問」として関わってきたわけではなかった。ましてや論文なんて書いたことも読んだこともなかった。

アートに限らず「学問」は、あくまでも他者と共有可能なものとして存在するものであり、レポートや論文では、自分の想いや個人の経験などはいったん棚上げをして、共有可能な事実だけを述べなくてはならない。

わたしには、これがうまくできないのだ。どうしても自分の思いが先行してしまう。

わたしのレポートがダメなわけ

もちろん、自分の感情を表現できる「創作系」の課題では自分の思いを述べることが長所としてはたらく。文芸コースの創作系課題である「小説」や「エッセイ」だったら、悩みながらも楽しんで取り組むことができる。

しかし「論ぜよ」「述べよ」「考察せよ」「要約せよ」これができない。

今までできないながらもなんとかだましだましやってきたのだが、しばらく経つとまた悪いクセが出てきて、ついつい自分の気持ちを述べてしまったり、設問からずれて「自分の好きなこと」「自分の書きやすいこと」ばかりを書いてしまったりする。

評価が返ってくるたびに自分でも解決策がよく分からなくなってきて、すっかり「レポート迷子」に陥ってしまったのだ。

レポートを息子に見てもらった

そこで、設問とわたしが書いたレポートの書き出しを、現役大学生である息子に見てもらうことにした。今わたしが取り組んでいるのは西洋美術史に関わるレポートだ。「世界史」や「倫理政経」にかかわる部分でもあり、大学一年生の息子にとっては、そのあたりもまだかろうじて受験の記憶が残っているはずだ。

息子:「ふんふん、なるほどね。要約か」

わたし:「そう。要約って抜き書きじゃあかんやんな」

息子:「要約は抜き書きはあかんやろ。設問見せて」

息子:(設問と、テキストをパラパラめくって)「ほら、俺やったらここをまず見るで。テキスト全部読まんでもだいたいこのあたりに書いてあるやん。問題を読んで予測すんねん」

わたし:「ほほう!」

目からウロコだった。わたしはやみくもに何度も何度もテキストや本の本文を読んでいたのだ。(←本を読むのだけは早いということをムダに過信する行為)

息子:「それにアンダーライン引くならここちゃう?」

わたし:「ええっ、そこなん? 何でそんなに一瞬でわかんの」

息子:「オレ文章読むの遅いし、重要なポイント見つけるのだけはムダに早くなってんねん」

なるほどね〜。短所をおぎなう戦略か。長所を過信するわたしとは正反対だ。

そして実際に、「ここをこういう風に書こうと思ってる」という出だしを見てもらった。

息子:「…これじゃ設問にぜんぶ答えてないやん」

わたし:「うわっ、わたしがレポートの評価でいちばんもらう言葉! たしかに自分が書きやすいところだけを書こうとしてた」

息子:「設問にちゃんと答えとったら、点数は低くても少なくとも合格はできるで。オレは文章書くの苦手やけど、軸をずらさんようにだけしたらいい点はとれんくても合格点は取れる

わたし:「うわっ。文章かくの好きやから自分がいっぱい書きやすいことを無理やりこじつけて書いてた。悪いクセだわ…」

そう、わたしがレポートの評価でよくもらうことばが、「問題に答えていない」ということ。あかんやん。つい、自分の書きたいこと、書きやすいことを書いてしまって失敗するのだ。

息子のアドバイスどおりに書き直す

というわけで息子の助言の通りにレポートを書き直してみた。大まかなたたき台を息子に見てもらったら、「いいんちゃう」ということだった。おお〜、なんか少しわかってきた気がする。

息子:「オレ受験で要約めちゃくちゃやったからなあ。このあたりも世界史や倫理政経でやってまだ覚えてるわ。結果的には英語だけの成績で外国語大学に入ったけどな」

わたし:「もしかして要約と世界史やったのって、将来大学に入るわたしのために…」

息子:「イヤちゃうし!」

ですよね〜。


息子にレポート迷子から救い出してもらう日がくるなんて

そんなわけで、何となくモヤモヤ〜としていた「レポート迷子」から、完全に抜け出したわけではないけれども、出口の方向に誘導してもらった感じ。今後は少なくとも「設問にちゃんと答える」ということはちゃんと意識したい。(あたりまえだ)

それにしても、息子にレポートを助けてもらう日がくるとはね。

赤ちゃんだったのにぃ…。


それはそうと、大人になってくると、求められたことにシンプルに答えるということが、できなくなっているんだなあと反省した。ついつい、余計なことをしすぎたり、自分の得意な方に力技で持っていってしまう。いけないいけない。学問には素直さが必要なんだ。心しよう。

しかし学生仲間が息子だというのは心強い。

「子どもが大学に入ったらついでに親も大学に入る」

これ、かなりいいと思う。

おすすめです。


現役大学生のレポートアドバイスまとめ


○問題文をよく読む

○設問を読んでポイントを予測しながらテキストを読む

○目次・まえがき・序文・まとめで全体像をつかむ

○設問にちゃんと答える

○設問の軸をブラさないようにしたら合格点は取れる

○書きやすいこと、好きなこと、書きたいことを書こうとしない

○自分の気持ちを書かない

○学問には素直に学び、素直に答える姿勢が大切


どれもものすごくあたりまえのことで、今さらという感じだが、でもこれが意外と、できなかったりするのだ。

でもわたし、今ごろそんなこと言ってて間に合うのかな…。






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