知的体力をきたえると長生きできる? 李禹煥と安藤忠雄の対話より
ことしはたくさん学んで知的体力をきたえようと思う。どうやらそのほうが長生きできるらしいよ。
知的体力をきたえると長生きできる?
これは建築家の安藤忠雄氏が、現代美術家の李禹煥氏との対談でおっしゃっていたことなのでまちがいないと思う。おふたりともとてもお元気で若々しい。いや、もはや若々しいを通り越して「これからもっと面白いことになるんちゃうか」という好奇心いっぱいの少年たち、といった印象を受けた。
その若々しさのひけつが、「知的体力」をきたえることなのだと安藤氏はいう。
一般的に、「現代美術はわからない」と言われる。これについて安藤氏は、「わかるかわからんか言われたらわからんのですよ」とばっさり。(え、そうなんだ)
しかし、わからないなりに心の中で見て、感じ、考えようとする。その「自分で考える」という行為そのものが大切なのだそう。
自分で感じて、自分で考えることで知的体力がきたえられる。そのために美術館があり、美術作品があるのだとも。
これはずいぶん大人になってから通信制大学で学び、博物館学芸員資格の習得を目指しているわたしにとって、とても心強い言葉だった。学ぶことはとても楽しいが、どこか心のなかに「この歳になってから学芸員資格を目指すなんて、やっぱり遅すぎたんじゃないだろうか」という気持ちもある。
でも美術館に行って知的体力をきたえていると若々しくいられるのであれば、課題のために美術館に行けば行くほどどんどん若返ってきて、なんかそのうちちょうどいいくらいになるんじゃないだろうかと思えてきた。(なんとじぶんに都合のいい解釈)
なので今年も引き続きガンガン美術館に行ってアートと博物館学を学び、知的体力をきたえておおいに若返ってやろうと思う。
李禹煥(Lee Ufan)展 兵庫県立美術館
さて、2023年2月12日まで兵庫県立美術館で開催中の、李禹煥展。
李禹煥は世界的に活躍する現代美術家である。
今回の李禹煥展は、日本での大規模な回顧展である。「もの派」にいたる前の初期作品から、彫刻の概念を変えた〈関係項〉シリーズ、絵画などの代表作が一堂に会する見応えのある展覧会だった。
安藤忠雄建築 兵庫県立美術館
展覧会の会場となった兵庫県立美術館は、安藤忠雄の代表的な建築物だ。
美術館のすぐそばには海がある。その立地や建物の構造が美術館としてはどうなんだろう? という意見があったことも知っているし、実際そのような指摘を含めた博物館関係の本を読んだこともある。でも開館から20年が経過して、この建物はすでに地域にしっくりとなじんで愛されているし、海に向かった大階段は(夏はめちゃくちゃ暑いけど)スカッとして気持ちがいいし、わたし個人としては「やっぱり何回行ってもかっこいい建物だよなあ」と思う。
わたしがとくに好きなのは、特別展の展示室に向かう四角い階段の部屋だ。ここは映画「CUBE」を思い出していつもゾクゾクする。展示を見る直前の高揚感とあいまってとても劇的な印象を与える空間だ。「うわ〜ここに閉じ込められたらどうしよう、ああでもカッコいい」みたいな。
安藤忠雄の建築って、「ドーン」と立ちはだかる壁とか、スコーンという抜けとか、階段がドドン、展示室を抜けてからの海バーン、そして長い廊下がザァァーって感じで独特の圧倒感があって、「かっこいいけどこわい」みたいな気持ちをザワザワと呼び覚ますような建築物だと思う。
それって「圧倒的な自然へ対峙したときの気持ち」に近い感情のような気がする。ズドーンと海から立ち上がった黒い玄武岩の海岸とか、意味わからん大岩とか、洞窟の狭い通路を抜けたあとの天井の高い空間とか、やたらでかい滝とか、そういうのに遭遇してしまったときの感情。
そのような「もの」に対峙したときの心の動きを「緊張感」という言葉を使って、おふたりがなんども語られていたのが印象的だった。
ものとものの関係から生まれる「緊張感」
李禹煥の作品で特徴的なものとして、石や鉄、ガラスなど異素材のものを組み合わせた彫刻作品が多くある。
ものとものがぶつかるときに生じるもの、関係項。石が置かれたガラスはヒビが入ったり、割れてしまったりする。
〈関係項〉シリーズでは他に鉄板や木材が壁に立てかけられていたり、今にもズレ落ちそうになっているものもある。石や鉄、異素材のものを組み合わせることによってそこに「緊張感」が生まれるのだと李禹煥はいう。
これを「つくらないものに対する呼びかけとしてつくるものがある」という李禹煥。
観客はそれを見てさまざまなことを感じ、考え、その余白に意味を見出そうとする。そのものたちが語りかけてくるものを心の目でみようとしてみる。
たとえばこの《関係項ー星の影》という作品。離れて置かれた石と石の間には、電球の明かりが灯っている。タイトルからしてこれは「星」であると想像する。石たちの間に描かれているのは薄く黒い影のシルエット。この描線はうっすらと重なり合っている。しかしこの明るい星がつくりだす影は、皮肉にもまったく別々の方向に伸び、決して重なることはない。石たちは星が出ている限り影ですらも寄り添い合うことができない。
この作品をロマンチックな悲恋の物語だとも読み取ることもできるし、皮肉な風刺だとも読み取れる。わたしはロミオとジュリエットのような「悲恋」をイメージした。もうこの作品だけで、シェイクスピアのような悲劇の恋愛物語が生まれてきそう。うっとり。
ほかの人にはまた別の物語が生まれているかもしれない。見る人の数だけ物語が生まれる、とても素敵な作品だと思った。
ものともの、ひととひとが関わって生まれるもの
屋外にあったこれも李禹煥の作品だ。
安藤忠雄の建築とコラボしたような作品。螺旋階段にステンレスと糸を設置し、劇的な空間と物語が生まれている。
垂らされた糸は蜘蛛の糸のようでもあり、置かれたステンレスの鏡は別の世界への入り口のようでもある。
この作品には、安藤氏も思わずうなったそうだ。知的体力をきたえあげた人たち同士が緊張感を持ってぶつかり、またその相乗効果でものすごい作品が生まれる。直島の李禹煥美術館にあるまっすぐに空を突き刺すポールの作品も、安藤建築があったからこそ完成した作品なのだそうだ。そんなことが芸術家同士でバンバン起こっていたら、面白くてたまらないだろうなあと思う。
ひとりでものを作るのも楽しいけど、だれかといっしょに何かを作って、自分でも見たことのなかったすごい景色を見ることができるのは、何ものにも代えがたい喜びがあるのだ。
「緊張感」が自分を成長させる
たとえばわたしの「ドレスを作る」という仕事だったら、ウェディングの撮影もそうだし、結婚式もひとりではできない仕事だ。ヘアメイク、カメラマン、フローリスト、会場装飾、スタッフなどそれぞれがぶつかることで緊張感が生まれ、それぞれのプロフェッショナルな能力が発揮される。
そうすることで自分ひとりではたどり着けなかった場所に行けて、思いもよらなかった素晴らしい景色を見ることができたりする。
これはほかの仕事でもそうなんじゃないかと思う。音楽でも、イベントでも、本でも、映画でも、なんでも。
2022年は、ドレスのリメイクの仕事が多くて、どちらかというとひとりで黙々とやるような仕事が多かった。それも大好きなんだけど、みんなでそれぞれの能力を出し合って研ぎ澄ませていく仕事も、めちゃくちゃ楽しいのだ。
2023年は、もくもくとやる作業は引き続きやるとして、みんなでつくるような仕事にももっともっと積極的に関わっていきたいと思った。
そのためにも学びを深め、知的体力をもっともっときたえようと思う。いつ声をかけてもらっても対応できるように。
「こんな仕事できる?」と言われたときに、「やったことないけど、できるよ」と言えるフッ軽な自分でいたいと思う。できるって言ったあとで、影でめちゃくちゃ調べて勉強するんだな。そしてこっそり特訓もする。でもじつはそんなときがいちばん成長できるし、能力を発揮しやすい。それくらいの緊張感があったほうが、いい仕事ができるような気がする。やっぱりキーワードは「緊張感」だ。
今年学びたいこと
美術・芸術・とくに近現代アート
学芸員資格のための博物館学(ミュージアムスタディ)
明治・大正・昭和期のファッション・服飾文化
日本各地の繊維製品・繊維産業(いとへんの旅)
近代以降の日本の歴史(日本史は苦手分野だったけど繊維産業が藩政をベースに栄えたことから日本史を学ぶ必要が出てきた)
文学・文芸
一見ばらばらに見える興味対象だけど、わたしの中では一本につながっている。それをまとめる軸は、やはり「衣装」だ。
学びたいことがたくさんある、めちゃくちゃ知的体力をきたえられそうだ。来年の今ごろはものすごく若返っているかもよ。
(あ、そうそう、この展覧会、若い人がめちゃくちゃ多かったんだけどもしかしてそれはすでに若返ったあとだったとか? なんてね)
李禹煥氏と安藤忠雄氏の対話、作品についてもっと知りたいという方へ
「学び」がテーマの「みんなの自習室」というメンバーシップをやっている。
こちらのメンバーシップの限定記事として、李禹煥氏と安藤忠雄氏の対談のほぼ全文、李氏の作品を公開中だ。メンバーシップ限定記事ではあるが、有料記事として単品でも購読可能なのでよろしければ。
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