4年分の日記を見かえしてみたら文字どおり「自分」が大きくなっていた。
4年前からつけている日記を読み返してみたら、字が大きくなっていた。
ところで、だれかの日記を読むのは楽しいものだ。文芸誌で作家の日記特集が人気だというのもうなずける。noteでみんなの日記を読みにいくのも好きだし、自分の日記を見かえすのもまあまあおもしろい。
わたしはこんなアホなことを考えてたのかとクスッとなったり、あきれるほど壮大な夢を語っていたり、すっかり忘れていることもあったりしてけっこう楽しめる。
今回、4年間の日記をみかえしてみたら、はっきりと変化していることがあった。
それは、
あきらかに字が大きくなっているのだ。
そう、哀しいけど、それはまちがいなく急激な老眼の進行によるものだと考えられる。せつない。
ちなみに日記をつけ始めた2018年の日記がこちら。内容はぼやかしているけど、字の細かさとみっちり感は感じていただけると思う。
そして現在(2022年)↓
おわかりいただけただろうか、あきらかに字も行間もゆったりとしてきている。つまり老眼は着実に進行している。まあ40代後半なので年相応ではあるのだが、4年間でここまでわかりやすく変化するとは。
いったいわたしは、いつくらいから字が大きくなってきたんだろう。そのターニングポイントみたいなものはあったのだろうか。そこで2018年からの日記を見かえして調べてみることにした。
まず、現在の日記と過去の日記に共通して書かれている単語を探し、その大きさをはかってみようと思った。
そして、過去の日記といまの日記に「自分」という共通の言葉があることを見つけた。そういえば「自分」という言葉はわたしの日記によく出てくる。(どんだけ自分好きやねん)
なので「自分」の大きさをはかってみる。比喩的な意味ではなく、文字どおりに自分の大きさをはかってみたのだ。定規で。
すると2022年8月現在の「自分」は約1.0センチであることがわかった。でかい。
「自分」をはかってみる
では、2018年から順に振り返ってみよう。
ちなみに日記に使用しているノートは無印良品の「ダブルリングノート 無地 A5/ベージュ」である。定番で入手しやすく、表紙に好きなものを貼ってコラージュできるのが気に入っている。
①2018・9〜2019・8 イギリス旅とその助走
1冊目。そもそも日記をはじめたきっかけは、旅だった。しかも、旅の準備日記だ。このころ息子をイギリスに連れていくための貯金をはじめたので、「旅の助走日記」としてその旅の1年前から日記をスタートさせた。(助走ながっ!)
○字の大きさ
ではこのころの「自分」はというと、
なんと、約0.5センチ!ちっちゃ!
まさか自分で書いた字を老眼鏡で見る日がくるとは。人生って残酷だ。
○この日記のハイライト
リバプールでサッカー観戦(息子のみ)
この日記では、2018年に貯金ゼロからコツコツ節約と貯金をし、目標金額に達するまでの日々が克明に描かれている。ちなみにわたしは個人でウェディングドレス制作の仕事をしている。このころはそのほかにも、ドレスサロンでの接客や結婚式場のアテンド、アパレルの店舗販売などを兼務してめちゃくちゃ働いていた。学びも多かったが、16連勤はさすがに無茶してた。でも明確な目標があるというのはすごい。無茶な目標だと思っていても、○○すると決めた。と書いていることはだいたい実現している。過去の自分に学ぶべきことは多い。
この日記は、その準備段階からそのままイギリスの旅の日記に続いていて、自分で読んでいてもしみじみしてしまう。人って本気出したらすごいな。
○表紙みひらきコラージュ
息子をイギリスに連れて行った理由はこちら▼
②2019・9〜2020・7 コロナで何もかも失う
自分の書いた4年間の日記のなかで、唯一コラージュをしていないものだ。
イギリスの旅から帰ってきてますます「やっぱり旅はいいなあ、旅をしながら仕事をしたいものだなあ」と思うようになった。そして次の旅の助走のために日記を続け、「旅」のことを書くためにnoteもはじめた。ところがそうこうしているうちに、コロナ禍にどっぷり突入してしまった。
わたしはなにもかも失った。旅に出ることはおろか、ウェディングドレスの仕事も、大好きだったアトリエも、仲間と好きな仕事をする時間も。おまけに階段から落ちて指を骨折した。最悪だ。
何もかも失ったわたしは、だったら小説を書こうと決めたようだ。そこから「小説」に行くという発想の飛躍がよくわからないが、とにかくそう決めたらしい。「映画の衣装がやりたいけど、こういう衣装がやりたいっていうのがあるから、自分で原作書いたら早くね?」と思ったらしい。ビーフステーキを食べるために牛の餌となる牧草を育てるところから始めるくらいの遠回り感。
○字の大きさ
そんな大きな野望を抱いているわりには「自分」は小さく、0.7センチである。
○表紙みひらきコラージュ
③2020・7〜2021・1 noteで再起できた
何もかも失ったわたしだが、よかったこともあった。コロナで失ったアトリエのことを書いたnoteの記事が注目され、フォロワーが増えたのだ。はじめてのサポートもいただいた。すごくうれしかった。noteを書くことが大きな支えとなってくれ、自分らしい新しいやり方でまた人生を旅をする方法を見つけようと思うことができた。noteで再起できたのだ。感謝しかない。そしてこのころから、ちゃんと小説を書くことを学びたくて、大学へ行くことを考えはじめている。
○字の大きさ
「自分の得意なことで、好きなことで、あの場所にいこう。」と書いている 「自分」の字の大きさは、約0・6センチ
○表紙みひらきコラージュ
④2021.1〜5 大学入学、そして腫瘍がみつかる
このころ、大学生になった。その数日後、健康診断で腫瘍が見つかった。そこから日記は3ヶ月間、精密検査一色の内容になる。そりゃそうだ。ほかのことはなかなか考えられない。
もちろんいまのわたしはその結果を知っている。結果は良性の腫瘍だった。(現在も経過観察中)ところがこの日記を書いていたころのわたしは未来をしらない。だからものすごい不安のなかにいた。不安のなかで、勉強をすることと、ドレスをつくることがわたしを救ってくれた。
○この日記のハイライト
○字の大きさ
そんな大切なことに気がついた「自分」は約0.75センチ。少し大きくなった。
○表紙みひらきコラージュ
⑤2021・5〜9 大学生活をエンジョイ?
検査結果がわかってからは、ますます勉学とドレスづくりに日々猛進している。制作時間と勉強時間の捻出に頭を悩ませたり、レポートに追われていたり、ワクチンの副作用による発熱で朦朧としながら鬼のように課題小説を書いたりしている。
○字の大きさ
そして稲盛和夫氏のありがたいお言葉を書きとめている。このときの「自分」の大きさは0.8センチ。またしても成長。
○表紙みひらきコラージュ
⑥2021・9〜12 小説とドレスの日々
ひたすら小説と学問とドレスの制作に邁進する日々である。
まさにその通りだと思い、北大路魯山人のありがたい名言を書きとめているのだが、「魯山人」が漢字で書けなかったようだ。「ろさんじん」ってちょっとありがたみが…。
○字の大きさ
「自分の好きな道で修行できるくらいありがたいことはない」ほんまそれ。「ろさんじん」の言葉に深く共感した「自分」は0・9センチ、またしても成長。
○表紙みひらきコラージュ
⑦2021・12〜2022・2 冬眠デイズ
冬は苦手だ。願わくば冬眠したいと毎年考えている。しかし、このころのわたしは卒業論文着手条件を得るためにひたすら勉強している。日記も、授業やセミナーで学んだことなどのメモが多い。まじめか。
しかしとうとう濃厚接触者になってしまい、その自宅待機の日々も書かれている。だがわたしはそれをいいことにひたすら勉強してどうにか卒論要件の単位をゲットした。逆にいえば濃厚接触者にならならければ単位は取れなかったと思う。さすが転んでもタダでは起きない女。
○字の大きさ
転んでもへこたれない「自分」の大きさは0.9センチ。
○表紙みひらきコラージュ
休憩 自分さがしも休み休みに
過去の日記を積み上げながら必死に「自分」を探しているわたしに、夫が話しかけてきた。
夫「なにしてんの?」
わたし「なにって、じぶん探し」
夫「はあ? またなに始めようとしとんねん」
わたし「いや、そういうスピリチュアルなやつじゃなくて、ほんとに『自分』を探して、定規ではかってるねん」
そしてわたしは、「自分」という字を探して、そのサイズをはかるという企画の趣旨を説明。
夫「文字どおりの自分さがしってことか」
わたし「そう、その自分さがしに疲れてきてん」
自分さがしは疲れる。精神的なのも、文字どおりのも。
⑧2022・2〜4 ドレス、ドレス、ドレス
繁忙期がやってきて、ひたすらドレスづくりの日々。
○字の大きさ
ずっと探していた言葉が、自分が持っていた『人を着るということ Mind That Clothes the Body』(小野原教子、晃洋書房、二〇二〇年)という本のなかにあり、「求めていているものは身近にあるのだ」ということに気づいたときの自分の大きさは0・95センチ。ちなみに「自分さがしは疲れる」と教えてくれたのも小野原先生だ。じゃあどうすればいいかというと、「服を着ればいいのだ」。そしてそれをつくるのがわたしの仕事だ。
○表紙みひらきコラージュ
絶対観にいかなきゃ! と、忘れないようにと日記に貼った映画「オートクチュール」のチラシ。しかし、オーダー(いわばオートクチュール)のドレスをつくるのが忙しくて観に行けなかったという皮肉。でもそれでこそ我が人生だ。大変だけどありがたい。
⑨2022・4〜7 ドレス、ドレス、学問
ひたすらドレスづくり。このころ、ドレスにかかわる旅をするようになる。東京、軽井沢…。「旅をしてドレスをつくる なんてしあわせなんだろう」というわたしの
キャッチコピーの復活だ。ここまで長かった。また旅ができるようになってうれしい。
○字の大きさ
「私はあれこれやりすぎなんだと思うけど、このがんばりがもう少し先の私を救ってくれることもあるはずだと思う。(中略)自分にできることをしたい」
と言っている自分の大きさは0・95センチ。
○表紙みひらきコラージュ
そしてこの日記の最後のほうで、わたしはとうとうコロナにかかってしまう。
⑩2020.7〜 コロナからの復活、そしていま
とうとうコロナにかかってしまった。今だから言えるけど、「軽症」のなかでもわたしはけっこう大変なほうだったと思う。熱は三日間続いたし、熱が下がってから胃腸にきたのがかなりキツかった。
やっと熱もおさまり、noteのメンバーシップやnoteのセミナーにも参加できるようになった。そのnoteの「おもしろい記事のつくる方程式」セミナーで、「そういえば継続していることからネタを考える」というヒントがあって、そういえばわたしが継続していることって日記くらいだよなあ、というとこからこの「自分さがし」ははじまったのだ。
○字の大きさ
その「自分」の大きさは、1・0センチ!
大きくなった!
○表紙みひらきコラージュ
まとめ 4年間の日記で自分をはかってみた結果
4年間の「自分」をはかってみた結果、0.5→ 0.7→ 0.6→ 0.75→ 0・8→0・9→ 0・9→ 0.95→ 0・95→ 1.0 と、行きつ戻りつしながらも確実に「自分」が大きくなっていることがわかる。
なにか「自分」が大きくなるターニングポイントがあったのかどうかこの4年間を振り返ると、コロナ、アトリエを失う、仕事がゼロになる、骨折、腫瘍が見つかる、ワクチン副作用で課題提出、レポート不合格、濃厚接触者で自宅待機、仕事ゼロからの急激な多忙、コロナ罹患…。と、えげつないほど波乱万丈だ。だが、困難に直面するたびに「自分」は大きくなっているではないか!(老眼でな)
0・5センチから1センチ、じつに2倍になっている!
4年間の日記をふりかえってみると、さまざまな困難と運命に翻弄されながらも、そのたびに大きくなってきた「自分」の姿があった。そう、文字どおりに。
あ、ひとつ計測し忘れていた。この「自分」だ。
はかってみた。なんと1.1センチであった。
自分さがしを終えた「自分」は最大値を記録していた。つまり、自分さがしは「自分」を最も成長させる。
じっさいにはかってみたのだから、まちがいない。
だれにたのまれたわけでもないのに、日本各地の布をめぐる研究の旅をしています。 いただいたサポートは、旅先のごはんやおやつ代にしてエッセイに書きます!