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生い立ちと道のり

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田舎の少年が、ひょんな事からバンド活動にはまり、メジャーデビューしちゃった話 そんな道のりについての、うんたらかんたら
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バランス

バランス

再びドラムを叩きはじめたまでが、前回の話

イベントやってるうちに、出会った女の子が何となくインパクトあって、バンドやってみようかな、と思って、メンバー集めた
若い子達を

なんちゃってオーガナイザー的な感じで作ったのがbibiってバンドでした

TSVでもやったし、渋谷のcrawlってLIVEハウスが気に入ってくれてそこで何回かやりました
皆の勉強もかねて、レコーディングとかもしたり
この時はプ

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T.S.Vはじめたよ

T.S.Vはじめたよ

音楽活動停止というか辞めた、までが前回の話

というわけで
最後のツアーを終えて、次の日からは仕事三昧

昼も夜も、それこそ働ける時間は惜しむ間もなく働いた

辞めた後も、ちょこちょこ声かけられたりしたりもしたが、それも雑音とばかりに、バッサリ連絡も切った
もーとにかく、中途半端はよくない!と

2年くらいかかったかな
おかげさまで、借金もほぼなくなり
ようやく、普通に暮らせるようになった
普通に

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需要・供給は大切

需要・供給は大切

事務所抜けて自分らで、いちからやり始めたまでが前回の話

さてHUSHは、その活動スタイルからも、応援してくださる方が結構いて、当時まだ媒体といえば雑誌の時代でしたが、色んな音楽雑誌にも取り扱っていただき
アマチュアというよりは今でいう立派なインディーズみたいな感じでした
とはいえ、事務所もなければ、バイトもしてたし音楽だけで生計もたててなかったので、アマチュアです

さすがに長年音楽活動もしてい

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ロックバンドはLIVEだね!

ロックバンドはLIVEだね!

なんか順風満帆ぽいのに、バンド抜けちゃって再び振り出しに戻る決断をしたまでが前回までの話

辞めると決まってから
結構心配してくれる人や応援してくれる人も多かった
まぁ割と性格は理解してくれてる方が周りの所謂業界人の方やLIVE HOUSE界隈の方にも多かったので、ほんと関係性は何も変わらずって感じで過ごしてました

そんな中、ちょうど同じ時期に手があいた元ALL I NEEDの章人と何かやりまし

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野音やったったぜ!

野音やったったぜ!

初のホールワンマンがソールドアウトになったまでが前回の話

もうとにかく、野音でやりたくて
野音でやるために頑張った
とにかくツアーして、各地ソールドアウトになるよう頑張った

ツアーやりたいから、シングルを何回か出して

出したらツアー、みたいな

んで、スライド出したタイミングのツアーにてツアーファイナルに日比谷野外音楽堂を!

ソールドしたよー

ありがとー!!

とまぁ、そんな感じで、願い

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May Day

May Day

新しい事務所に入って初の音源を出したまでが、前回

タイトルと本文は関係ありません
今日が5/1だったので、所謂お約束ってやつです

ちなみにMay Dayはオリジナル(Puppet Show)とCUT ver.(CUTの時撮り直した)とリマスタ版(Puppet Showのリマスタリングver)がありますが、今聴くと、リマスタ版が個人的には一番好きです

ってか、Premium Bestって音いい

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橋を渡ると家賃がさがる(笑)

橋を渡ると家賃がさがる(笑)

事務所浪人から解除され、ようやくミュージシャンらしい生活に辿り着いたまでが前回の話

新しい事務所が決まって、程なくして送迎の関係やら風水の関係?やらで、246沿線に引越しを命じられ、それぞれが家を探し、私は小岩から梶ヶ谷へ
東京に出て約6年、わずか2年ばかりの03生活を終えたのでございました、、、

初めての神奈川・川崎とはいえ、渋谷から田園都市線で一本、20分で着く便利さ
たいそう便利で、地下

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そして未来は開かれた

そして未来は開かれた

全く想像すらしない逆境から、歴史に残る音源を完成させたまでが前回の話
歴史に残るとかって自分で言うなって感じですが(笑)
でも、ほんと「これはやってやりましたよ、皆さん」と思ったアルバムでしたよ、ほんとに
今聴いても、十二分ではないかしらね、と思う次第

Puppet Showのレコーディングは、ほぼ合宿だったわけですが、下山後は六本木のスタジオでやってました

んで、先行の「絶望の丘」をシングル

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逆鏡ゆえの逞しさ

逆鏡ゆえの逞しさ

念願のメジャーデビューしたのに
ツアーから帰ってきたら事務所がなくなったのが前回までの話

今となっては
その後、順風満帆に進んだから、笑い話のように書いてますが
当時は、まぁ正直かなりきつかった(笑)

え!?そんなんある??
って感じだった

でもまぁ
それはそれで、そうなると色々助けてくれる方々もいらっしゃるわけで
とにかくLIVE HOUSE界隈の方々には非常によくしていただきました

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紆余曲折

紆余曲折

Plastic Treeに入るまでが前回の話

プラに入ったものの、私は八王子に住んでたので、千葉組とは遠距離恋愛

リハは営業後のGIOでやらせてくれたので、バイト終わって八王子から市川まで移動して、リハ
そしてシアンミュージック(当時のプラの事務所)の事務所で朝まで待ち、というか寝て、始発で戻りバイト
みたいな日々

とはいえ、リハスタ代もかからず、しかもLIVE HOUSEで音作りしながら、

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出会いと別れ

出会いと別れ

インディーズバンドが自主制作でCDを作って雑誌に出稿したりしたのが前回までの話

時は、ちょっとばかし遡り
GIOに出るようになって、しばらく経った頃、知り合いから、「あなたこれ好きでしょ」と聴かされたのが、Plastic Treeの「奇妙な果実」
1曲目のサイコガーデンを聴いて
「ほへー、こんなグランジなバンドがビジュアル系にいるんだ!?」と、これはこれは結構な衝撃を受ける

そんな頃、これまた

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自主制作でCD出しました!

自主制作でCD出しました!

なんとなく、ツアーなんかもやっちゃうようになりましたよ
ってのが、前回までの話

(時系列がおかしかったので、2024/03/25に内容修正しました)

特に音源もなく遠征してたんですが
なんとなくお客さんも入るようになり
メンバーから自ずと「音源作ろうか!」と声も出るようになり

そんな訳で、当時よくLIVEやってた池袋サイバーでレコーディングができる、ということになり、素直にお願いしました

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憧れのツアーですよ!

憧れのツアーですよ!

田舎から上京し、とにかく精力的にバンドがやりたくて、結果ビジュアル系バンドに片足突っ込むまでの話が前回まで

BLADE入ってから、ほどなくZELIACORTに改名(というか、戻った?)
BLADEに入ってから、これまでとは違うLIVEハウスに出るようになり(サイバーとかGIOとか)、LIVEも月に何本かやるようになった
当時は、LIVE後当たり前のように打ち上げがあったので、対バンさんとも知り合

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旅立ち

旅立ち

家を追い出され始めた一人暮らし
苦労もあったけど、とても有意義な時間でした
そんな中、都会から来るバンドとご一緒させて頂いてるうちに
「あかん、俺もこのままじゃ」と思い立ち、四国脱出を心に誓う

そして選択は、東京orアメリカ

とりあえず、この地を離れる事を決めた私が次に取った行動は

ここまでの流れは↓

家を出て一人で暮らしているとはいえ、勝手に土地を離れるのはダメだろうと、実家に向かう

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