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10年待ってやっとバイリンガル育児開始

母国語習得を最重要視のバイリンガル育児方針

日本帰国の流れとなり、10年以上を経て、ようやく日中ハーフの子どもに対する2か国語教育が開始しました。

子どもは1歳の誕生日の直後から14年間中国で生活してきて、昼間、主に世話をしてきたのも義父母だったため、日本国籍であれど完全に中国語ネイティブです。

私が中国へ渡ったのはその3年後、子どもはすでに4歳。それで日本語など話せるようになるわけがない。私との会話も基本的に中国語で行われてきました。

ハーフの子どもであれば、普通に望むことは

「どっちの言語もネイティブレベルに!」

ですよね。

以前はそう望んでいましたが、あまりにもそういう流れにはなりそうもなく、抗ってもツライだけでした。当時は

・妻が、家から遠くの日本人学校に義父母を送迎にやることに難色を示す
・北京の日本人学校は日本語不可の学生を受け入れていない
・児童向け課外授業(塾)に通わせるにもそもそも時間がない

という状況だったため、「これは運命」と受け入れることにして、早々に諦めて方針を変えました。

どういう方針にしたかというと、

「2か国語ともネイティブレベルではなく、とにかく中国語を母語として徹底的に深く身に着けてもらう」

「身に着ける言語の順番は、中国語→英語→日本語。この順番でいい」

というものです。

なので、日本語の児童向け課外授業ではなく、”語文”(中国人にとっての国語、主に作文・硬筆)の授業に通わせることにしました。

2か国語とも発音に関してはネイティブレベルという人は結構多いし、私の周りにもたくさんそうした人はいますが、思考の広さ・深さ・奥ゆかしさのいずれも2か国語ともネイティブレベルというのは必要な努力量が半端ではなく、自然には成しえないものです。一部の天才を除いて、環境だけで自然にそうなれるものではない。

今でも、この判断でよかったと改めて感じます。
このように判断した理由は以下の通りです。

  1. これからは思考を深められる人が有利。

  2. 世界で活躍するには日本語より中国語の方が有利

  3. 言語は自分の興味と意思で学ぶ方が楽しく学べてよい

このひとつひとつの理由。

これからは思考を深められる人が有利

物事の方向として、技術はより高度に精密に発展していき、思考・思想はより広まりながら深まっていくものです。

これからは個人がコンテンツを発信していく時代。ブログもそうだし、YouTubeもインスタもそう。

そのコンテンツをつくるために思考する。そしてその思考には言語を使います。どんな思考でも言語化されていないものは、現実化していくことが出来ません。

思考の現実化とは、すなわち何かしらのアウトプットのこと。思考はアウトプットされなければ形にならない。何かしら形になることでようやく他の人にとっての認識を可能にします。

これが、自分に限らず社会や人を動かす第一歩になる可能性、物事の流れや循環が生まれる可能性につながっていきます。

ゆえにやはり母国語の表現力がしっかりしていることが、これからは極めて重要。(といいながら私の表現力も大したことないのだけど。勉強はしているけど時間かかりますね、やっぱり)

今はまだ、2か国語ともネイティブの発音というものが憧れられるかもしれませんが、このことはさほど重要ではない時代がそう遠くない時期に到来するはずです。

AIによる機械翻訳も物凄いスピードで進化していますしね。


世界で活躍するには日本語より中国語の方が有利

ここ数十年で世界的に中国の存在感・影響力が増しているのは言わずともおわかりのはず。それだけでなく、話者自体も世界に約13億人いる。

それに対して、日本には将来を考えた場合、あまりいい予測がない。人口が減っていくのは確定事項だし。

加えて日本円の価値は下がり続けているし、会社勤めしていても給料も増えづらい。基本的に防戦一方。

日本国籍だから日本語を話せるようになるべき、というのは、あくまで理想主義的な考え方、情緒重視でしかない考え方。現実を考慮すると、日々の生活を通して自然に学べるならまだしも、そこに大きなエネルギーを注ぎ込むメリットがあまり感じられませんでした。

言語は自分の興味と意思で学ぶ方が楽しく学べてよい

私自身が親から「やりなさーい!」と言われても、興味の湧かないことは頑なに拒否し続ける子どもでした。

親が知人が弾いている姿に感銘を受けて我々姉弟にピアノを習わせたときも、当時は物凄くイヤで仕方なかったので、「吐いてまで嫌がる」とか「大ケガしてまで拒否」っていましたし。

性格的に、そんな私の遺伝をかなり受け継いでいるように見受けられるため、義務教育的に「無理矢理やらせてみてもお金のムダになるな、こりゃ…」とやはり早々に諦めることに。

その代わりに、自分の興味ある分野に関しては人一倍ヲタク魂を発揮していく性質でもあるため、自分の興味と意思で自主的に勉強するようになるのを待ちましょう、と決めました。

それから10年、今では日本のアニメが大好きなのも手伝って、毎日楽しそうに日本語を勉強しています。

10年待った甲斐があったのかな?


親の姿勢として

かなり難しい選択ではありましたが、現状を見る限りでは、やはり当時の私の選択は間違いではなかったと言える途中経過。

とはいえ、実際に日本での生活をはじめてみたら色々出てくることでしょう。それはそのときにまた考えればいいことですし、本人が自分で考えて乗り切ってくれることを期待しています。

私の子育てポリシーは
●運命・宿命には抗わない
●他人の俗な意見やアドバイスには耳を傾けない
●常に複数の選択肢の中から自分の意志で選んでもらう
●説教の類は、今はわかってもらえなくても、大きくなってから思い出してもらえれば十分だし、思い出してもらえるように話す。

というものですが、このうち3つを子どもの言語に関しては適用していました。

もし流れに逆らっていれば、私はとても孤立した立場になっていたでしょうし、他人の俗な意見に耳を傾けていたら自分のことをダメ親と思うようになっていたかもしれません。無理矢理勉強させていたら、逆に子どもは日本語嫌いになっていた可能性もあります。

子育てに正解はないので、私のこの方針が絶対とはいいません。

ただ、私にはこれがふさわしい、と思っています。


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