認知症の義父が、僕の味噌汁を「美味い」と飲み始めた話
北京での12年の半分はひとりで生活をしていたものの、最後の半年は妻子どもと暮らすことにした。彼女たちと一緒にいるともれなく義父母もついてくるのだけど、最後の半年くらいは、と受け入れている。
家賃ももったいないし、次はいつ親子3人が同じ屋根の下で暮らせるようになるのかわからない。もしかしたらこれが最後になるのかもしれないし、子どもにとっていい想い出になってくれればいい、という想いもあり、最後は同居することに。
北京に来て最初の1年弱の間も義父母と同居はしていたものの、あまり