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認知症の義父が、僕の味噌汁を「美味い」と飲み始めた話

北京での12年の半分はひとりで生活をしていたものの、最後の半年は妻子どもと暮らすことにした。彼女たちと一緒にいるともれなく義父母もついてくるのだけど、最後の半年くらいは、と受け入れている。

家賃ももったいないし、次はいつ親子3人が同じ屋根の下で暮らせるようになるのかわからない。もしかしたらこれが最後になるのかもしれないし、子どもにとっていい想い出になってくれればいい、という想いもあり、最後は同居することに。

北京に来て最初の1年弱の間も義父母と同居はしていたものの、あまりにも価値観の異なる人たちがいるところは僕にとっては心身を休められる場所ではなかった。以降「ここは家じゃない」と、家を出てひとりで暮らしてきた。

終わりになって、再びはじまりに戻ったような感覚。

僕が中国で生活するようになった理由は、妻がさらっていったまま会えなくなった我が子の成長を身近なところで見届けたかったのと、消耗戦でしかなかった日本生活から一度距離を置くため。

このように、”なんだかなぁ~”で始まった中国での生活を、やはり”なんだかなぁ~”という終わりで締めくくろうとしているのは単なる偶然ではないだろう。

その義父母だが、義父が3年ほど前から認知症を患いはじめた。日に日に悪化している。僕が妻子どものいる家に戻ったのが昨年末なので、今日でまだ2か月と少ししか経過していないものの、この2か月間だけでも明らかに悪化している。

もう自分の配偶者や娘、孫のことをかなり忘れていて、みんなを”友だち”と思っている。

にもかかわらず不思議なことに、僕のことは覚えているままだ。

とはいえ、好意的だから覚えていてくれているのとは真逆で、”警戒心”ゆえに憶えてもらえているようだ。

嫌いな相手とはいえ、憶えていてくれているのは少しうれしいと思ってしまう度し難い自分もいる。

僕が義父母を苦手で好きじゃないのと同様に、義父母もともに僕のことが嫌いだ。僕は別に彼らを恨んでも憎んでもいないけど、好きじゃないものは好きじゃなし、仲良くなれないのも仕方がない。

このような関係の中、唯一の救いはお互いに成熟していることだ。

僕にも義父母にも唯一共通しているものがある。それは「娘(孫)の健全な成長」を願っていること。

お互いに嫌いでありながらも、互いに欠かせないピースであることがわかっているから、互いに排除しようとしない。

そのため、ギリギリの線で家庭内平和を実現できている。これをどちらかがエゴむき出しでどちらかを排除しようと動いていたら、恐らく子どもには悲しい想いをさせていたことだろう。



このような中、ここ数日で少し変化が。

僕と義父母はこのように仲が悪いため、彼らはこれまで僕が作った日本的な料理を口にすることはなかった。

ところがどっこい。僕が自分と妻子どものために多めにつくったはずの味噌汁が一晩でかなり減っていた。

聞けば、義父が僕の味噌汁を美味い美味いとグビグビ飲んでいたらしい。

「これまで俺のつくったものなんか一口も口にしてこなかったのにね…」と少しうれしい反面、その味噌汁が僕がつくったものだと知らない、認知できないからこそたくさん飲んでいた、という事情もあり、素直に喜ぶことも出来なかった。

とはいえ、おいしいと飲んでくれる以上、こちらも作らない理由はないので、大量に作ることにした。

高級スーパーでは日本の輸入みそを買うこと出来ます。

それはそれは大量に野菜をぶっこんでいます。


準備しているときに「お互いに嫌っていたあの頃のお義父さんはもういないんだなぁ…」などと思いながら野菜を切っていたら

玉ねぎは切っていないはずなのに、目の前が少しだけぼやけてきた。

自分が嫌いな人っていうのも、人生を彩らせる大事なピースなんだよね。

嫌いな人、苦手な人も、その存在があればこそ嫌いでいられる。嫌いでいられるのは、相手の存在が自分のネガティブな心情を鏡のように反射してくれるから。

でも、その相手がいなくなるということは、自分の感情の反射鏡もなくなるから自分の感情は一方通行になるだけ。自分がアホらしくなるだけ。

だから、その時点で自分の中の強いネガティブな感情が浄化される。


よく、「いなくなってからわかる相手のありがたみ」の話を聞く。生きているうちにもっと仲良くしていればよかったと。

でも、それは仕方がない。

相手が存在していると、その存在が自分の感情の反射鏡になってくれているので、ありがたみに気づきようがない。

それがいなくなってしまうと、フッと抜かれてしまう。抜かれたと同時に自分のエゴも抜けてしまうから、エゴを持っていた自分に対する悔恨が生まれる。

後悔なんてする必要ないのにね。


てなわけで、義父に対しては、妻(自分の娘)から半ば押し付けられていたとはいえ、

『10年以上もの間、孫の世話(僕の子どもの世話)してくれてありがとうございました、こんな簡単なものでも喜んでくれるなら、いつでもつくったげるから』

と、今日も味噌汁つくるよ。

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