「ママに会いたい」を越えていけ
先月7月11日に帰国してから早いもので、もう40日以上が経過した。
そこから思春期で、かつ日本語不可の異母語で育児するシングルファザー生活がはじまった。
娘も最近ではようやく少し慣れてきたものの、最初の2週間はやはり寂しそうで、時折泣いていた。
「ママに会いたい」と
それはそうだ。娘はゼロ歳の頃だけ日本で育ったけど、それ以降はずっと中国で、義父母と母親の元で育てられてきた。
しかも中国の育児は日本よりも圧倒的に過保護だし、常に人に囲まれている印象がある。
そんなところから一転、言葉の違う父親が一人いるだけの状態。
それはさみしいはずだ。
周りに人がいないだけでなく、言葉もできない。
わが娘の運命は、一言でいうなら”数奇なもの”といっていいかもしれない。
僕の運命も結構数奇なものなので、その子どもとして生まれた以上、やはり数奇なものになるのか、と思ってしまう。
それはそうとして、父親としてこう寂しさを抱えている自分の子どもに対して、何かしてやれることはあるのか?
母親の代わりになってやれるわけでもないし
友だちをやってあげられるわけでもない
今のところやってあげられることは
・ごはんを作ってあげる
・栄養管理に気を付けること
・家/部屋を清潔に保つこと
・学校のときには朝起こすこと
・欲しいと思ったものがあれば買ってやること
・興味を持ちそうなものを見かけたら教えてあげること
・日本語の練習相手をすること
・ちゃんと生活を送らせてあげるようにしっかり働いて稼ぐこと
・病気のときには病院に連れていって通訳もすること
こんなところだろうか。
いずれにせよ、いまの心の隙間を埋めてやれるようなことはできない。
非常に無力だ。
でも、仕方がない。
考えても結論も解決方法も出てこないことだ。
だからとりあえず親父として唯一してやれることは
”いつもご機嫌でいること”
これしかない。
僕は23歳のときに入院寸前の重度のうつになって、その半年後に社会復帰をしていからというもの、ずっと寛解状態が続いている。
普通の生活は送れるけど、
日によってはだいぶ怠いときもある
そうしたときは基本的に何もしたくはないのだけど
日本語不可の子どもの世話というのは
実質赤ちゃんの世話とあまり変わらない。
怠いからという理由で
育児放棄するわけにもいかない。
だから、こんな状態のなかでも
親父としては最低限の仕事はする。
具合悪い日が極力少なくなるように
いつも極力ご機嫌で居続けられるように
これまで以上に自己管理もしていく。
だからお前も
「ママに会いたい」
を越えていけ。
娘に言いたいことは
この一言に尽きる。
<今回のセルフコーチング>
自問「何かしてやれることはあるのか?」
答え「特別なことはなにもない」
自問「そんな中でもできることがあるとしたら?」
答え「常にご機嫌で居続けようと努めること」
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