古典読んだら死にかけた話。REMAKE
俺が読書好きになったきっかけは、小学生の時に「レ・ミゼラブル」の児童版「ああ無常」を読んでからです。
夢中になってページをめくったのを今でも覚えています。
その後は推理小説が好きになり、10代の頃はジャンルを問わず読んでいました。
俺が19歳ぐらいだったでしょうか。
部屋に遊びに来た友人が、小説がたくさん並んでいる本棚を見て言いました。
「君が読書家なんて誰も思わんやろな。ギャップがすごいわ。」
当時の俺はそれはもう、調子に乗っていました。
全身から放たれる遊び人のオーラ。実際には遊び人ではなかったのですが、見た目と雰囲気がとにかく軽かった。
そしていつも考えているのは、どうやって周りの女性を口説こうか。ただそれだけを考えて生きていたんですよね。遊び人やん。
そんな俺は、友人の言葉にはたと気づきました。
「ギャップだと・・・?」
はっ!ということは、軽そうに見える俺が実は非常に難しい本を読んでいる知的生命体だと女の子が知れば、そのギャップにキュンときてグッときてメロメロってわけやな。そのアイディア頂いたで!
悪知恵が働いた俺は、早速本屋に向かいました。
そしてとにかく難解な本を探しまくり、ついに中国古典コーナーへと辿り着いたのです。
「こ、これは・・・漢字ばっかりでわけがわからん」
しかし、わけがわからないほど俺様のギャップは激しくなり、モテモテ男になるのだ。何のことかさっぱりわからんが、一番分厚いこれを読むとしよう。
俺が手に取ったのは「宇宙第一の書」といわれる「論語」でした。
論語とは
説明しよう。論語とは、中国の孔子というめっちゃ昔のもの凄く立派な人の弟子が、孔子さんの有り難い儒教の教え、お言葉を記した書物である。人としての生き方、道徳を述べている。現代のビジネスマンも読んでいる人は多く、あの聖徳太子さんも戦国武将も、江戸の侍も町民も、みーんな読んでいた大ベストセラーである。
それにしても論語の原文、書き下し文は漢字だらけでわけがわからない。口語訳を読んでもわからない。なんだこれは。一体何が言いたいのだ。
俺は1ページ目で挫折しかけましたが、モテたい一心で意味不明のまま読み進めました。
あまりにも普段使っていない頭脳を使ったので、夢でマトリックスのオープニングのように漢字が降ってきて飛び起きた事もあります。
さっぱり理解できなかった論語ですが、毎日1ページを目標に読んでいると、少しずつ理解できるようになってきました。
そして孔子さんの立派な教えに感動し、俺も己を磨き、社会に役立つ人間になるのだ。そんな気持ちが芽生えてきたのです。
モテようとしていた邪悪な心は、いつの間にか消えていました。
最凶の敵、現る
論語ファンになった俺は、論語を肌身離さず持ち歩くようになりました。電車に乗った時はいつも論語を読み、自己研鑽に励むほどでした。
ある朝、俺は満員電車の中で論語を読んでいました。
すると途中の駅で俺の横におじさんが座り、その横に娘らしき女性が座ってきました。
気の強そうな娘がおじさんに言いました。
「なぁお父さん、今度着るスーツ用意できた?」
「あ、あれな、いや、あの、まだやねん」
それを聞いた娘は吐き捨てるように言いました。
「もう、だから早くしときって言うたやんか。 ほんま、アホみたいな顔して」
(えっ!?)
親に対してアホみたいな顔って・・・ けしからんけどちょっと面白いぞ。
「だからいっつも言うてんねん。アホみたいな顔して」
娘はひたすら父親に対して「アホみたいな顔」を連発します。
どうやら口癖のようです。
あまりに連発するので、俺は笑いがこみあげてきました。
「アホみたいな顔してホンマ。何回も言うてるやん」
娘よ、やめてくれ。一人でニヤけてる俺が怪しすぎる。
ヤバイ、これは笑ってしまいそうだ。論語に集中しなければ。
(えーと、子曰く、学びて思わざれば則ち、ブホッ)
娘の口撃はまったく止まらない。
「でもな、ワシかて用意しようと思ててんで。で、あの」
弱々しくおじさんは言い訳をしている。
「思ってたじゃアカンねん!アホみたいな顔して。だから私があんだけ言うたやんか。アホみたいな顔して」
だめだ!娘は取り憑かれたように「あほみたいなかお」を詠唱し続けている!
なぜだ、なぜなんだ娘!俺は吹き出すのを何とかこらえているが、体の震えが止まらない。
あぁ逆サイドの方、不審な動きですいません。怪しい者ではありませんよ!
(他の乗客はなぜ誰も笑わないのだ。それがおもろいわ。逆に)
それにしてもおじさんよ、そこまで罵倒されてまだ黙っているのか。 あんた、今まできっと娘にバカにされ続けてきたんだろ?
この先もずっとバカにされて生きていくのか?
反撃しろ。頑張れおじさん。
俺がそう思った時、おじさんは言い放ちました。
「あのな・・・お前、ちょっとええか・・・」
「なによ」
おぉ、娘がひるんだ。
がつんと言うたれや、おとん!
「ワシの切符どこにいったっけ?」
(あはははははははは、おとん、怒るんちゃうんか。ダメだもう無理、助けて)
笑ってはいけない場所で笑いをこらえるのは、本当に苦しい。地獄である。
「今持ってたのになぁ」
(もうやめて下さいやめて下さい)
次の攻撃が来たら、俺はもう耐えられない。確実に死ぬ!
「そんなん知らんわ!なんやねんな、アホみたいな顔して」
(我が生涯に一片の悔いなーし)
「ゴパフッ、ぶはははっ!」
俺は笑ってしまいました。声に出して。
あーあ、隣の親子どころか 周りが一斉に見てるっての。満員電車やぞ。もう消えてしまいたい。
俺はその後、可笑しさと恥ずかしさを耐えてなんとか目的地へ。
笑いをこらえるのが、こんなにつらいことだとは思いませんでした。汗びっしょりやん。
それにしてもあの娘、恐ろしい女だったぜ。
この俺様をあんな場面で笑わすとはな。ちくしょう。
どうでもいいけど娘よ、あんた、父親似だぜ。
完
あとがき
すごい・・・自分で言うのも何だが、ほぼ内容が変わっていない記事をリメイクとして投稿するなんて、こんなリメイク詐欺見たことがない。
変わっているのは「私」が「俺」になったことと、わずかに文字が追加されただけで、ほとんど何も変わっていない。
それにしても、7ヶ月前の俺の記事もやっぱり面白いなぁ。
って誰にも言ってもらえないので、自分で言っておきます。
しかし、なぜ俺はこんなことをしているのでしょうか。
その理由は、ツイッターで「書く」パワーを全振りをしてしまったので、noteで記事を書くヒマというか、書く気力が無くなってしまったのです。
でもこれは言い訳ですが、前半がおまけで、この「あとがき」こそが本編なんですよね。あとがきエッセイですよ。
そんな記事読んだことあります?俺はないね!
相変わらず早口で否定してしまいましたが、ちょっともの申していいですか?
なぜnoteで俺をフォローしてくれているフォロワーさんは、ツイッターで俺をフォローしてくれないのですか?
こんなに消極的でヘタレな俺が、自らフォローをさせて頂いているのに、スルーですか?なぜ、なぜなんだ!
はっ!もしかして・・・
通知に気付いていないのか、もしくは俺をフォローすると、大量の俺の狂った独り言があなたのタイムラインにのるから嫌なんですか?
そうなんですね?
わかりました・・・。
そんなに嫌なら仕方がありません。
じゃあこうしましょう。
俺のアカウントは、ミュートして頂いて構いません!
俺の投稿は読まなくていいです。いいねも不要です。
だから俺をフォローして下さい!
こう書くと、「こいつ必死やん」「フォロワー数なんて関係ないって言ってたやん」と思われる方もいるでしょう。
確かにフォロワー数なんて、俺にとってはどうでもいいです。
真面目に一生懸命活動していたら、フォローしてくれる人は自然に増えていくものなので。
だがしかし!
最初の頃はザコすぎるので、ある程度は数が必要なのです。いやほんとに。
せっかくの機会なので、今から俺は有料級のお話をさせて頂きましょう!
有料級とか言って大きく出ましたが、ほとんど誰も読んでいないので大丈夫です。
さてこれは、ツイッターでもnoteでも何でもいいですけど、フォロワー数を気にしないでいいのは、ある程度の人数が増えてからです。
それはなぜか?
悲しいかな、ネットでは数の力が絶対だからです。
まずパッと見た感じ、たとえばフォロワー数3人と、フォロワー数1万人では、あまりにも印象が違います。
たとえ何の繋がりがなくても、「いいね」や「スキ」が少なくても、どんな手段で増やそうと、とりあえず1万人もフォロワーがいたらスゴく見えます。
そして影響力だって、数が多い方が有利です。
もし広告、宣伝を頼むなら、フォロワー数3人よりも、1万人のアカウントの方が反響があるに決まっています。数打ちゃ当たる作戦です。
そう考えると、いくら良いことを書いても、役に立つことを書いても「フォロワー数が少ないから人気がないアカウント」と思われてスルーされたら、意味がないのです。
だから俺は最初だけ必死なのです。
noteで活動を始めた時も、俺は記事を読みまくってスキを押しまくって、さらに仲良くなれそうな人をフォローして、コメントをして、なんてことを真面目にやっていました。
でも、50人、100人とフォロワーが増えてくると、その後は自然に人が増えて加速していきましたし、応援してくれる方とも繋がることができました。
これは何でもそうですが、スピードが出て加速するまでは、地味な作業も必要です。
だから俺は今、ツイッターでザコツイッタラーとして頑張っているのです。そんな言葉あるか知りませんが必死なのです。
というわけで、今後も俺は、狂った独り言をショートエッセイとしてツイートし続けます。
そして必ずやフォロワー数1万人を突破して、シンエッセイストとして、どえらい影響力を持つことになるでしょう。
書くことが好きなら、自由に何でも書けるエッセイが最高です。共にエッセイを書きましょう。
そしてエッセイを書くのが好きな方、そうじゃ無い方も、是非繋がりましょう!
というわけでツイッターでお待ちしております。
ここだけの話ですが、現在タイムマシンを作っているので、その資金に使わせて頂きますね。サポートして頂けたら過去のあなたに大事な何かをお伝えしてくることをお約束します。私はとりあえず私が14歳の時の「ママチャリで崖から田んぼにダイブして顔面めり込み事件」を阻止したいと思います。