【創成期】 プロローグ
人が人生のどん底に落ちた時、そこからどうやって這い上がるかを、考えたことがあるだろうか。
この問題を真剣に考えたことのある人はおそらく、人生の試練に遭遇した当事者か、その悲劇に巻き込まれた関係者ぐらいだろう。
けれどそう思っているうちはまだ、本当の意味でのどん底にはいない。
なぜかというと、そこから這い上がる意思があるからだ。
苦境に差し込む光から目を逸らさないうちは、放っておいても勝手に抜け出していくものだ。
本当の意味でのどん底は、這い上がる意思を失った時だ。
手が届くかわからない光よりも、足元の暗闇の居心地が良くなった時が、もっとも救いようがない時なのだ。
あの時の私には、暗いところが非常に居心地がよかった。
闇に包まれていれば、何も感じずに済んだからだ。
自分が落ちこぼれだということも
大人たちの批判の声も
もう大切な人がいないということも
ずっとこのまま、闇が永遠に続いていけばいいと思っていた。
闇こそが私の唯一無二の友であり、拠り所だったのだ。
私が試練を乗り越えた時、多くの人達に聞かれたのは当然のことながら
「どうやってあの試練を乗り越えたのですか?」だ。
人は突発した結果にはなんらかの突発的な要因があると考える。
あの時、諦めなかったからとか、あの人が支えてくれたからとか、まるで色のついた方程式のような答えを求めるのだ。
けれど私は同じような質問をどれだけ聞かされても、相手が期待するような答えが浮かばなかった。
だから無難に「良い先生との出逢いがあったんですよ」と答えた。
多くの人は納得するか、その先生について詳しく聞かせてとせがんだものだ。
けれどそれは答えでもあり、答えではなかった。
なぜかと言うとあの人自身が言っていたからだ。
「わしがいつお前に変わるように指導したんや? お前が勝手に変わっていったんやろ?」と
そんなサウンドが頭の中で残響のように響いていたから、私は先生がどう私を変えてくれたのかはうまく伝えることができなかった。
その人は不思議な人だった
彼が口を開けば世界が再創造されたような気がした。
そして気づかないうちに私は、新しい人生を生きていたのだから
これは、人生を放棄した人が、新しい世界に生きるきっかけになった話である。
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