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#2-2 ファネルからダブルループへ_後編(UX戦略の教科書)

前回の記事では、これまでのマーケティングの検討枠組み(=ファネル)の概要を提示したうえで、それが時代遅れになっている理由を解説した。また、ファネルの枠組みに囚われている人から見ると、UX戦略が「儲からないビジネスモデル」として捉えられてしまい、そのことがUX戦略の実行を阻害する要因になっていることを説明した。

今回の記事では「UX戦略は儲かるのか」という疑問に答えつつ、ファネルに代わるマーケティングの全体像を捉える枠組みを提示することを目指す。

デジタルサービスがファネルを代替する

結論からいうと、UX戦略は儲かる。UX戦略を実行することで売上や利益が高まる理由はいくつかあるが、その1つに「顧客の成功を支援するデジタルサービスを構築すると、これまで広告宣伝や営業活動に投じてきたコストを削減できる」という理由が挙げられる。

どういうことか説明しよう。これまで企業は、広告宣伝を活用して人々の購買意欲を刺激することで、自社のファネルに潜在顧客を送客してきた。たとえば、保険会社はガン保険に加入する必要性をテレビCMで繰り返し訴求し、シューズメーカーは新作シューズのカッコ良さや機能性をテレビCMで訴えてきた。そして、広告宣伝によってファネルへの送客が成功した後は、店舗チャネルでの営業担当者や店員による接客などを通じて、ファネル通過率を高めるための努力をしてきた。

しかし、デジタル社会が到来したことで、企業がデジタルサービスを通じて顧客との直接接点を持てるようになった結果、広告宣伝や営業活動が果たす役割の重要度は相対的に低下している。その理由を具体的に説明するために、ここでは平安保険の事例に基づいて説明しよう。#1-2の記事で詳しく紹介した通り、平安保険は通常の保険商品に加えて「オンライン問診機能」や「病院・医者の予約機能」などを有するデジタルサービスを提供しているデジタル先進企業である。(図表-1)

(図表-1)平安保険が提供するライフスタイル / ジャーニー

平安保険は、これらのデジタルサービスを無料で提供している。保険商品を契約していない顧客であっても、スマホアプリをダウンロードすれば無料でオンライン問診機能などのサービスを使えるようになっているのだ。そうすることで、平安保険は「健康不安を解消したい」という成功を目指す大量の顧客と、高頻度に接点を持てる状態を実現している。そして、デジタルサービスを通じて健康不安の解消を望む大量の顧客と高頻度な接点を持っていると、一定の確率で「もっと健康不安を解消したい」というさらなる成功を望む顧客が出現する。デジタルサービスによる行動支援だけでは飽き足らず、さらに健康不安を解消したいと願う顧客が現れるのだ。そうした顧客に保険商品(医療保険や生命保険)を販売することで、平安保険は収益を得ているのである。

平安保険のマーケティングモデルの全体像は、下の図表-2のように捉えられる。無料で提供するデジタルサービスに大量の潜在顧客がぐるぐる滞留する状態を作り、さらなる成功(=健康不安の解消)を目指すユーザに、有料のプロダクト・サービス(=保険商品)を販売することで収益化するモデルである。彼らのマーケティングモデルは「ダブルループ型」の枠組みで捉えることができる。(図表-2)

(図表-2)平安保険のマーケティングを捉える枠組み

上図のような枠組みでマーケティングの全体像を捉えると、顧客の成功を支援するデジタルサービスが、広告宣伝や営業活動がこれまで果たしてきた役割を代替していることをお分かり頂けるのではないだろうか。

これまでの企業は膨大な広告宣伝費を投じることで、ファネルに潜在顧客を送客してきた。そして多くの営業担当者を雇って育成することで、ファネル通過率を高める努力をしてきた。それに対して、平安保険は魅力的なデジタルサービスを開発して無料で配布することで「健康不安の解消」という成功を目指す潜在顧客がデジタルサービス上をぐるぐる滞留している状態を実現し、保険商品があと一歩で売れるような状況を生み出している。デジタルサービス上に大量の潜在顧客がぐるぐると滞留しているため、広告宣伝の力で人々の購買意欲を喚起してファネル送客したり、営業活動を通じてファネル通過率を高めなくても、有料のプロダクト・サービスが売れるような仕組みを構築することに成功しているのだ。

このように捉えると、顧客の成功を支援するデジタルサービスは、これまでファネル(広告宣伝や営業活動)が果たしてきた役割を代替していることが分かる。デジタルサービスによって潜在顧客がぐるぐると滞留している状態を実現できれば、広告宣伝や営業活動にリソースを投下してファネルに潜在顧客を送客したり、通過率を高める必要性は低下するのだ。

新たなマーケティングの枠組みは、スマホゲームをイメージすると直感的に理解しやすい。ほとんどのスマホゲームは、無課金であっても楽しく遊べるように設計されている。無課金でも楽しく遊べるが故に、たくさんの顧客が高頻度にプレイするようになる。そして、大量の無課金ユーザがサービスを高頻度に使用する状態を作ることができれば、一定の確率で「もっとゲームを楽しみたい」「もっとゲームで強くなりたい」というさらなる成功を目指す顧客が出現する。そういった一部の顧客に対して、有料サービス(課金ガチャなど)を提供することで、収益を獲得するモデルということだ。

スマホゲームだとイメージがつきにくい場合は、アクセス解析ツールであるGoogle Analyticsをイメージすると良いかもしれない。Google Analyticsは、無料で使える便利なサービスであるため、世界中の顧客が高頻度に使用している。そして、無料の解析ツールを利用する中で「もっと詳しい分析データを入手したい」や「分析結果を施策立案に繋げたい」というさらなる成功を望んだ顧客に対して、アナリティクス 360という有料版の解析ツールを提供することで、Google社は収益を得るような構造となっているのだ。

ここまでの説明が、UX戦略を実行することで売上や利益が高まる理由の1つである。UX戦略を実行し、無料のデジタルサービスを設計することで、企業はこれまで広告宣伝や営業活動に投じてきたコストを削減でき、中長期的に売上や利益率を高めることができるのだ。


「テナント収益」によるさらなる収益向上

UX戦略が儲かる理由は「広告宣伝費や営業担当者の人件費といったコストを下げられる」というものだけではない。無料で展開するデジタルサービスによって、顧客と高頻度に接点を持つことができれば、企業は新たな収益源を持つことができるようになる。

たとえば、平安保険は先ほど紹介したような無料のデジタルサービス上で、漢方薬の通販サイトを展開している。健康不安の解消を目指す顧客に対して、保険商品だけではなく漢方薬の定期購入を促すことで、別の売上をあげることに成功しているのだ。(図表-3)

(図表-3)デジタルサービスの提供によって生まれる新たな収益源

より正確に言うと、平安保険は漢方薬メーカーや漢方薬の通販企業に自社のデジタルサービス上で商売する権利を提供し、場所代をもらうことで収益を獲得している。これは、Apple Storeを運営しているApple社のビジネスモデルと似ている。Apple社が、アプリ運営企業がApple Store上で稼いだ売上の15~30%を徴収しているように、平安保険はデジタルサービス上で漢方薬メーカーが稼いだ売上の一部を場所代として徴収しているのだ。

この新たな収益モデルは、もしかすると商業施設の貸テナント業をイメージしてもらえると分かりやすいかもしれない。百貨店などの商業施設は、多くの顧客が集まるリアル空間を構築したうえで、その空間上で商売する権利を様々なブランド店舗に提供し、出店料をもらうことで利益を獲得している。それに対して、平安保険はデジタル空間上に、顧客が集まる空間を構築し、そこでビジネスをする権利を他企業に提供する。その意味で、大ヒットするデジタルサービスの創造に成功した企業は「デジタル空間における貸テナント業」を運営して収益をあげられるようになるのだ。

このように、無料のデジタルサービスを開発・提供し、そこに大量の潜在顧客を集めることができれば、そこで商売する権利をメーカー企業などに提供することを通じて新たな収益源を確保できるようになる。これが「UX戦略は儲かる」と主張する理由の2つ目である。

蛇足だが、これは「プラットフォーム型ビジネスを形成するための方法論」に他ならない。昨今、多くの企業がプラットフォーマーになることを目指しているが、「大量の顧客に利用してもらえる無料のデジタルサービスを創る」ことを活動の第一歩目に据えている企業は少ない。しかし、企業がプラットフォーマーになるためには、まずはデジタルサービスを設計し、大量の顧客に高頻度に利用してもらえる状態を創る必要がある。それを実現した上で、他企業がデジタルサービス上で商売して儲けることを支援する取り組みを重ねていけば、プラットフォーマーへ徐々に移行していくことが可能になる。もしもプラットフォーマーになりたいなら、まずは大ヒットするデジタルサービスを1つ創りきることに注力するべきである。これはとても難しいが、ここから決して逃げてはいけない。(図表-4)

(図表-4)プラットフォーマーの形成過程論

ファネルからダブルループへ

以上の説明を踏まえ、マーケティング戦略の枠組みをどう転換するべきかについて改めて説明したい。これまでの「ファネルの枠組み」が時代遅れになっており、UX戦略の策定・実行を阻害している状況を受けて、どのように枠組みをどのようにアップデートするべきだろうか。

結論から言えば、我々はマーケティングの概念枠組みを「ファネル」から「ダブルループ」へと転換するべきである。そして、ファネルに集客して、通過率を高めることだけではなく、ダブルループを機能させることをマーケティング部門が果たすべき役割として再設定する必要がある。マーケティングを捉える枠組みをこのように転換すれば、UX戦略が儲かることを直感的に理解できるようになり、UX戦略に基づいてデジタルサービスを企画・設計する必然性を理解しやすくなるのではないだろうか。(図表-5)

(図表-5)ファネルからダブルループへ

最後に、少しだけエクスキューズしておきたい。ここまで本連載では、集客体験(広告宣伝・営業)の必要性の低下についてひたすら言及してきた。ただ、別に僕は広告代理店に強い恨みを持っている訳ではない(弱い恨みくらいは持っている)。なので、最後に少しだけフォローを入れておく。

デジタル社会が到来したからといって、ファネルへの投資(広告宣伝や営業活動)がまったく必要なくなるという訳ではない。顧客に自社サービスの存在を広く認知してもらい、魅力を理解してもらい、オンボーディングを支援する活動は今後も必要であり続ける。特にスタートアップのような認知度が低い企業にとっては重要な取り組みとなる。ただ、デジタル社会が到来したことで、これまでファネルが担ってきた役割を顧客の成功を支援するデジタルサービスが代替できるようになっているため、デジタルサービスを設計・運用する部署 / 部門に経営リソースを適切に移行・配分させる必要がある、というのが本記事の主張である。

まとめと次回予告

本記事では、UX戦略が儲かるメカニズムを解説しつつ、マーケティング戦略を捉える伝統的な枠組みであるファネルを、デジタル社会の到来にあわせてどのようにアップデートするべきかを明らかにした。

ここまで、事業戦略を捉える枠組みである「STP」とマーケティング戦略を捉える枠組みである「ファネル」が双方ともに時代遅れになっているにも関わらず、多くの人が暗黙のうちに前提に置いているために、UX戦略の策定~実行に悪影響を与えていることを明らかにしてきた。

次節では、ブランド戦略を捉える枠組みを取り上げる。「ブランディング」という抽象的な活動を、デジタル社会の到来を踏まえたときにどのように再設定するべきなのかを明らかにした上で、ブランディング活動を捉えるための新たな枠組みを提示することを目指す。

隔週くらいの頻度で投稿する予定である。記事の更新情報は、Twitter(@takashikoshiro)でお知らせするので、必要に応じてフォローしてもらえると嬉しい。

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