LUCK

人生まだ半分も生きていないけど、あの時のことだけは、記す形で残しておきたい。 28年間…

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人生まだ半分も生きていないけど、あの時のことだけは、記す形で残しておきたい。 28年間わたしを大切に育て見守ってくれた、きっと普通では無い人生を生ききった父のこと。「そんな話聞いたことない」って言われる、犬たちとの不思議な出逢いのこと。 #ノンフィクション #実話 #グリーフ犬

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    • DOG祭り 終盤

      9匹目の捨て犬との出会いから、 以降も続いて結局累計13匹の捨て犬と、 1匹の捨て猫との出会いがあったのだった。 都心に住んでいてこんなことがあるのだろうか。 父の事故死の悲しみや、 事故後の、 辛くともやらなければならないこと、 どんどん経済が困窮していくこと、 しかし仕事に出たら何事もなく普通にこなさないとならないこと、 多くの辛い場面も、 なんの罪のない顔をする子犬たちに自然に救われていたと感じる。 子犬たちのおかげで心を保てていたようにも思う。

      • 父のすごい歴史が残した宝物~完

        様々な地域に住んでいる4人の会ったこともない兄弟姉妹。 渡邊弁護士のお陰で1人づつ連絡が取れていく。 絶対自分ひとりではできなかった。 他界している方が1人。受取拒否をした方は1人。 私たち姉妹と残りの2人、計4人で父の保険金を平等分散する。揉めそうになった方も1人いて、とにかく大変な道のりだった。 突然、過去の父親の訃報から保険金の話が来た時のリアクションが人間それぞれで、これも勉強になった。 解決するまで1年以上掛かった。金額なんていくらでも良かった。 とに

        • 父のすごい歴史~6回の結婚歴③

          保険屋は残る4人の子供の委任状が無ければ賠償金は0円だの一点張りだった。法律上決まっているのなら仕方ないやと、すぐに心穏やかにはとてもなれなかった。 秋田県の住所もあった。そんな交通費さえも捻出できない状況で、知り合いが教えてくれた「法テラス」に電話相談をする。すると完全成功報酬型の弁護士もいて霞が関にある「日弁連」に行きなさい、とアドバイスをもらった。 当時「にちべんれん?」という感覚だったが、うっすら見えた光に向かって行動あるのみだった。 日弁連にはたくさんの弁護士

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          父のすごい歴史~6回の結婚歴②~

          4人の会ったこともない兄弟姉妹を探す。計算すると私より遥かに年上だった。困ったことに4人の内3人が関東圏では無かった。まずは1人、新宿区の住所が記載されていた。そこに住んでいるかも全く分からないが、仕事を終えたその足で、その家を訪ねた。かなり緊張した。 もし関連者が住んでいた場合、経緯をどの様に話したら良いのかも頭をまとめるのに時間がかかった。 少し古めのマンションの1室だった。呼鈴を鳴らす。明かりは付いているのに、知らない訪問者に誰も出てくれない。ドア越しに父の苗字でも

          父のすごい歴史~6回の結婚歴②~

          父のすごい歴史~6回の結婚歴①~

          父との最期のことはこちらの記事に↓ standfmはコチラ 父の「すごい歴史」は医師も驚かす、数えきれない病歴だけではない。 父は交通事故で亡くなり、被害者側だった。加害者側は配達バイクの運転手だった。 私は両親が離婚後、母の方へついたので、父とは戸籍上は別々。 しかし、血縁関係にあって長女ということで喪主もそうだが、今回の事故に関する対応は私が全てやった。1年超かかった。金銭の余裕もなく生活の為にダブルワークをして家族で何とか乗り切った。お金よりも時間が足りなかっ

          父のすごい歴史~6回の結婚歴①~

          DOG祭り⑤

          8匹目の子犬を迎え入れ・・ いよいよ引っ越しまですることとなり、我が家からあふれた子犬たちの仮住まいとしていた父の家も、賃貸期限が迫り引き払うタイミングとなった。 妹の里親探しのおかげで引っ越しの時に残った子犬は1匹になっていた。 妹は以前より動物愛護団体のボランティア活動をする等、無類の犬好き。 今回の里親探しについても、もらわれた先で、まさか虐待等をされるようなことがないか、環境は家族でみてもらえて犬ができるだけ幸せに暮らせることにこだわって、里親候補と面接しなが

          DOG祭り⑤

          DOG祭り④

          Standfmはコチラ ダックスのCOCO、MIX犬のドン、ダックスの2匹組の内1匹、着々と里親は決まっていったが、決まったからといってすぐにお渡しできる訳でもなく。 狭い我が家はもう子犬だらけ。自由に動き回っているので人間が気を遣って歩いている環境だった。 事故現場に貼った、ここに犬を捨てないで、の張り紙は残念ながら効果がなく、 ポメラニアンを保護した1週間後、 次はコッカスパニエルの子犬が置かれていた。また家の中は賑わいをみせた。 写真は左上がそのコッカスパニ

          DOG祭り④

          DOG祭り③

          Standfmはコチラ ダックスの子犬が2匹追加となり保護した犬は累計5匹。 妹の奮闘で最初のCOCO(初回ダックス)やMIX犬のドンは里親候補が見つかる等、良い方向へと動き出していた。 毎日仕事はあったし、事故後の対応事もあり、そして夜泣きやら、自由にヨチヨチと歩き回る子犬たち、とにかく時間との闘いであった。 ダックス2匹の内、1匹はお腹を壊して通院したりもした。そんな中、休日献花に行くと、犬を捨てるなと張り紙をしたにも関わらず、 なんと、また捨てられていた。

          DOG祭り③

          DOG祭り②

          Standfmはコチラ 我が家の保護犬はダックスのCOCO、MIX犬のドン、2匹となった。世話は3人交代でこなした。 まだ父の事故から間もなく、現場への献花は絶やしたくなかった。 マンション内に捨てられていた3匹目のドンを保護した翌日、妹は献花をしに現場へ行った。この日は小雨が降っていた。 妹から着信だ。 「ちょっと大変!今、パパの現場にいるんだけど、犬が!また捨てられてる!しかも2匹も!ビニール袋に入れられてて雨も降ってて弱っているから病院に連れていかないと。早く

          DOG祭り②

          DOG祭り①

          COCOは生後間もない子犬で1日5回程ご飯をあげ、 排尿も自力でできないのでトイレタイムも都度お付き合い。 夜は「クーーン」という細くて高い夜泣き声が響き、翌朝仕事へ向かうのが結構しんどくて寝不足の日々が続いていた。 が、愛らしさや可愛さが勝り、毎日仕事が終わると自宅へ足早に直帰していた。 COCOを保護してちょうど1週間。妹は里親探し担当だった。 私は、父の事故加害者が加入していた保険屋の担当者と頻繁に会わなければならず、慣れないことの対応や処理しないとならないこ

          DOG祭り①

          亡き父からの贈り物!?奇妙な出来事が止まらない。

          standfmはコチラ 父は交通事故で亡くなりました。 葬儀を終えた翌日から、私たちは毎日順番に事故現場へ赴き、 献花をたむけにいっていた。 ここから、不思議なことが連続して起こっていくのだが、その前に少し過去にあった話をひとつ。 父が亡くなる約1ケ月前に妹が子犬を拾ったのだった。 子犬が捨てられていたカゴの中に子犬用おもちゃとメモが入っており、 「5月11日生まれ」と記されていた。生後約2週間だった。 ※実際の写真 父も妹も大の犬好き。妹は子犬の里親探しに

          亡き父からの贈り物!?奇妙な出来事が止まらない。

          あたたかい感謝の葬儀

          Standfmはコチラ 長女が自分であった為、喪主は28歳だった私のつとめとなった。 悲しむ間もない程忙しく時間が過ぎ、 毎日浅い眠りを繰り返して気が付けばお通夜、葬儀となった。 父が絶大に贔屓にしていた銀座名店「誠」の店主、「生き返ったぞ」と店に顔を出しては驚かせていた蕎麦屋の店主も駆けつけてくださった。 親しい人達のみで、父が大好きな音楽を揃え、好物であった食べ物や高級酒で溢れ、葬儀は温かく終えることができた。 父と、父の遺影を持って私たちは帰宅した。 以降

          あたたかい感謝の葬儀

          最期、家族が揃うまで待っていてくれた父

          Standfmはコチラ https://stand.fm/episodes/6069887327695480a7a926b9 体調も回復傾向だった父の家へ、母とお寿司を届けにいって、会話を楽しんだ。 これが最後の会話になるなんて、全く思わずにいた。 父の最期は病気ではなく、走ってきたバイクとぶつかった交通事故だった。 警察に呼ばれ、仕事を投げ出して病院に走った。 途中、母、妹へ連絡をいれた。 私が最初に病院に到着した。ICUに案内され父と会った。 意識不明、後

          最期、家族が揃うまで待っていてくれた父

          父のすごい歴史~闘病歴:完

          2004年12月26日 肝臓がん摘出手術を終え退院する。 2005年新年、最後で過ごす家族での正月が叶った。 辛い体調をおして、母と暮らす私たちの元へ父は来てくれた。 体調を思うと本当にひやひやであったが、父も大変疲れやすくなっていて、休み休み、時折寝る等しながら温かい時間を過ごせた。 そして体調が悪化してすぐに緊急入院となってしまった。 父のノートには、 ■2005年1月4日 歩行困難・食欲なし 入院。 と記されていてノート記録はここまでだった。 この緊急入

          父のすごい歴史~闘病歴:完

          父のすごい歴史~闘病歴終盤:続

          私はその最高級肉を父に届けるため、銀座「誠」を何年か振りに訪ねた。どきどきした。自分には敷居が高すぎるお店だったから。 店主に、涙を堪えながら父の病状を伝えて「お恥ずかしながら私は父のように多くの稼ぎがないので、そして父もほんの少ししか食べることができませんので少量のステーキを特別に売っていただけませんか。」店主はうなずいて黙って料理の準備をしてくれた。 何とも言えないダシが効いた黄金色のスペシャルスープまで付けて頂いて、 店主はお代を受け取らなかった。 料理人の魂が

          父のすごい歴史~闘病歴終盤:続