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父のすごい歴史~闘病歴終盤:続

私はその最高級肉を父に届けるため、銀座「誠」を何年か振りに訪ねた。どきどきした。自分には敷居が高すぎるお店だったから。


店主に、涙を堪えながら父の病状を伝えて「お恥ずかしながら私は父のように多くの稼ぎがないので、そして父もほんの少ししか食べることができませんので少量のステーキを特別に売っていただけませんか。」店主はうなずいて黙って料理の準備をしてくれた。

何とも言えないダシが効いた黄金色のスペシャルスープまで付けて頂いて、


店主はお代を受け取らなかった。

料理人の魂がこもった料理を受け取った気持ちで、何だか深い人の温かさを感じた。

父に届けると、とてもとても喜んでくれた。料理と人の力ってすごいと思う。


季節はあっという間に夏から冬になっていた。

父がしっかりと記した闘病ノートは続く。

■同2003年12月26日

食道がん・放射線治療継続の為、「貧血」の為入院。

▢翌2004年1月17日退院。

この年、父はベッドでの年越しとなった。

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「鏡で久しぶりに体を見たら、骨と皮しかないみたいで、本当にみっともない体になったな~と思うよ、はははは」

と笑っていた父。

■2004年3月11日

食道がん放射線治療継続・放射線による肺炎・貧血・肝硬変併発にて入院。

▢2004年4月2日退院。


■同年退院から3日後、体調悪化4月5日入院。

▢同年4月20日退院。


■同年9月27日 左胸 気胸・うっ血性胃症併発。入院。

▢同年10月8日退院。


■10月26日アンギオ・腹部血管造影の為、入院。

▢11月4日退院。


■11月26日 左胸 気胸 入院。

▢12月1日退院。


入退院の日々であった。

そしてなんと、ここにきて肝臓がんが再発する。

体にメスを入れるのは、もうどれだけ危険な状態であったか。

父は相当考え、何度も医師に相談をし、出した答えは「肝臓がん摘出手術」だった。

私は手術了承のサインをする時、さすがの父でも今回の手術は最悪な状況もあるだろうと考えてしまった。


■12月7日入院。 10日肝臓がん切除手術決行。

▢12月26日退院。

なんとか手術は成功。退院までできたのであった。





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