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最期、家族が揃うまで待っていてくれた父

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体調も回復傾向だった父の家へ、母とお寿司を届けにいって、会話を楽しんだ。

これが最後の会話になるなんて、全く思わずにいた。

父の最期は病気ではなく、走ってきたバイクとぶつかった交通事故だった。

警察に呼ばれ、仕事を投げ出して病院に走った。

途中、母、妹へ連絡をいれた。

私が最初に病院に到着した。ICUに案内され父と会った。

意識不明、後頭部を強く打った為、頭部から出血していて、たくさんの管が父の体に通されていた。顔にはアザが出来ていた。

何を話しかけたか覚えていない、危ない状態であることはすぐに理解ができた。

医師には「意識が戻らず移動も大変危険で、手の施しようがありません。」と言われた。

母が到着した。

父へ必死に話しかけている私と母に、医師が声を掛けてきた。

医師「少しお伺いしたいことがあるのでよろしいですか。」

父は事故にあい今朝救急搬送され、さまざまな救急処置をしていただく過程でレントゲンを撮った様で、

医師は父のレントゲン画像をみせて話はじめた。

医師「もしかしてお父様は病歴がありますか。お父様のお財布にはあと数日後に定期健診という内容が記された診察券が入っていました。」

私は父の病歴の大枠を説明した。

すると医師は、

医師「あぁ、、そうだったのですね。それはだいぶ頑張ってこられて。実は、お父様ですが、ここに影が出ているんです。これは、ガンでしょう。」

またか、また再発したんだ。どれだけ体にメスと薬を入れて戦ってきたか。この事故の衝撃に加えて、ガンに対しての恨めしさ、悔しさがこみあがってきた。

しかし、ふと。余命1年と言われ、大きな手術を積極的にトライして日々の生活に死ぬほど努力を重ねて11年間も生きた。医療費が嵩み、経済的に、まるで天の様な暮らしから、まるで地の様な暮らしになったっていつも笑って父は現実を受け入れて乗り越えてきた。

「もうこれ以上がんばらなくても大丈夫、身体をどうかどうか休めてください。」

まるで天の声の様だった。この台詞が頭に響いて聞こえたのだった。

本当に頭に響くようにはっきりと聞こえた。

私はその声に素直に導かれる様に、事故は悔しくてもちろん悲しくて溜まらなかったがその感情の中で「そうか。」とどこか気持ちを落ち着かせるものがあった。

しかし父のことだ、ものすごい生命力で何度も私たちを驚かせてくれて、今回も瀕死状態から復活するのではないか、

と儚くもそんなことも思いながら、どんどん冷たくなっていく父の手や足を、母とさすって温めた。

父がいちばん可愛がっていた妹が到着した。

見ているのが辛いほど、大好きな父の前でしばらく泣き崩れていた。

これで家族が皆揃った。

まるで、妹を待っていたかのように父は静かに息を引き取った。




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