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【エッセイ】三点リーダーの数を指摘してもらうために、二次創作を書いたんじゃねぇんだ…!

「尊い」「いっぱいちゅき」「すこすこ」「沼に落ちたわ」

これは上記の言葉がまだ二次元を愛するヲタク達に浸透していない頃。
もう少しだけ具体的に言うと、今から10年以上前のこと。

当時は、「カクヨム」「小説家になろう」「note」「Twitter」などのネット小説に特化サイトやSNSはなく、携帯小説が流行していた。しかし、携帯小説サイトに読みたいものはなかった。まったく興味を持たなかった。

なぜなら、当時の私は二次創作に恋焦がれていたのだから。

漫画やアニメなどの作品を基にファンが創作した作品にハマっていた。

自分の好きな作品関連の二次創作小説サイトで、非公式カップリング作品や、ファンが考えた二次創作オリジナルストーリーなどを読みふけっていた。公式では描かれない「あれやこれや」がいっぱい読めた。

もし当時から「尊い」が流行していたら、
赤くなった顔を両手で覆いながら、
「尊い……しゅきぃ……!」と両足をバタバタさせていただろう。

さて、読みたい二次創作作品を読んでいくうちに、
ある欲求が、空気を入れた風船のようにだんだん膨らんでいく。


書きてぇ!!


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もう書きたくて、書きたくて、溜まらなくなっていた。
自分の妄想を作品にしてみたくなり、その欲求を抑えることが出来なくなっていた私は、人生で初めて小説を書いた。
とにかく自分の好きを無我夢中になって創作した。

幸い、書く勢いは奇跡的に衰えることもなく、書き終えることができた。
(とは言っても、原稿用紙に換算して5枚にも満たない掌編だったが)

さすがに小説をサイトに投稿する直前は、何度も深呼吸していた。
これから自分の作品が読まれるんだ。あの時、マウスを掴む指先が震えていたのを今でも覚えている。

書き上げた作品を読んだ人がどんな感想を言ってくれるのか。
私は覚悟を決めて、投稿ボタンを強く押した。

数秒も経たないうちに、私の書いた小説の作品名が投稿サイトに掲載された。

これが、私の物書きデビューの瞬間でもあった。

並んでいる。
自分の小説がみんなの作品と一緒に並んでいる。

ドキドキが止まらなかった。

投稿されて間もないのに、自分宛てにコメントが届いているか、何度も確認していた。まるでクリスマス前夜、サンタクロースからのプレゼントを待つ子供だった。

「まだか、まだか」と私は鼻息を荒くしてコメントを待っていた。

ついにその時がやってきた。

『感想1件』と小説のタイトルの隣に表示されていた。

『財部さんの作品いいですね!とても面白かったです――』

初めて自分の作品に感想を貰った時、
正直、自分を知る人達に褒められるよりも、嬉しくて溜まらなかった。
自分を知らない誰かが、私の作品を読んでくれた。
さらに感想まで書き添えてくれた。

自分が認められたような気持ちで胸がいっぱいになった。

そのコメントがより二次創作に熱意を膨張させるきっかけになった。

しかし、である。
先ほどから私は『小説を書いた』と言っているが、
それは『小説とも言えないもの』だった。
どういうことかと言うと、

A「Bくん、おはようございます。」
学校に向かう通学路を歩いている途中、背後からBの声がした。振り返ってみると、いつもとどこか様子が違う雰囲気がした。
B「A、おはようお前、普段低血圧だっけ?」
A「どうしてそんなことを聞くんですか?」
B「何かいつもより眉が吊り上がっているというか、眼が鋭いというか。」
A「…私の顔は元からそうです!…まぁ、あなたの言う通り、ちょっとトラブルに遭いまして」

私は初めて書いた『小説』はこういった形式だった。
自分の読み漁っていた作品の中には、この構造で書かれている作品は少なくなかった。この構造は『脚本』あるいは『SS』に近い。

当時の私は、自分の書いた物語は『小説』だと信じていた。

そして、作品をいくつか投稿するようになって、しばらく後の事だった。

ある一つのコメントが私の目に止まった。

『財部さん、三点リーダーの数が間違ってますねぇ――』

『好き』『面白い』などの言葉は何もなかった。

そこに書かれていたのは、小説技法の指摘だった。

・小説の三点リーダー(…)は基本、六つ(……)。(偶数と覚えればいい)
・説明と描写の区別が出来ていない
・セリフの前に名前はいらない
 →例:× ▼▼「おはよう、〇〇さん」 〇 「おはよう、〇〇さん」
・セリフのあとに「。」はいらない
 →例:×「おはよう。」  〇「おはよう」

コメントは、小説を書くルールを書き綴られている内容だった。

当時の私にとってその感想は、不愉快だった。

”何故なら、自分の書いた小説の感想は何一つ書かれていなかったから”

仮にプロの作家を目指すアマチュアが集まるサイトに投稿したのであれば、
その感想は甘んじて受け入れていたはずだろう。

しかし、私が投稿している小説サイトは、
自分の好きをただただ純粋に披露したい人たちが集まる場所だった。
だから、創作を楽しめれば、それだけでよかった。

「…」の数が違うと指摘されるために小説を書いたんじゃねぇ。
こちとら、作品の感想が欲しいんじゃい!

それに対して返答はしなかったが、これが当時の私の心の叫びである。

ちなみにその感想を述べた者は、他の者に対しても同じことを書いていた。
まるで『楽しい』を重きに置いていた部活に、『ガチ』のやつが入部してあれこれ言ってくる人間。あるいは頭が固すぎる国語の教師

それからというもの、私は観ているだけだったが、投稿サイトのチャット欄では、小説技法指摘するマンと純粋に創作したいマンの言い争いが勃発していた。

ご存知の通り、大抵のネットの言い争いは、水掛け論だ。
主観と客観の入り混じった長文の羅列が、チャット欄から次々流れていく。

『自分の考えこそが正しい』
お互い、一歩も譲る気配はなかった。
相手を認めることが『敗北』だと考えていたからかもしれない。


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気づけば、私の膨らんでいた創作の風船は、パンッと弾けてしまった。
破裂した風船にどれだけの空気を入れても、二度と膨らまない。

もう、書くのをやめよう。

それから私は創作から離れて、別のことに没頭した。

新しい創作の風船を見つけるまでに、私は時間がかかった。
タチの悪いことに、あの指摘者の呪いが私の執筆を邪魔する呪いになっていた。

もし面白くないと言われたらどうしようとか、
自分の好きが伝わらなかったらどうしようとか、
描写じゃなくて説明になっていたらどうしようとか、

幾何の不安を抱え込むようになっていた。
創作の風船は空気を入れては膨らむが、不安になればすぐに萎む。
それをずっと繰り返していた。

そんな精神状態で書いているものだから、
自分の文章を『くだらない』と責め続けていた。
いつの間にか私は、文章を書き上げることが出来なくなっていたのだ。

この呪いが少し解けたのは、多分高校生ぐらいになった時だろうか。
(そのきっかけは、それはまた別の記事で書くことにしよう)

今の方が、文章力は以前より格段に向上していること間違いない。
創作から離れていた高校時代、読書感想文のコンクールで何度か賞を頂いたことがある。それが何よりの証拠だと私は思っている。

その反面、初めて小説を書いたあの時の方が、
『伝わらない』ことを怯えずに、文章を書いていたと思う。
もし時間が戻れるんだったら、
あの頃に戻って、無邪気に思うままに小説を書けるようになりたい。

小説の技法はもちろん正しい方がいいだろう。
けれど、私が一番欲しかったのは、

「尊い」「いっぱいちゅき」「すこすこ」「沼に落ちたわ」と言った感想なのだ。

せめて、小説の感想を一言でもいいから添えてほしかったなぁ。

細々と物書きをしている今でも、あの時の事を私は思っている。



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