タカモッチセンプー

逗子在住(2023年5月で移住1周年)。2023年5月より最愛の旅先・小笠原の連載開始…

タカモッチセンプー

逗子在住(2023年5月で移住1周年)。2023年5月より最愛の旅先・小笠原の連載開始。 朝ドラ「おかえりモネ」についてTwitterに呟くことが増え、呟ききれないと感じたことをきっかけにnoteをはじめた。 心が感じるまま本能的かつ野性的に書いていきたい。専ら趣味系。

最近の記事

最愛の旅先・小笠原 第14回 初のOgasawara Ambassador Meetingへ!

noteでのこの連載をきっかけに”小笠原アンバサダー”に登録前回投稿は2010年の2回目の小笠原への出発を書いたけれど、いちど時計の針を現在(2023年7月)に戻そう。 ”小笠原アンバサダー"という小笠原村観光局のプログラムは、おが友が何人か登録してたので知っていたけれど、しばらくの間、参加へのモチベーションが湧かなかった。 このたび、noteへの旅日記「最愛の旅先・小笠原」を続けてきて、アンバサダーに参加しようかなあというモチベーションが湧いてきたので、登録することに(

    • 最愛の旅先・小笠原 第13回 いよいよ2回目の小笠原へ

      稀有な経験をしたいと、硫黄島3島クルーズに合わせて行くことに前年(2009年)の初めての小笠原は人生の転機といえたが、これからさらなる転機が始まろうとしていた。 小笠原ユースホステル30周年記念パーティー以来、どうしようもなく小笠原に行きたくなってしまった。 それこそ、頭の髪の毛の先から、つま先の爪の先までの、全身の内臓や組織や細胞が、小笠原を激しく求めてしまっていた。 小笠原では何をしよう?資金の許す限り遊ぶことも考えられたけれど、遊びすぎてへとへとに疲れてしまうのは

      • 最愛の旅先・小笠原 第12回 初の小笠原ロス、ユース30周年記念パーティー

        2010年GW、初の小笠原ロスに。初めての小笠原からあと2か月で1年となる2010年のGW。何がきっかけになったのかは今となっては思い出せないが、小笠原が、無性に懐かしくなってきた。 初の「小笠原ロス=おがロス」だ(当時は「ロス」という言葉を使わなかったが、今風にいえばそうなる)。 去年撮った写真を見返したり、参加したツアーのお店のHPを見たり、 去年島で知り合ったひとたちはどうしているかなあと思ったり、 そして、小笠原ユースホステル(ユース)のHPものぞいてみた。す

        • 最愛の旅先・小笠原 第11回 最近のおがロスと、島じまん2023

          この春のおがロス強まるロス、竹芝におが丸の出港を見に。 2009年7月に初めて小笠原を旅してから、現在(2023年6月)までの14年間に、9回小笠原をリピートした。 これほどリピートしている旅先は他にない(宿泊を伴う旅先についてだ)。 記憶している限り、その次に行っていると思っている北海道は生まれてから現在までに6回かそこらだ。 この冬に体調を崩してしまった。自律神経失調症と睡眠障害。仕事が減ることとなり、代わりに回復のための時間的余裕ができた。現在は回復が進んできた

        最愛の旅先・小笠原 第14回 初のOgasawara Ambassador Meetingへ!

          最愛の旅先・小笠原 第10回 竹芝に向かうおが丸にて

          船内見学ツアーに参加2009年7月19日。父島出港の翌日の午前中、竹芝到着(15時30分)まではまだ時間があったので、船内見学ツアーに参加した(3代目おが丸の現在では、船内見学ツアーを実施していないようであるが、未確認。要問合せ)。 ガイドさんにエンジンルームや操舵室を案内していただいた。すでに引退している2代目おが丸。今振り返ると、当時見学ツアーに参加したのは貴重な経験だった。 エンジンの機械はすごいでかいなあと思い、操舵室の操舵パネルは広く、そして従事している乗組員さ

          最愛の旅先・小笠原 第10回 竹芝に向かうおが丸にて

          最愛の旅先・小笠原 第9回 出港の日、見送り船!

          小笠原滞在最終日、母島を出港2009年7月18日。小笠原滞在の最終日だ。母島を10時40分に出港、父島に12時50分に入港しておがさわら丸に乗り継いで、14時に父島を出港する。 10時30分までには母島の沖港に到着していた。父島でおがさわら丸に乗り継ぐ人が多いからか、乗船する人と見送りの人とで沖港はとても賑わっていた。アンナビーチのオーナー夫婦とホステラーさんたちと記念撮影して、ははじま丸に乗り込む。 ははじま丸のデッキの上にいる自分たちに手を振ってくれるアンナビーチのみ

          最愛の旅先・小笠原 第9回 出港の日、見送り船!

          最愛の旅先・小笠原 第8回 母島の北港と乳房山

          母島の北を目指して南に向かった次の日、原付で北に向かった。 北への道は、アップダウンが急な上、道が狭くなっているところが多く、対向車が少ないとはいえ皆無ではなく、原付の運転には気を使う。スピードは出さないようにした。 もっとも、父島もそうだけど、島ではスピードを出すことに快感を覚えない。島時間と同じように、のんびりと走った方がかえって気持ちがいい。 原付で行ける最北端は北港。東屋の先に広がる水平線は、吸い込まれるようにいつまでも見ていたくなる。 このときは海をぼーっと

          最愛の旅先・小笠原 第8回 母島の北港と乳房山

          最愛の旅先・小笠原 第7回 初めての母島

          ははじま丸に乗って2009年7月14日、朝7時30分出港のははじま丸に乗るため、ユースのヘルパーさんに父島二見港まで送ってもらった。 このときは確か、室内のカーペット敷の部屋と、デッキを行ったり来たりしつつ、デッキからは離れていく父島や、船について舞うカツオドリや、ボニンブルーの大海原を眺めていた。 マッコウクジラやイルカはこのとき見れたかなあ。2010年にリピートしたときのことについては後日投稿するけれど、そのときのははじま丸からはジャンプするハシナガイルカを見た記憶が

          最愛の旅先・小笠原 第7回 初めての母島

          最愛の旅先・小笠原 第6回 のんびり父島時間

          父島出港日のユースの「出港カレー」ユースでは、おが丸が父島を出港した日の夕食には「出港カレー」という特製のカレーが2種類出る(2航海以上の滞在でありつける!)。このときは写真を撮っていないのだけど、ひとつは玉ねぎ、にんじん、じゃがいもと鶏肉がごろごろ入ったまろやかな中辛のカレー(どう呼ばれてたか思い出せない・・・)。もうひとつは、島とうがらしが効いていて、島野菜や、隠し味的に島バナナ(島バナナだったか・・・)が煮込まれている辛口の島カレー。 どちらも食欲をそそり、どんどんご

          最愛の旅先・小笠原 第6回 のんびり父島時間

          最愛の旅先・小笠原 第5回 初めての「見送り船」は、見送る方!

          その前に〜ユースの名物”出港パーティー”小笠原ユースホステル(ユース)では、父島出港の前夜に”出港パーティー”が開催される。 出港パーティーは、翌日の父島発おが丸に乗る人の(夕食を兼ねた)送別会。食事もドリンクもパーティー仕様となり(出港パーティー代は夕食代に上乗せされる)、 オーナー、ヘルパーをはじめ、飛び入りでホステラー(ユースの宿泊客)も、音楽や踊りなどの出し物で盛り上がる(ホステラーに出し物を強制されることは一切ないのでご安心を)。 ラストはいつも、オーナーの奥

          最愛の旅先・小笠原 第5回 初めての「見送り船」は、見送る方!

          最愛の旅先・小笠原 第4回 初めての海あそびたち

          父島2日目 初めてのシュノーケリングシュノーケリングをやったことがない。なので、シュノーケリング講習のあるツアーに参加した。 お店はパパスダイビングスタジオ(執筆日時点でHPのツアーメニューに無いため、シュノーケリング講習については問い合わせを)。 ゴーグル、シュノーケル、フィン(この3つを3点セットという)、そしてウエットスーツ、全て持っていなかったのでレンタルした(ツアー代にレンタル料が含まれていたと思う)。 ツアーと講習は製氷海岸だった。枝珊瑚のある海岸。 レッ

          最愛の旅先・小笠原 第4回 初めての海あそびたち

          最愛の旅先・小笠原 第3回 父島に初上陸!

          お出迎えの第一声に「???」おが丸が父島二見港に着岸し、初めて小笠原諸島に足を踏み入れた! 下船してターミナルに向かって左側、小笠原ユースホステル(以下「ユース」)のヘルパー(スタッフ)が待っているところに向かった(ユースのプラカードを持って待っている)。 ヘルパーのお出迎えの第一声。聞くのはもちろん初めてだった。今となっては全く抵抗なく受け入れるばかりか、言われて心から嬉しく感じるのだが、初めての自分にとっては「???」とならざるを得ず、少なからぬインパクトがあった。

          最愛の旅先・小笠原 第3回 父島に初上陸!

          最愛の旅先・小笠原 第2回 初めてのおがさわら丸

          はじめに〜なぜ「小笠原」が頭に浮かんだんだろう前回の投稿で「いろいろと考えているうちに、頭に『小笠原』という言葉がパッと浮かんだ」と書いたけれど、なぜそうなったのか? 理由とか経緯とか覚えてなくて、今となっては推測しつつ考えるしかないけれど、 そもそも、海のあるところ、海に触れられるところを求めたのは本能的かつ衝動的なもので、論理や思考によるものとは異なるものか、超えるものではないだろうか。 一方で「小笠原」という場所、父島や母島という島は、これまで行ったことがないいせ

          最愛の旅先・小笠原 第2回 初めてのおがさわら丸

          最愛の旅先・小笠原 第1回 知ったきっかけ

          会社を退社して生まれた時間。旅先を考え始めた。2009年3月。勤めていた会社を辞めた。激務が続いてメンタルを壊してしまい、1年前から休職していたが、復職できず、辞めることに。 少しは回復が進んでいたのだが、仕事への意欲が湧かなかったこと、さらに再び激務に戻ることになってしまうと思われて復職が嫌だったように思う。 辞めたことにより、時間が生まれた。休職した1年前よりも健康を少しは回復したという点では、質の高い時間が生まれた、といえる。 退社して何週間か経って、旅をしたいと

          最愛の旅先・小笠原 第1回 知ったきっかけ

          おかえりモネ、あと3週。2021年10月7日の地震の戦慄と、大震災で被災された方の心情に思いを馳せる。

          はじめに〜2021年10月7日夜の地震は怖かった筆者は、神奈川県川崎市に在住しています。その日の夜は、自宅にて写真の「おかえりモネメモリアルブック」を読んでいました。読み耽っていると突然大きな揺れが! 「また(大震災)なのか!」と、戦慄が! 頭では、日本は地震国だから地震は必ず発生するとは分かっているつもりでも、いざ発生すると、恐怖心に囚われてしまいます。本当に、地震は突然にやってきます。 筆者は東日本大震災の日も川崎市に在住していたため、被災こそしなかったものの、棚の

          おかえりモネ、あと3週。2021年10月7日の地震の戦慄と、大震災で被災された方の心情に思いを馳せる。

          おかえりモネでイメージする佐野元春〜東京編を終えて(後編)

          情けない週末(アルバム BACK TO THE STREET 1980年)第16週・第80回でモネを抱きしめた2016年11月以来、モネとの愛を育み、遠距離恋愛を経て、2019年9月には(第19週・第91回)モネにプロポーズした菅波。しかし、モネが気仙沼に帰郷する決意をしたことによって結婚を「保留」することに。 そのような状況を見て思いついた佐野さんの楽曲が「情けない週末」でした。菅波の想いはもしかしたらこのリリックのようなものかもしれないと、思いをめぐらせながら。 “

          おかえりモネでイメージする佐野元春〜東京編を終えて(後編)