最愛の旅先・小笠原 第9回 出港の日、見送り船!
小笠原滞在最終日、母島を出港
2009年7月18日。小笠原滞在の最終日だ。母島を10時40分に出港、父島に12時50分に入港しておがさわら丸に乗り継いで、14時に父島を出港する。
10時30分までには母島の沖港に到着していた。父島でおがさわら丸に乗り継ぐ人が多いからか、乗船する人と見送りの人とで沖港はとても賑わっていた。アンナビーチのオーナー夫婦とホステラーさんたちと記念撮影して、ははじま丸に乗り込む。
ははじま丸のデッキの上にいる自分たちに手を振ってくれるアンナビーチのみなさんに手をふりかえし、ははじま丸が出港すると「いってらっしゃーい」「いってきまーす」と、あたかもエールを交換するかのように、声をかけ合う。
このときは、母島の島民なのか、旅人なのかはわからないが、ひとり、岸壁から海に飛び込んで見送ってくれたアツいひとがいて、印象に残った(この記事に掲載はしないが写真には収めてある)。
ははじま丸が出港して1時間以上経ち、厚い入道雲をかぶった父島が見えてきた。
そして父島出港、見送り船!
ははじま丸が父島に到着した。おがさわら丸の乗船手続きをして、クジラのモニュメントの前へ。ユースのみなさんとの記念撮影に混ぜてもらった。
小笠原旅の後半は最後の夜まで母島で過ごし、父島のユースでは過ごさなかったけれども、前半で一緒だったホステラーのひともいて、話が弾んだ。
話をしているうちに出港時刻14時が近づいた。乗り遅れないよう、おがさわら丸に乗り込む。
デッキから港を見下ろすと、改めて、見送りに来ているひとがとても多いので驚いた。仕事中のひとですら仕事の手を休めて見送りに来ていると思えるほどだ(そうではなく見送りも仕事で。いや、見送りは仕事以上のもの、人生そのものではないだろうか?仕事どころではないのではないか!?)。
ユースのひとも多くて、みんなデッキのほうに手を振ってくれている。こちらも、手を振りかえす。
そして、出港の「ドラ」が鳴り、
おがさわら丸が岸壁を離れた。
ユースのみんなから、「いってらっしゃーい」の大合唱!!
デッキの自分たち、出港組も、「いってきまーす」と大きな声で返した!!
おがさわら丸がどんどん岸壁から離れ、船の向きを変えて、竹芝に向けて前進を始めた。
そして、たくさんのツアー船が、次から次へとおがさわら丸を追いかけてきた!!
「見送り船」の始まりだ!!
どの見送り船からも、「いってらっしゃーい!」と、おが丸にエールを送ってくれる!
おが丸の自分たちも、
「いってきまーーーす!」
「ありがとーーー!」
と、感謝の思いとか、元気であることを祈る気持ちとか、楽しかった思い出とか、
様々な想いを込めて、見送り船に「声援」を返したり、送ったりするのだ!
そして、見送り船が止まると、乗っている人たちー島民のひとや、まだ滞在するひとたちーが、一斉に海に飛び込む。飛び込みに熱い気持ちが入っている!
あゝ、もっと見送りダイブの写真を撮っておくべきだった(今ならスマホで動画も撮る)。
でも写真や動画を撮ることにあまりとらわれたくない。
精一杯リアルで観て、想いを込めて「いってきまーーーす」と言って、おが丸の出港から、見送り船の最後の1隻まで、さらにはユースに宿泊したならば、光通信の光が届かなくなるまで、全身の記憶に焼き付けたいものだ!
(「光通信」とは、父島のウェザーステーションと、父島を出港したおが丸の船尾のホステラーとの間で、それぞれ手鏡に日光を反射させて互いのところに光を送りあうもの。詳しくは改めての投稿にて)
PAPAYAの船がやってきた。お世話になったガイドさんもいた。このときのPAYAY Aも確か「トリの」(海上保安庁の船を除いて「最後の」)見送り船だったと思う。すでに他の見送り船のエールや見送りダイブで感極まっていたこともあって、
「パパヤーーーーー!ありがとーーーーーー!」
と全力で叫んだ!
PAPAYAの見送りダイブの写真を撮っていない。見送りダイブに感極まっていたので、撮るどころではなかったと思う!
最後は、海上保安庁の船。見送りダイブという、感動的なドラマに幕を引くかのように、おが丸の方に手を振っていた。
海上保安庁の皆さまありがとうございました!
おわりに〜離れていく父島、心の底での決意
見送り船、見送りダイブを経験して、心の底で
「また必ず行く!」
と決意していたに違いない。時期までは決められなかったにせよ。
内地の生活に戻ってしばらくは小笠原を思い出すことはだんだん少なくなったが、のちのち、小笠原がすごく懐かしくなり行きたい気持ちが湧いてしまう(今風に言えば「小笠原ロス」)ことに、この時にはまだ気がついていなかった(初めての小笠原ロスは翌年2010年に起こるが後日投稿する)。
父島がどんどん離れていく。
ありがとう、小笠原。ありがとう小笠原のみなさん。
ボニンブルーよ、いつかまた!
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