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最愛の旅先・小笠原 第5回 初めての「見送り船」は、見送る方!

その前に〜ユースの名物”出港パーティー”

小笠原ユースホステル(ユース)では、父島出港の前夜に”出港パーティー”が開催される。

出港パーティーは、翌日の父島発おが丸に乗る人の(夕食を兼ねた)送別会。食事もドリンクもパーティー仕様となり(出港パーティー代は夕食代に上乗せされる)、

オーナー、ヘルパーをはじめ、飛び入りでホステラー(ユースの宿泊客)も、音楽や踊りなどの出し物で盛り上がる(ホステラーに出し物を強制されることは一切ないのでご安心を)。

ラストはいつも、オーナーの奥様みなこさんの「アオウミガメの歌」に目が潤み、ご主人ひとしさんのリードで「切手のないおくりもの」をみんなで歌って、同じ屋根の下で何日かを過ごした”おが友”みんなの一体感を感じながら、盛り上がってフィナーレを迎える。

このとき(2009年7月の初めての小笠原)は、「送り出す側」としてのみの参加。旅程の後半で母島にわたり、小笠原最後の夜は母島で過ごしたため、「送り出される側」としてユースの出港パーティーに参加しなかった。2010年にリピートしたときに初めて出港パーティーで「送り出される側」を経験することになるので、その時のことは後日の投稿で。

「見送り船」〜おが丸の父島出港は、お祭り!

おが丸の出港は、島を挙げた一大イベント。とてもたくさんの人で賑わう。竹芝に向かうひとたち。旅人を迎えた宿の人たちやツアーのガイドさんたち。仕事で来島した人を見送る仕事仲間も少なくないようだ。

岸壁に響き渡る太鼓の音が、航海の無事を祈り、おが丸に乗る人たちへエールを送っているようだ。

出港は航海の始まりであり、旅の始まりであり、新しい人生の始まりであるということは、このときはまだ実感が湧かなかったのだが、初めての小笠原から14年が経とうとする今、振り返れば、時間をかけてだんだんと実感を深めていったように思う。

くじらのモニュメント前ではユースのホステラーとヘルパーみんなで記念撮影(ひとしさん、みなこさん、一部のヘルパーがシャッターを切る)。

さあ、おが丸が出港する!

今回、初めての小笠原にして初めて「見送り船」に乗らせてもらうことになった。確かPAPAYAの船だった。

おが丸からは、乗り込んだ全員がそうしているんじゃないかと思うほど多くの人が、見送り船に向かって手を振ったり、「いってきまーす」と声をあげたりしている。

見送り船に乗った自分はこのとき「いってらっしゃーい」と大きな声で返したと思う。何度も。

前もって、見送り船から海に飛び込むって話は聞いていたけれど、このときは飛び込む勇気はなく、飛び込みを眺めるだけだった。大海原でおが丸を見ながら次から次へと飛び込んでいく光景は圧巻だった。飛び込む人たちに向けておが丸から拍手する人も多い。

見送り船から飛び込んだひとたちが、離れていくおが丸を見送る。

すごいなあ。

このときは、見送り船からおが丸や他の見送り船を眺めたり、飛び込むひとを見るだけではあったのだが、出港というお祭りに、ただただ、そう思った。

でも、この経験とその思いが、時が経つにつれて熟成されたかのように、翌年も小笠原にリピートし、見送り船から初めて飛び込むとか、青灯台から飛び込むとか、新しいアクションにつながったと思う(このときはまだそうなるとは思えなかったが)。

おわりに〜ウェザーステーションからの夕日

見送り後の夕方、ウェザーステーションに夕日を見にいった。午前はドルフィンスイムと南島のツアー、午後は見送り船と、新しい経験の、濃い一日が終わろうとしている。


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