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最愛の旅先・小笠原 第13回 いよいよ2回目の小笠原へ

稀有な経験をしたいと、硫黄島3島クルーズに合わせて行くことに

前年(2009年)の初めての小笠原は人生の転機といえたが、これからさらなる転機が始まろうとしていた。

小笠原ユースホステル30周年記念パーティー以来、どうしようもなく小笠原に行きたくなってしまった。

それこそ、頭の髪の毛の先から、つま先の爪の先までの、全身の内臓や組織や細胞が、小笠原を激しく求めてしまっていた。

小笠原では何をしよう?資金の許す限り遊ぶことも考えられたけれど、遊びすぎてへとへとに疲れてしまうのはどうかなぁと、適当にのんびりして適当に遊ぶのがいいなあと考えていたと思う。

その一方で、小笠原ならではのこと、これまでの人生においてなかなか経験できなかったことを経験したいなあと考えていた。

出発の時期は前回と同じ7月にしようと思っていたところ、小笠原海運のHPを見て「硫黄島3島クルーズ」の案内を見つけた。太平洋戦争の激戦地だった硫黄島をはじめ、秘境としての南硫黄島と北硫黄島。

硫黄島3島クルーズこそ、これまでの人生で経験しなかったことであり、稀有な経験になりそうだ!と思い、このクルーズの日程に合わせ7月3日に出発することに決めた。

2010年当時の「硫黄島3島クルーズ」のチケット(会員券引換証)

おがさわら丸のチケットは、竹芝発7月3日、父島発7月30日で予約した(結局は滞在を延期し、父島発は後ろにずらすこととした)。

なお、投稿日(2023年6月29日)当日は、コロナ禍を経て4年ぶりに硫黄島3島クルーズの便が竹芝を出港する日だ。感慨深いものを感じる。

竹芝を出港、そして2度目の父島上陸

このときには小笠原諸島は「世界自然遺産候補地」となっていた。竹芝に向かう途中の、島嶼会館(建て替え前)の垂れ幕が印象的だった。

ヘッダー写真の世界自然遺産候補地を示す横断幕も当時を物語っている。

2度目のおがさわら丸。知っている人がいるか探したような気もするが、いなかったと記憶する。

しかし、これから始まる1か月の滞在で知り合いがたくさんできることとなり、2023年の今に至る「おが友」もできることとなり、以後、竹芝発のおがさわら丸では知っている人を毎回探すようになった(竹芝での再会を喜んだ時もあれば、再会できなかったこともある)。

竹芝を朝10時に出港、25時間半の船旅を経て、翌日11時30分に父島二見港に到着した。

出迎え船の社名が"CHICHIJIMA TAXI"から"OGASAWARA KANKOU"に変わっていた!
スチールパンの演奏が印象的だった
IUCN(国際自然保護連合)の訪問を歓迎していた
小笠原ユースホステルの看板みっけ!

父島二見港に、2度目の下船。こんどは、何の抵抗感もなく、

「お帰りなさーい!」

「ただいまー!」

と、挨拶を交わし合えた!

一休みしたら、いよいよ硫黄島3島クルーズが始まる。その様子は、次回投稿で!

【2023/7/9追記】次回投稿では、7月8日に参加したOgasawara Ambassador Meetingについて書くことにしたため、2010年の硫黄島3島クルーズについては、次々回の投稿といたします。

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