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おかえりモネ、あと3週。2021年10月7日の地震の戦慄と、大震災で被災された方の心情に思いを馳せる。

はじめに〜2021年10月7日夜の地震は怖かった

筆者は、神奈川県川崎市に在住しています。その日の夜は、自宅にて写真の「おかえりモネメモリアルブック」を読んでいました。読み耽っていると突然大きな揺れが!

「また(大震災)なのか!」と、戦慄が!

頭では、日本は地震国だから地震は必ず発生するとは分かっているつもりでも、いざ発生すると、恐怖心に囚われてしまいます。本当に、地震は突然にやってきます。

筆者は東日本大震災の日も川崎市に在住していたため、被災こそしなかったものの、棚の置物や本棚の本は落ちたりし、何より揺れの大きさに

「ついにこの日が、来てしまったか!」

と、地震で死ぬんじゃないかという、瞬間的な恐怖に襲われ、その感覚は、揺れの感覚とともに、10年という長い時間が経過した今でもかなり記憶に新しいほうです。

まして今、東日本大震災発生から10年の節目に、犠牲になった方を追悼し被災された方に祈りを捧げるように、連日熱演がくりひろげられている「おかえりモネ」放送中のタイミングに発生した今回の地震は、

“「おかえりモネ」での演技を通して表現されている「心の傷」をしっかり直視して、実際に被災された方の心情についてもっと知るように努めるとともに、自分自身のこれまでの人生で抱えた心の傷についても、しっかり向き合って見て、癒しに努めよう。“

ということを示唆しているように感じられました。

現実世界とシンクロする「おかえりモネ」は「大自然からの啓示」と位置付けられる

それにしても「おかえりモネ」、第57回で宮城県に大型台風が迫るシーンにリンクするように、現実世界でも7月28日に宮城県石巻市付近に台風が上陸したり、

第66回で土砂災害のシーンが描かれ、現実世界では7月3日に静岡県熱海市で土石流が発生するなど、

現実世界とドラマとの偶然とは思えないようなシンクロが多く、「おかえりモネ」は「大自然からの啓示」として、心して見なければならないようドラマであると位置付けられます。

東日本大震災の「心の傷」を、未知、亜哉子を通して見る

筆者には、岩手県、宮城県、福島県に知人がいないため、東日本大震災で被災した現地の知人もいません。被災者の現状については、ニュースなどの報道番組で被災された方のインタビューを見て聞いて知りうる程度の知識しかありません。

この点「おかえりモネ」では、登場人物〜出演俳優の迫真の演技〜を通して、被災された方が負ったであろう「心の傷」を、否応なく想像することになりました。

具体的には10月8日までの第21週(第100回〜第105回)。連日、涙なしでは見られませんでした。

未知の場合

亮に想いが伝わらない、振り向いてもらえない未知。
未知は、百音のように「誰かの役に立ちたい」と言葉にはしなかったけれども、地元に残って水産試験場で仕事をしつつ、誰にも負けない程に「誰かの役に立つ」「地元の役にたつ」「亮くんに寄り添って力になりたい」と一生懸命、自己を犠牲に、努力をしてきました。
自己を犠牲にしすぎて、自分が何をやりたいのかも、よく分からなくなってしまった・・・
だからこそ、第102回ラストから第103回にかけての、未知の百音への「魂の悲鳴」には、涙が溢れて止まりませんでした。

筆者は、百音も未知も、愛情深く、心根優しいという点では共通していると思っています(永浦家の全員がそうですね)。
もっとも、百音は津波を経験せず、地元から離れた(離れざるを得ないほど心に傷を抱えたから)のに対し、未知は津波を経験し、地元を何とかしたいとの思いと亮に寄り添いたい気持ちから、地元に残ったという違いがあります。
この違いは、百音が「100%自分のためでもいい」などの様々な考え方を東京で学び、気象予報士の仕事をライフワークとして見出したというドラマ上の今(2019年11月)に、
未知は亮を含めた地元のひとたちの役に立とうという気持ちが強まって自己を犠牲にし過ぎたというドラマ上の今(2019年11月)につながっています。
自己を犠牲にし過ぎても、亮と気持ちが通じ合うなどの「労苦が報われれば」未知はボロボロにならず幸せを感じたかもしれない。しかし亮と気持ちが通じ合うこともなくボロボロの状態で今に至ってしまった。未知の「叫び」を見て、いたたまれない気持ちになってしまいました。

百音が、未知にどう接していくか、寄り添っていくのか。未知に癒しはあるのか。あと3週、百音がその答えを出すのを、しっかり見たい。

亜哉子の場合

あかりちゃんが亜哉子をたずね、あかりちゃんが「(気仙沼に)戻りたくなかった」と本音を言いました。被災したのは小学校2年生、6年経っても「戻りたくなかった」というところに「心の傷」を感じます。そのことをずっと伝えられなくて、あまりにも苦しかっただろうと想像します。亜哉子に言うことができて本当によかった。

そして、あかりちゃんと再会したあとの夜(第104回ラスト〜第105回冒頭)。大震災の夜を思い出した亜哉子の言葉になった痛みに、また涙が。

小学校2年生の教え子のことを考えることができず、百音と未知のこと以外考えることができなかった、学校を出て行こうとした10分間。教師をもはや続けられないという自責の念。
それらをずっと「痛み」として抱えてきたこと。視聴者として見ていて、涙するしかありませんでした。

極限の状態で、生みの母親が子どものことしか考えられなくなるのは当然というか、本能ではないでしょうか。しかも実際に学校から出て行くことなく我に帰って教え子の元に戻ったこと、亜哉子に責められるべき点は何もありません。でも、亜哉子もまた心根が優しいから自分を責めてしまい、責め続けてしまった。それがとても痛々しくて、涙が出てしまいました。

蒔田彩珠さんと鈴木京香さんの迫真かつ圧巻の演技によって、現実の被災者の心情について思いを馳せることになった

そして、現実世界ではきっと震災によって、未知のように、亜哉子のように、あるいはまたそれとは違う感情が湧き起こったり、傷を、痛みを負ったりして、

自由に他の選択肢を考えたり試したりできずに生き方を決めざるを得なくなった人、
これまでの生き方を変えざるを得なくなった人が少なからずいる、という想像をせざるを得なくなりました。

想像することしかできません。実際に痛みを経験することはできません。想像力にも限界がある。

それでも、おかえりモネというドラマにおいて、蒔田彩珠さんと鈴木京香さんの迫真かつ圧巻の演技は、可能な限りの想像を促した点において、偉大です。

おわりに

おかえりモネもあと3週、15回でラストシーンを迎えることになり、5月17日以来約5か月の間、ヒロイン・百音に伴走し、登場人物のみなさんに愛着が湧き、熱烈に応援しながら見てきました。

あと3週間で最終回を迎える。「おかえりモネが終わる」という現実を受け入れられるのか、心配もします。「モネロス」に陥るのは想定しています。

百音はあと3週で、どんな答えを見つけるのか、どんな答えが待ってるのか。

そのことは視聴者である自分も同じで、おかえりモネの最終回が終わった瞬間、どんな答えを見つけるのか、どんな答えが待ってるのか。

おかえりモネで佐野元春さんの「ロックンロール・ナイト」も感じていますが、今、そのような心境にあります。

残り3週間のクライマックス、全く見逃せません。全身全霊で見つめていきます!

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