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最愛の旅先・小笠原 第11回 最近のおがロスと、島じまん2023

この春のおがロス

強まるロス、竹芝におが丸の出港を見に。

2009年7月に初めて小笠原を旅してから、現在(2023年6月)までの14年間に、9回小笠原をリピートした。

これほどリピートしている旅先は他にない(宿泊を伴う旅先についてだ)。

記憶している限り、その次に行っていると思っている北海道は生まれてから現在までに6回かそこらだ。

この冬に体調を崩してしまった。自律神経失調症と睡眠障害。仕事が減ることとなり、代わりに回復のための時間的余裕ができた。現在は回復が進んできたが通院は続いている。

時間的余裕があって体調が回復してくると、心にだんだんと余裕ができ、心に余裕ができればできるほど、だんだんとやりたいことが浮かび上がってくる。今回のそれはーこれまでにも度々経験したのだがー小笠原が無性に懐かしくなり帰りたく(=旅したく)なってしまうという、

「おがロス=小笠原ロス」だ。

最後に小笠原に帰ったのはそろそろ4年前の、2019年7月。それ以来、島に帰れていない。

コロナ禍になり行動が制限されただけでなく、感染への怖れもあり、旅がほとんどできなかった。コロナ禍は正直言って苦しかった。

この4月になっておがロスはいっそう強まった。久しぶりに、竹芝におがさわら丸の出港を見に行ったくらいだ。

近しいおが友が出発する日ではなかったけれども、おがさわら丸や、小笠原に向かうひとたちの発する、「島」の雰囲気のある、どことなく楽しげな、ときおり懐かしさを感じさせる、そんな「場」にすごく触れてみたくなり、行った。

久しぶりの竹芝。そこでおが丸の出港の汽笛を耳にしたとき、思わず目に涙が溜まってしまった。

これまでの小笠原での、楽しかったり、嬉しかったり、美味しかったり、爽快だったり、驚いたり、ジーンときたり、ニュートラルになったり、淋しさを覚えたりした、さまざまなシーンが脳裏をよぎる。

懐かしい島時間に、感情がトリップした。

隙間時間にユースのブログを久々に読む

また、隙間時間には小笠原ユースホステル(ユース)のブログを久々に読んだ。おがロスになると読みたくなってしまう。

出港パーティーのこととか、ツアーのこととか、ユースの日常のこととか。読んで、帰島をあたかも追体験するのだ。

また、今では兄貴と姉貴のように感じているユースのオーナー夫婦、ひとしさんとみなこさん。どうしてるかなあ、とたまに思う。ブログを読むと近況もわかってほっとする。

最近のブログを読み進めたら、ずいぶん久しぶりに、いや、もしかしたら初めてか?読んで、すごくもらい泣きしてしまった投稿があった。

(2023年)3/31 出港日🚢🐬🐋✨

ヘルパーを務めていたこころさんの投稿だった(読んだときにはまだ会ったことがなかったが、「島じまん2023」でお話ができた。後述)。

3月最後の出港には乗り合わせたことが無いものの、内地に進学、就職、転勤する人たちが多数乗り合わせ、いつも盛大な見送りが、さらに盛大なものとなる「出発便」であることは知識として知っていた。

こころさんはこのときの様子を想いを込めてビビッドに伝えていた。小笠原への愛の熱量とか強度とか、島でお世話になったひとたちへのあふれる感謝の想いとか、ビンビンビンビン伝わってきて目に涙が溢れてしまった。

おがロスにいっそう拍車がかかってしまった。

5年ぶり開催の「島じまん2023」

島じまん2023

今年は開催されるのかなあ、5類に移行することだし開催してほしいなあ、と思いながらネットを検索して、島じまん2023のHPにヒットしたので、やったー!と心の中で叫び、

2018年に開催されて以来5年ぶりの上(2018年にも行っている。コロナの影響で長く開催されなかった)、おがロスになっているから、

行きたい!という欲求は、かつてなく高まっていた。

2018年は確か2日間のうち1日だけ行ったのだが、今回は、2日とも行きたいと思ったほどだ。結局2日間とも行けてとても嬉しかった。

小笠原諸島のブースやステージだけではなく、伊豆諸島のブースやステージも寄ったり見たりしているのだが(伊豆諸島の、まだ行ったことのない島もいつかは旅してみたい)、

自分のメインはやはり小笠原で、小笠原のステージに目を釘付けにした。動画を撮ろうかとも思ったが、集中力MAXで全身でステージを感じたく写真を撮ったあとスマホをしまったのだった。

南洋踊りのステージ、村長さん自らセンターで踊っていた。
打楽器「カカ」の演奏、太古から続く大自然を感じさせる

南洋踊り、カカのあとは、小笠原のフラ。写真を撮ること自体忘れてステージを見ていた。Okeiさんのウクレレと歌〜「大切なもの」「アオウミガメの旅」は心に沁みる。

特に「アオウミガメの旅」はユースの出港パーティーでのみなこさんの熱唱を思い出させ、目が潤んだ。

あゝ、小笠原に帰りたいなあ。

「島じまん」は、おが友の「同窓会」でもあるから行きたくなる。

小笠原が関係するイベントでは、特に待ち合わせとかしなくとも、知っているリピーターとほぼ100%の確率で会える。リピーター〜おが友の「同窓会」だ。

今回もそうだった。イベントでは必ず会うヘビーなリピーターのひとと、約4年ぶりに再会した(2019年9月に芝商業高校で開催された「小笠原の盆踊り」以来だった)。

彼に、ユースのリピーターみんなが集まっている場所に案内してもらうことができた。そこには、2017年のお盆にご一緒したリピーターの皆さんが揃っていた!

「お久しぶり!元気してた?」

近況やら、お会いしていない間に小笠原に行った人からはそのときの話とか、しばし話に花を咲かせた。

今はまだ体調が回復しないので夜の飲み会には行けない(昼でもお酒は飲まず、小笠原のパッションジュースなどソフトドリンクを飲んだ)のは残念だったが、その分、昼にたくさんお話をしたと思う。

そして、小笠原が関係するイベントでは、そこで初めて知り合うリピーターも少なからずいる(帰島せずして知り合いができるということなので、島ではまだ会ったことのないリピーターも少なからずいる)。

先に書いた感涙したブログについて2017年のお盆のリピーターにお話ししたら、(そのブログを書いた)こころさんが来ているよ、彼女がそうだよと、教えてもらえたので、思い切って話しかけた。

ブログでもらい泣きしたことをお伝えしたところ、とても喜んでいただけて、自分もとても嬉しくなって。短い時間ながら話が弾んだ。

このようなかたちで、ひととひととがつながっていく、ある種のマジックが小笠原にはある。

海も空も雲も星も太陽も波も、海鳥もイルカもクジラも魚たちも固有種たちも島のグリーンも、パッションフルーツも島レモンも島とうがらしもシカクマメも。

世界自然遺産・小笠原の魅力は本当にたくさんあるけれど、ひととひとのつながりができていくというのは、格別な魅力だと思っていて。だからこそ、14年間・9回の帰島をするほどのリピーターになったんじゃないかと思う。

おわりに

春のおがロスと、島じまん2023、そしておが友との再会と出会いを経て、今、新たな目標ができるに至った。

10月に50歳になる今年、10回目の帰島を果たしたい。

50歳も、10回も、人生の節目だ。帰島を果たしたい。しかしながら、そのハードルは決して低くはない。

まず体調回復、次に仕事の本格的な再開、そして帰島のお金を貯めるとともに帰島の時間を確実に作る。1航海では慌ただしいので2航海(最低11泊12日)できる時間を確実に作ることだ。

これらをクリアして初めて10回目の帰島を実現できる。楽ではないけれど、頑張って実現する。

そして、人生の節目ということもあり、初めての小笠原から、こんにちまでを振り返りたくなってきていて。

初めての小笠原から、どのようにして、「最愛の旅先」と言えるほどに小笠原がなったのか。自分の中で何がどのように動いていったのか。そのようなことを思い出して記録として書き残したくなった。

それが、この連載「最愛の旅先・小笠原」を始めた理由。

どのひとにも、心のふるさととか、最愛の旅先や土地というものがあると思う。その意味では、旅というのはとても多様性に富んでいるし、その人にしかできない旅というものがあるはずだ。

旅は身体と心をフル稼働して表現するアートといっていい。使い古された表現かも知れないが。

自分も、小笠原については、そのようなアート活動なるものをやってみたくなってきたのだ。

今回は、現在のことを書いたけれども、次回は時計の針を2010年5月に戻し、その当時の強力なおがロスから、小笠原ユースホステル30周年記念パーティーに行くに至った話について投稿予定。



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