マタイ
嫌みや皮肉を言われると
いい気持ちがしない
相手の目的が叶ったということだ
敵というわけではないのだから
マタイによる福音書のことを
思い出してみる絶好の機会
"右の頬を打たれたら
左の頬も差し出しなさい"
いい気持ちでいたいなどと
考えること自体が
慢心しているということだ
聖人というわけではないのだから
マタイによる福音書のことを
思い出せるだけでも御の字
酒や薬は止められても
嫌みや皮肉は止められない
だから当然のように
嫌みや皮肉で返ってくる
自分が何をしているのか
わからないのだから
心を揺さぶられたところで
何の利益もありはしない
嫌みや皮肉に酔ってはいけない
酒に酔ってはいけないのと同じように
そして、マタイによる福音書にも
当然ながら酔ってはいけない
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