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19章 モクレン館のマジックショー(2)


モクレン館での暮らしも残りわずかのイチョウ、

テーブルが別々の夫妻の思い出


モクレン館4階に、少し前から夫婦で入居している唐島からしま夫妻のお話。
2人は食堂で別々のテーブルであった。夫の栄吾は男性4人のテーブルに、妻のタカは女性8人のテーブルと別れて座っている。以前、席替えの希望を4階チーフに聞かれた妻は、
「夫と一緒のテーブルでなくてもいい」
と言った。夫からは特に希望なし。唐島栄吾は、自分の部屋と食堂の間を、歩行器を使ってゆっくりと移動している。隣室の妻が食事時間に遅れていると分かると、わざわざ戻って、ドアをノックして声を掛けるほど優しい。妻はそんな夫の気遣いに顔をしかめた。
イチョウは、男性4人テーブルの近くに座っているため、時折、唐島栄吾と挨拶を交わす。彼は、高度難聴で、補聴器を使っても会話が成り立たない。イチョウはいつも、身振り手振りを使って話し掛けた。

栄吾が散髪の後だと気がつくとイチョウは彼の頭を指さし、
「ピッカピカね!(きれいさっぱりした)」
と両手を開いて回した。栄吾は、イチョウが言っている事が分かると、ニッコリして
「I love you!」
と陽気に返す。
食堂から自室に戻る時も毎度
「See you!」
とイチョウに向かって言って歩行器を押し帰った。

妻のタカは、
「高校の英語教師だったのよ。真面目一辺倒でちっとも面白くも何ともない人! 」
とモクレン館での夫の愛想の良さを不思議に思っている。
そんな栄吾が、突然、歩けなくなった。急に体がフニャフニャになり、立ち上がれない。モクレン館の職員はあわてて車椅子に乗せ病院に連れて行った。特に原因はわからず、
「たぶん年のせいだろう」
という事になった。モクレン館に戻って来た時には、車椅子を押して貰い食堂に来たがその表情は以前と違ってボンヤリした顔に変化していた。そのため、戻ったその日に、栄吾は3階へ移動。唐島栄吾は92歳。妻のタカは88歳。夫婦2人は、ついに5階と3階に別れて暮らす事になってしまった。

唐島栄吾の3階への移動を知ったナズナ織子が、
「モクレン館では夫婦揃って入居しても、片方の急変については家族経由で通知されるの」
と自分自身に起こった話を始めた。
織子は4階。夫は介護度が重く、入居当初から2階に入居した。入居から2ヶ月経った時、夫が深夜に急変し、病院に搬送。その時4階の妻、織子には、何も知らされず、翌朝、長男からの電話で、ナズナ織子は夫の急変を知り驚いた。織子は、何とか夫の臨終に間に合う事ができたが、実に不満だったとテーブルメイトに繰り返し話した。イチョウは、夫婦の死別を聞いて痛ましく思った。
(住む階は別々とは言え、一緒にモクレン館にいるのに……)

4階食堂から唐島栄吾の姿が消えしばらく経った頃。イチョウは、かもめイチロウが5階から3階へ移った時と同様に、3階の図書棚を利用した際に、3階食堂の栄吾の姿を探した。ボンヤリ座っている唐島栄吾に、正面から声を掛けた。すると彼は、イチョウに気がついて笑みを返した。
(もう、あの陽気な「I love you!」の言葉はない? )
妻のタカは4階で、これまで通り、口数少なく、ひっそりと過ごしている。イチョウが、3階で栄吾を見かけた事を伝えると、
「あ、そうですか」
と素っ気ない返事。彼女が夫を訪ねて行く事はない。
「別に話す事もありませんから」
とあっさりしている。イチョウは複雑な思いあった。
(いろんな夫婦がいる……)
イチョウは、スイデンと2人だけのテーブルで過ごした4年間の日々を思い返し、スイデンが世話をしていた食堂横の花壇を眺めた。色々な花が咲き続けている。イチョウは以前、春から夏過ぎまで、濃いオレンジ色の花を咲かせている花の名前を、スイデンに訊ねた。するとスイデンは、
「あんたは、去年も聞いたよ。私はもう50回もあの花の名前を教えたよ」
と睨み付けた。
(そう、何度も教えて貰いました。漢字で書いてくれた花の名前は日記帳に貼り付けています。それは、「勲章菊くんしょうぎく」です。
ありがとう、スイデンさん)


→(小説)笈の花かご #54
19章 モクレン館のマジックショー(3) へ続く






(小説)笈の花かご #53 19章 モクレン館のマジックショー(2)
をお読みいただきましてありがとうございました。
2023年10月21日#1 連載開始
著:田嶋 静  Tajima Shizuka
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