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学校に行けない/行かない

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学校に行けない/行かない人、支援する人に向けた記事です。
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記事一覧

お子さんが学校に行けなくなったら(管見)

このニュースご覧になりましたでしょうか 子どもの自殺 初の400人超 不登校は19万人以上で過去最多 今回は「学校に行けなくなったら」について書いてみたいと思います。 僕は「学校に行けなくなっても別にいい」と思っています。 仮にずっと学校に行けなくても中学を卒業さえすれば通信制高校があるので進学の道は閉ざされません。 授業についていけなくなる心配はご不要です。今は教材や映像授業が豊富にあるので、ちょこちょこ学習すれば大きく問題化しませんし、巻き返しも可能です。 社会

学校に行けないということ(管見)

お子さんが学校に行けなくなったらという記事を書かせていただきました。 何らかの原因(だいたい複数がこんがらがってる)で外に出づらくなり、内側にこもるようになります。内側にこもっているのをムリヤリ引き出そうとするとたいてい余計こじれます。なので行けなくていいです。 今回はこの状態をもう少しだけ深掘りしてみます。 誰しもふさぎ込むことやふさぎ込みがちになることはあると思います。 カーペンターズは”Rainy Days and Mondays”で、「雨の日と月曜日はいつも私の

学校に行かないということ(管見)

学校に行けなくなった、学校に行けないよりも前向きになると学校に行かないという姿勢になると思います。 僕はこれまで5人ほど、通信制高校に通っているお子さんをお預かりしたことがあります。どの子も大学に進学して行きました。接する限りでは、豊かにくらしをしているようお見受けしていました。 豊かにというのは経済的・金銭的な意味ではなく、生活の質が高めに維持されているという意味です。色々あったのだろうけど、今は安定して過ごせている、と感じました。時々休むことはあっても、継続的に学習に

学校を疑ってみる(管見)

学校に行けないとか行けるとか行かないとかを考えていると、学校がいかに大きいのかを感じます。でも大きすぎて逆によくわからない部分もある学校を今回は疑ってみたいと思います。 『教育を支える思想』の対話(1990年)話し役ブルデュー(聞き役堀尾輝久・加藤晴久)の言葉を中心に述べていきます。 特にアメリカで、学校制度は社会構造を再生産することに寄与するという「パラダイム」が広く普及・・・「フランスでは学校制度は再生産する」ということを万人が認めている 学校は、親が裕福であれば子

学校に行けない原因のみつけ方(管見)

お子さんが学校に行けなくなると、保護者は「なんで学校に行けなくなったんだろう?」という問いが生じつづけると思います。 心の問題である場合、頭で解決するのは難しいです。学校に行けないということはたいてい、お子さん自身が学校に行ってる場合じゃないと感じているからだと考えます。 心の中がごっちゃごちゃになっていて、頭ではまったく上手くまとまらなくて、体も知らんぷり。まるで砂嵐のようなものに襲われていて、これが過ぎ去り、整えて、落ち着いてからでないと学校に行けない状態になっている

学校に行けない原因のさがし方(管見)

前回は心理的(内なる)問題が原因である場合の学校に行けない原因のみつけ方を述べました。 今回は人間関係における社会的(外なる)問題が原因である場合を想定して述べたいと思います。 社会的(外なる)問題は、暴れ回るもしくは落ち着けない生徒がいて、先生がリードしきれず学級がざわめいている、ざわめくのを防ぐために厳しくする先生が怖すぎる、生徒同士でいじめがある、先生からのいじめがある、先生へのいじめがある、引っ越しで環境が大きく変わり授業についていけない、などが挙がります。 (

学校に行かないことの問題点(管見)

今回は、学校に行かないことを選択しようとしているご家庭の保護者にご検討いただきたい問題点の一つをお伝えします。本当にその選択でいいのですか?と伺う内容です。 のっけから引用です。 大人が・・・エネルギーを惜しんで、何でも子どもの言う通りにしてしまう環境にあると、「子どもの自由を尊重しているのだ」といった大人の思惑とは逆に、子どもの方は「自分は本当には守られていない」と言った不安や不満を抱く 甘やかされているのと、甘えたい時に甘えさせてもらっているのとは大違いである。わが

学校に行かない子のもつ危険性(管見)

学校に行かないということで「学校に行かないことを選択するのも教育上適切な時代になってきた」と申し上げつつも、学校に行かないことの問題点では学校に「再び行けるようになる可能性を残す橋渡しをしながら、じっくりとご検討されることを僕はオススメします」と申し上げ、結局なにを言いたいの?と思われたかもしれません。 僕の言いたいのは、学校に行けなくなったからといって学校に行かないことを選ぶのは一方通行になる(学校に戻れなくなる)可能性が高いので、保護者はお子さんが学校に行けなくなった複

学校に行かないことを選ぶまで(管見)

学校に行かないことの問題点と学校に行かない子のもつ危険性とで 子どもが本当に欲しいのは、自分に対してエネルギーをかけて対峙してくれる相手 を不足する懸念があり 自我に弱い父性を抱え呑みこみ母性に足を引っ張られながら、生きていく 懸念があるため お子さんが学校に行けなくなったとしても、再び行けるようになる可能性を残す橋渡しをしながら、じっくりとご検討されることを僕はオススメします。 とお伝えしました。今回は、学校に行けなくなった問題点を洗い出した結果、学校に行かない

脱学校の地図なき航海(雑記)

学校に行かないことを選ぶまででこんなことを述べました。 地図なき航海といえば、いちばん始めに思い起こすのはやはりコロンブスでしょうか。当時は不可能だと思われていたヨーロッパやアフリカから西に向かう航海に、持ち合わせたのが勇気だけだとしたらただの無謀でしたでしょうが、優れた観察力と想像力とを持ち合わせていたコロンブスはアフリカ大陸西側の諸島からさらに西へ飛び立つ渡り鳥たちを見て、西への航海は可能だと考えたと言われています。 (今の科学では北回帰線付近に貿易風が吹いていること

学校に行かないことを選んでから、を考える(雑記)

以前、学校に行かないことを選ぶまで、という記事を書かせていただきました。そこで浮かびあがったのが、「じゃあ、学校に行かないことを選んでからはどうなるんだ?」という問いでした。 今はたしかにフリースクールやオルタナティブスクール、塾、それらの枠にとらわれないNPOや活動などがあり、金銭的、(移動距離等の)地理的な問題を抱えがちですが、ご家庭は選択できる状況です。では、その選択の基準をどことすれば良いのでしょう。何をもって選択すればベターなのでしょうか。僕はそこからもうわからな

学校に行かないことを選ぶ動き、を考える(雑記)

学校に行かないということで、生徒の不登校が過去最多になっていること、先生の不登校(心の病による休職)も過去最多になっていることを取り上げました。機能不全に陥っている学校や学級が増えているのではないでしょうか。 どうしても学校や学級に行けなくて、苦しまれているご本人お母様お父様たちをnoteで日々拝見します。また傷つき、疲弊し、心の病となり学校に行けなくなった先生たちもnoteで日々拝見しています。 明治以降ずっと拡大しつづけてきた公教育が、折り返し地点を通り過ぎ、悲鳴を上

学校に行かないことを選ばれる、を考える(雑記)

学校や学級にどうしても通えない子が今まで以上に増えています。これは、学級担当の先生からすると、自分の担当学級に不登校の子をもつリスクの高まりを意味します。今回は学校の先生を中心とした不登校への対応を見ていきたいと思います。 一つ目、対応できる時間。疲弊感ただよう教員の勤務実態でお伝えしたように、学校の先生の平日の平均勤務時間は約12時間で持ち帰り仕事は約1時間半。8時間勤務を基本とすれば、5時間半ほど残業している計算です。それらを終えて、さらなる残業として、不登校の子の個別

人間性の回復と共育

前回、結びにこのように申し上げました。 「もし日本社会が脱成長化しつづけ、資本主義的性格を薄めていくのであれば、その時こそ、人間性の回復を教育課題として取り上げて、真に取り組んでいくべきなのではないでしょうか。」 ・・で。そもそも人間性ってなんだっけ?という話を今回は書いてみます。 先日、僕は奇妙な感覚に陥りました。 「あれ?僕って人間だっけ?」と、問いが浮かんできたのです。 もちろん生物学の分類上は人間でしょう。けれども、僕が人間性のある人間かと問えば、そうとはとて