見出し画像

学校に行かないことの問題点(管見)

今回は、学校に行かないことを選択しようとしているご家庭の保護者にご検討いただきたい問題点の一つをお伝えします。本当にその選択でいいのですか?と伺う内容です。

のっけから引用です。

大人が・・・エネルギーを惜しんで、何でも子どもの言う通りにしてしまう環境にあると、「子どもの自由を尊重しているのだ」といった大人の思惑とは逆に、子どもの方は「自分は本当には守られていない」と言った不安や不満を抱く
甘やかされているのと、甘えたい時に甘えさせてもらっているのとは大違いである。わがまま放題を許されている子どもが、どこか不安定でさびしげな印象を与えるのは、本当に欲しいものをもらっていないから・・・子どもが本当に欲しいのは、自分に対してエネルギーをかけて対峙してくれる相手なのだ。(『生きにくい子どもたち』岩宮恵子)

もし仮にお子さんが学校に通うのなら、保護者の見えないところでも、学校の先生たちがエネルギーをかけて対峙してくれます(その学校の先生たちも本質的でない業務に振り回されエネルギーをかなり削られていますが・・)。学校に行かないことを選ぶのなら、それを保護者で対応する必要が生じます。

そんな余裕はない、となると、学校の代わりにお金のかかるフリースクールなどにお願いする必要が出てきます。しかもそこが「うちは子どもたちの自由にやらせています」というような方針の場合、お金をかけたにもかかわらずお子さんが本当に欲しいものを得られないおそれもあります。

今は教材や映像授業などが豊富になっていて、それらは学力を向上するのにたしかに有用なのですが、「何を学ぶのか」に役立つのであって、教育者の想いや熱意の染み込んだ「なぜ学ぶのか」・「どうやって学ぶのか」という深い学びの要素はすっぽりと抜け落ちてしまいます。

いったい、いつ、どこで、誰が、どのように、何をするのかというのを方針としてしっかり定め、それに基づいて粛々と進め、適宜ふり返りをし、場合によっては方針を一部修正し、また実行していくことが望まれます。学校の代わりを家庭でするというのはとんでもなく大変なことで、しかもそれを長期間にわたって対応しなければならなくなります。

お子さんのために、学校に行かないことを安易に選ぶのは避けた方が良いと僕は考えます。お子さんが学校に行けなくなったとしても、再び行けるようになる可能性を残す橋渡しをしながら、じっくりとご検討されることを僕はオススメします。学校に行けなくていいと、行かなくていいとでは、全くその質が異なると考えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?