たいたけ

心の底から受けてほしい教育をさがして25年。「いのちのための地図」運営。 平凡な道をひ…

たいたけ

心の底から受けてほしい教育をさがして25年。「いのちのための地図」運営。 平凡な道をひたすら歩む。いたずら好きな一児の父。

マガジン

  • 子育てエッセイ

    僕の子育て記事です。

  • 新しい教育プログラムに向かって

    たいたけのささやかなチャレンジへの道のりを記しています。

  • 学校に行けない/行かない

    学校に行けない/行かない人、支援する人に向けた記事です。

  • 学ぶ楽しさをさがす塾

    佐藤学先生の提唱する「学びの共同体」を参考に、自由度の高い民間教育で収益をなかば放棄し挑戦してみました。対話を促す環境・コンテンツ、時計や仕切りのない時空間、関係性のあり方等を意識し構築・運営していました。

最近の記事

  • 固定された記事

脱成長社会における教育の新しいかたち

 あなたは教育や仕事、仕事を通して見えてきた社会で違和感につかまったことがありますか?ハッキリとした肯定でもなく、ハッキリとした否定でもなく、今いる場所がいつもいる場所であるのに、なぜか場違いの場所に立ってしまったかのような感覚。直立しているはずなのにフラフラとする、めまいのするような感覚・・  僕はそんな違和感に2010年代の後半につかまりました。僕は学習塾を営んできたのですが、それの失敗しているときではなく、かえって成功しているときでした。周りからは良い塾と言われる、評

¥1,000
    • 第4問 「加速と減速」

       僕たちや僕たちのいる世界は徐々に減速しています。それは「僕たちの減速」や「減速の風景」で見てきました。  でも、本当に減速しているのか?むしろ加速しているようにしか感じないのだけれど・・と思われた、仕事をしている方にはしっくりこない内容だったかもしれません。それもそのはずで、僕たちや僕たちのいる世界は加速しています。世界の一人当たりの生産性は増加し、増加幅は大きくなりつつあります。  おそらくは1700年のころに比べて、今の方がずっと忙しいでしょう。ビジネスは日に日に忙

      • 第3問 「減速の風景」について

         みなさん、僕のつたないyoutubeチャンネルをご覧いただき、本当にありがとうございます。150人以上の方にお越しいただいているようです。感謝です。  第2問で僕たち自身の身体や価値観の変化が減速しているということをお伝えしたのですが、第3問は「減速の風景」では僕たち自身の身のまわりが減速しているのを見てきたかもしれませんよ、という内容になっています。  今回の内容はやさしく、ゆるさのあるつくりになっています。また今回からBGMを差し込んでみたり、AIの音声を含めてみた

        • 第2問 「僕たちの減速」について

          youtubeの2つ目にアップした「僕たちの減速」についてご紹介させてください。 前回、「地球の有限性」で感じていたことなのですが、なぜ人は増えることをやめたのでしょう?もちろん今も人は増えつづけているのですが、増加率は日に日に下がっています。未来には増加率がマイナス(すなわち人口減少)に転じる予想もされています。 ロジスティック曲線の考えに従えば、資源がなくなる(環境容量に近づく、あるいは超えてしまう)からですが、具体的に人に大きな影響を与える資源(例えば石油とか石炭と

        • 固定された記事

        脱成長社会における教育の新しいかたち

        ¥1,000

        マガジン

        • 子育てエッセイ
          7本
        • 新しい教育プログラムに向かって
          13本
        • 学校に行けない/行かない
          17本
        • 学ぶ楽しさをさがす塾
          17本

        記事

          第1問 「地球の有限性」について

          youtubeの1つ目にアップした「地球の有限性」についてご紹介させてください。 人類は今後も増えていって、100億人ぐらいまで増えつづける予想になっているのですが、そこでピークアウトする可能性が高まってきました。そのあと、人類はその100億人くらいを維持するのか、減り始めるのか、あるいは増えるのか、そのことを検討する内容になっています。 これは、人類が限界にぶつかることを意味しています。これまでずっと人類は増えつづけてきたのに、ひょっとすると減り始めてしまうかもしれない

          第1問 「地球の有限性」について

          「いのちのための地図」始めました

          youtubeを始めることにしました。 「いのちのための地図」というチャンネル名です。 急なお知らせとなりました。 内容はこのnoteとほぼ変わらず、僕のnoteの動画版というスタンスですが、実際に初めて動画をつくってみると、いろいろな部分が書くのとは異なっていて、困惑気味に進めており、スタンスをきちんと維持できているかわかりません。すこしずつ自分のペースをつくって、徐々に立て直していきたいな、なんて思ってます。 ペースとしては月に何本かつくっていきたいです。実際、わか

          「いのちのための地図」始めました

          くらしのてざわりの結晶

          チューリンガと呼ばれるものは、僕たちの文化ではないけれど、くらしのてざわりの結晶のようなもののようです。 オーストラリア先住民(アランダ族、アルンタ族)たちの文化にあるもので、自身の生まれ変わりであった先祖たちを象徴とした石や木で、その石や木はくらす風景の中に溶け込み、その風景は先祖たちも自然と一緒になってつくりあげてきた風景です。 オーストラリア先住民たちは、くらしのてざわりの結晶であるチューリンガがここかしこに潜む、先祖たちとともにくらすような文化をもちました。 僕

          くらしのてざわりの結晶

          続 くらしのてざわりの痕跡

          くらしのてざわりは、アートと呼ばれるものとしても、痕跡を残すのかもしれないと思っています。 鶴見俊輔さんは という言葉から芸術論を始めた「限界芸術論」において、マージナルアート(限界芸術)の可能性を追いました。 マージナルアートは、「非専門的芸術家によってつくられ、非専門的享受者によって享受され」、「われわれのように、職業として芸術家になる道をとおらないで生きる大部分の人間にとって、積極的な仕方で参加する芸術のジャンルは、すべて限界芸術にぞくする」と述べられています。

          続 くらしのてざわりの痕跡

          くらしのてざわりの痕跡

          昔、大地震の際に家のなかにいた人があわてて外に飛び出して抱えていたのが家族の写真アルバムだった、という話を聞いたことがあります。もう戻れないかもしれない家から外に飛び出すとき、その方にとって家のなかの最も大事なものは、通帳や印鑑ではなく、食料でもなく、水でもなく、家族の写真アルバムでした。 僕はそれを聞いた当時、よくわかりませんでした。なぜ通帳や印鑑ではなく、食料や水でもなく、写真アルバムだったのかを。 人々がこれまでのくらしを失うとき、なにより大事なことだったんだなと思

          くらしのてざわりの痕跡

          続 くらしのてざわりについて

          休みの日は朝起きると、妻と娘はまだ寝ていて、ひとりでリビングに行って部屋の明かりを点け、湯を沸かし、お茶を淹れます。そしてパソコンを点けて、お茶ができたらパソコンのところに持っていき、お茶を飲みながら記事を書きます。やがて妻や娘が起きてきて、娘がチャレンジをし始めるころには、僕は記事をたいてい書き終えていて、本を読み始めています・・ こんなことにもくらしのてざわりがあると思っています。なにげない日常、ルーティンワーク、平穏なひととき。なんでもないそれらは、くらしの重要な部分

          続 くらしのてざわりについて

          くらしのてざわりについて

          僕はここ何年かずっと、いのりとくらしとはたらきとを一つにできないかということを考えていました。去年書いていたいのりシリーズとか、一昨年書いていたくらしシリーズとかはその一例です。 いのりとくらしとはたらきとを一つにするとはどういうことか。僕は古代人がそのようであったのではないかとイメージしています。 今月のはじめ貝塚と歴史資料館に訪れました。いろいろなものが展示されていました。貝、土器、黒曜石、土偶など。 当時は、貝や木の実、いのししなどを食べ、土器を作り、その土器で塩

          くらしのてざわりについて

          世界のへりにて世界の中心を思う

          1泊2日の旅行をしてきました。 行ったのは森と牧場。 のんびりとしたものでした。 木々と花と土、虫と鳥と動物にすこしの人間。 ただそれだけで心が洗われていきます。 朝は雨でしたが、娘と傘をもって散策しました。 新緑のすばらしいこと。 ほしいものはなにもありませんでした。 娘はずっとここにいたいと言っていました。 ほしいものはなにもなく、ただここにいたい、という想い。 でも娘は学校があるし、僕や妻も仕事に行かなければなりません。 「ここ」では稼ぐ手段もありませんし、「ず

          世界のへりにて世界の中心を思う

          1泊2日の旅行をしてました。帰ってきて感じたのは、ふだんのくらしはやっぱり情報が過剰ですよね。。

          1泊2日の旅行をしてました。帰ってきて感じたのは、ふだんのくらしはやっぱり情報が過剰ですよね。。

          世界のへりにて人間の野生を取り戻す

          やがて来るかもしれない危機に対して、家畜化の進んだ僕は生き延びることができるのでしょうか。野生の力を呼び起こすことができれば、あるいは結果は変わっていくかもしれません。 今回は、そのことについて調べてみます。 この前お会いしたSuzukiさんの2年以上前の記事。ここに半分以上、記されていました。 家畜として育った若い豚は豚舎から脱走できても、それより外に逃げられない。ふだんから自分で思考しない。考えて行動しない。そうしなくても生きていける環境だったから。野生の動物の発達

          世界のへりにて人間の野生を取り戻す

          世界のへりにて人間の家畜化を考える

          先日、noterのSuzuki Takeshiさんにお会いしました。 noteの活動は最近めっきりないSuzukiさんですが、元気に過ごされているようでした。というか、目がキラッキラに輝いていました✨あんなにキラキラした瞳の方は珍しいくらいです。 さて、会ってどんな話をしたかといいますと、多岐にわたるのですが、主に教育、地球との共生、社会への冷静なまなざしでした。 その社会への冷静なまなざしのひとつに、人間の家畜化という話題があがりました。その話と最近読んだ花森安治の文

          世界のへりにて人間の家畜化を考える

          世界のへりにてくらしのてざわりを守る

          上の記事で、円安が仮にどんどん進んでいったらどんなことが起こりうるか、それはくらしのてざわりが危ぶまれることではないか、と書かせていただきました。 円安がどんどん進むと、ひょっとしたら物を買うのに毎回なん時間も行列に並ばざるをえなかったり、物価が安定しないので給料に見合わない支払いを求められたり、そもそも食にありつけなくなったり、健康面がむしばまれ正常にものごとを考えられず疑心暗鬼に陥ったり、近くで横領・強盗・暴動などが起こったりするかもしれません。 そんな状況であっても

          世界のへりにてくらしのてざわりを守る