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学ぶ楽しさをさがす塾

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佐藤学先生の提唱する「学びの共同体」を参考に、自由度の高い民間教育で収益をなかば放棄し挑戦してみました。対話を促す環境・コンテンツ、時計や仕切りのない時空間、関係性のあり方等を意… もっと読む
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記事一覧

学ぶ楽しさはみつかるか(昔話)

もう10年以上前ですが、僕は自分にとって理想的な塾をめざしてつくり、営んでました。"FOLS"という塾でした。今ふり返ってみると、わりと面白い試みをしていたなと感じるので、複数の記事にして書いてみようと思います。 学ぶ楽しさをさがす塾という意味を込めたのですが、実際のところどうだったのでしょうか。 私がFOLSに入った時は、ちょうど中学2年生に上がった時でした。その時の私の成績は学年で真ん中くらいの順位だったので、「もう少し成績を上げたい!!」という思いからこの塾に入りま

学ぶ楽しさをみつける対話(昔話)

学ぶ楽しさをみつけるため、対話を促す環境づくりをしていました。環境づくりを担うFOLSの空間と時間についてご紹介します。 ■空間 (上図:たいたけの作成した先生向け資料から抜粋) FOLSの机はダイニングテーブルのような①大きい四角、②コの字型のどちらかにしていました。ご注目いただきたいのは上図の矢印の先で、視点を意味しています。(10年以上前の)「既存の日本の授業」では視点が1点に集中し、FOLSでは視点が拡散します。 この違いが何を生み出すのかというと、生徒同士の対

学ぶ楽しさをみつける関係性(昔話)

前回は対話の生まれやすい環境づくりから、対話が徐々に累積して雰囲気が醸成され教室が1つの共同体のようになり、「頭のいい人から、そうでない人まで居」て「リラックスした気持ちで勉強することが出来」る状況になることをお伝えしました。 今回は"どのように"対話がされていたのかを、先生と生徒さんとの関係性を通して述べます。 FOLSはとても楽しい塾です。先生は、たいさんと〇〇さんと△△さんと□□さんです。どの先生たちもこせい的で・・・(中学生) FOLSは楽しくて、集中出来る所で

学ぶ楽しさをみつける姿勢(昔話)

FOLSでは学ぶ楽しさをみつけた生徒さんが、”どんな環境”で、”どのように”対話をしていたのか、をこれまでお伝えしました。今回は学びの姿勢について探りたいと思います。 背筋をピンと伸ばして目から30cm程度離して教科書・ノートの読み書きをしましょうといった物理的な姿勢の話ではなく(それも大事ですが)、学びへの向き合い方、学びの取り組み方といった習慣や性向に近い姿勢についてのお話です。 僕は教育実習を経験しているのですが、実習担当の先生からこんなことを教わりました。「1時間

学ぶ楽しさをみつける非日常性(昔話)

FOLSは塾っぽくないと言われる塾でした。  私がFOLSに入った時は、ちょうど中学2年生に上がった時でした。・・・FOLSの第一印象は、私の想像とは違う、普通の塾のイメージとはかけはなれた雰囲気でした。私が考えていた「塾」とは、机といす、黒板があって、みんなが真剣に問題に向かっている姿でした。でも、FOLSはグループ授業で、明るく授業をするかたちだったのでとても楽しく授業を受けることが出来ました。室内も音楽が流れていたり、部屋の中の色もカラフルだったり、毎回リラックスした

学ぶ楽しさへの課題と対策(昔話)

学ぶ楽しさをみつける対話を促す環境づくりへの過程・記録です。 2004年度に残った課題  成績上昇の具合を考えて、学習指導自体は良かったと思う。・・・入塾以前は200点台後半の生徒たちが、偏差値50以上の高校に受かった者が複数いることは嬉しい。目標を掲げ、努力をする生徒には良い結果となったのは、講師としても自信となった。  反面、高くはない目標を掲げる者、努力できなかった者への対応には反省点が残る。・・・「自分にはどうせできない。」「がんばるだけ無駄さ。」・・・ ・・・自

学ぶ楽しさをさがす塾とは何だったのか(昔話)

『風の谷のナウシカ』の、多種多様な植物を育てている地下室。地上では猛毒の植物も、地下から汲み上げたきれいな水と土から育てると、毒を一切出さずきれいな花を咲かせるというシーンをご存じでしょうか。 僕はこれを教育で経験しました。 市内中の小中学校に名の知られたワルの少年と、親が破産宣告した不登校のリスカする少女と、原因不明の拒食症になった少女と、両親が離婚したショックで6年間も口を聞かず精神年齢が10歳弱で成長の止まっていた不良少年と、ずっといじめられ続け他人との関わりを極度に

学ぶ楽しさをさがす塾をふり返った理由(雑記)

これまで8回にわたって述べさせていただきました。こんな昔話を持ちだしたのには2つの理由がありました。 ひとつは「僕は誰だ?」ということです。教育や社会を問うたところで、自分が誰なのかを掴めないと何も為せないと考え、自分を問われる側に置き、問う自分の立ち位置を確認したかったのです。 大学で教職課程の単位習得をしても教員を目指さず、卒業後にFOLSを起業、以後6年経営・運営していました。当時何を大切にして、どこを目指し、一体何ができたのかをふり返ることによって自分がいくらか見

学ぶ楽しさをみつける対話の質(管見)

誰もが”I”(話し手)であり”YOU”(聞き手)である水平な関係性。互いに敬意を持ちながら共に学ぶ。 学ぶ楽しさをみつける関係性の結びに述べた文です。今回はこれをもう少し深掘りして、この関係性でいかにして対話の質が高まるかをお伝えしたいと思います。 僕が教職課程の授業を受けていた頃は、必修で心理学系の科目がいくつか設定されていました。学生当時は、教育に心理学がなぜ必要なのかよくわかっていませんでした。でも実際に教育現場に立ってみると、有用であると感じました。 みんな何か

学ぶ楽しさをみつける遊びの対話(管見)

学ぶ楽しさをみつける対話でこんな事実をお伝えしました。 中学生は英数1科目につき3時間、生徒さんをお預かりしていました。・・・休憩や雑談が合計で1時間近くあり、一般的な塾にとっては無駄と言える時間がたくさんありました。 その間に何人かで雑談をしたりカードゲームをしたり、一人でいるのが好きな子は本やマンガを読んでいたりしました。・・・対話が生じたりやんだり、断続的あるいは連続的な対話を生み出しやすくしていました。 利益追求を考えた場合、無駄としか考えられません。大手の塾の人

学ぶ楽しさをみつける距離感(管見)

学ぶ楽しさをみつける関係性で以下のように述べました。 誰もが”I”であり”YOU”である水平な関係性。互いに敬意を持ちながら共に学ぶ。そんな学びの共同体を目指しつづけていました。 「互いに敬意を持ちながら共に学ぶ」という綺麗ごとをいかにして実現するか。いったい何に向かって共に学ぶというのか。それを明確にしなければ緊張感や躍動感は生まれてきません。 今回はその水平軸の中心と、中心までの距離についてを書きたいと思います。 先生も生徒も共に、中心に向かって学ぶイメージを僕は

学ぶ楽しさは終わらない(管見)

中学生が学習塾に通う大きな目的は高校受験合格ですが、合格しても通いつづけることがあります。月単位の契約なのでまだ契約が切れてなく仕方なしに通うためだったり、合格後もつづけて通いたいためだったりします。 FOLSでは毎年その時期は↓の本を読んでいました。 著者は執筆当時をこうふり返ります。 ひどい反動の時代・・・出版物についての、削除や発売禁止は日常のことになり、反共的、国粋的な言論だけが横行・・・表現の自由は極度にせばめられ・・・なにかギリギリな、思いつめた・・・嵐の中

学ぶ楽しさに導く父性(昔話)

安心、安全、受容を前提としたうえでの「断ずる厳しさ」(たしか2006年?たいたけの作成した先生向け資料より) 「断ずる厳しさ」を 思春期と呼ばれる子どもたちは、その感性を最大限に発揮し、学校や家庭に横たわる多くの矛盾に気づく。そして次第にその子特有の独自の世界を構築していく。「ちびまる子ちゃん」は良い例である。まるちゃんは必ずしも大人たちが正しいとは思ってはいないが、力関係上で大人たちに従っているものの、ときおりお母さんに反発したり、友だちのたまちゃんと愚痴を言っていたりす

学ぶ楽しさを支える母性(昔話)

「断じられたものを救い上げる優しさ」(2006年?たいたけが作成した先生向け資料より) 「断じられたものを救い上げる優しさ」を  断ずるものは大きな精神力を消費し、断じられるものは痛みを覚える。良い断じ方であったからと言って、全てが上手くいくとは限らない。断じられた痛みに耐えられず、そこから逃げ出す子どもも少なくない。一時的に避難する形で逃げ出す子もいるが、なかには永遠に逃げ出してしまう子もいる。断じられた痛みは、断じられた子にしかわからず、その断じられる子どもは思春期とい