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学校に行けないということ(管見)

お子さんが学校に行けなくなったらという記事を書かせていただきました。

何らかの原因(だいたい複数がこんがらがってる)で外に出づらくなり、内側にこもるようになります。内側にこもっているのをムリヤリ引き出そうとするとたいてい余計こじれます。なので行けなくていいです。

今回はこの状態をもう少しだけ深掘りしてみます。

誰しもふさぎ込むことやふさぎ込みがちになることはあると思います。
カーペンターズは”Rainy Days and Mondays”で、「雨の日と月曜日はいつも私の気持ちを沈ませるの」と歌っています。たしかにそういう日ってありますよね。なんとなく気の乗らない、静かでちょっと重苦しい感じ。ブルーな感じ。

こういう時にワーって話をされたりすると、ぅう・・・やめて、放っておいて。独りでいさせて・・・って、僕だと感じてしまいます。
でも、ずっと独りでいられたとして気持ちが浮上してくるかどうかはわからなくて、逆に浮上できないかも、と焦り出すこともあります、僕の場合は。

このずっと深い感じが↓の状態かな?と感じます。
『風の谷のナウシカ』より

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森の人(変なマスク&スーツを着ている人、実はイケメン)は言います。

無理におこしてはいけません
心をおいて身体だけおきると死ぬよりもっとつらいことになる
呼びつづけるしかありません
呼びつづけましょう

学校に行けなくなった、部屋にこもるようになったからと言ってムリヤリに引き出そうとするのは危ういです。しかし、放っておくのも良いと言えません。身体を安全な場所に置き、そのうえで呼びつづけることが必要だと思います。呼び声も大きかったり強いものではなく、おそらく深く静かに

もっと言うと、呼びつづけるだけで戻って来られるかどうか僕にはわかりません。ナウシカは芯から強い人という設定だからです。となるとその代わりに、誰かが助けに深い闇の底に降りていくことが望まれます。そしてその難易度は深さに比例します。

自分が大変だということもわかってほしい。でもわかられすぎるのもこわい。自分の弱さをわかってほしい。でも弱さを知られた相手には憎しみもわいてくる。こういった複雑な心境が思春期の子どもの心の中には渦巻いている(『生きにくい子どもたち』 岩宮恵子 岩波書店 1997年)

しかも

偏食にしても不登校にしても、表に出ている問題だけに焦点を当てて、そこだけ何とか修正しようとがんばっても、どうにもなるものではない。限られたチャンネルを活かして心が自然に育っていくような環境をつくっていくしかない。(同書)

ていねいな環境づくりと、たっぷりの時間適切な献身がほしいのです。

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