見出し画像

学校に行かないということ(管見)

学校に行けなくなった学校に行けないよりも前向きになると学校に行かないという姿勢になると思います。

僕はこれまで5人ほど、通信制高校に通っているお子さんをお預かりしたことがあります。どの子も大学に進学して行きました。接する限りでは、豊かにくらしをしているようお見受けしていました。

豊かにというのは経済的・金銭的な意味ではなく、生活の質が高めに維持されているという意味です。色々あったのだろうけど、今は安定して過ごせている、と感じました。時々休むことはあっても、継続的に学習に取り組んでいました。

疲弊感ただよう教員の勤務実態疲弊感ただよう職員室のリアル現場を疲弊させた大学入試改革で確認いたしました通り、教育現場は疲弊しています。僕はただただ学校の先生にゆとりをと願っていますが、難しいのでしょう。

この三〇年間の政府の外交、経済、社会、文化、教育政策の失敗が日本の経済と社会と文化と教育の転落を招き、転落し続けるアリ地獄から脱出する道が見出せない状況です。そこに新型コロナ・パンデミックが起こり、第三次産業革命(デジタル革命)が未達成の状況で第四次産業革命が加速し進行しています。
 もはや国家や資本に依存して仕事と暮らしと文化と教育の将来を展望する思考は捨て去ったほうがいいのかもしれません。(『第四次産業革命と教育の未来』 佐藤学 岩波ブックレット 2021年)

ここ7、8年くらいでしょうか、塾に通う生徒さんの保護者から学校の先生が学校に行けなくなった、ついに辞めてしまったというのを毎年聞いています(教職員、心の病による休職過去最多の報道)。また塾の先生のアルバイトをしている国立大学教員養成学部に通う優秀な学生たちが、教育の実態を知るにつれ「やっぱり教員になるのをやめます」という切ない意志表明も毎年聞いています。

先生が不幸で、クラスや生徒さんがハッピーということは、まずありえません。

そうしている間に、良いクラス幸せなクラスも勿論たくさんありますが、不幸なクラスが増えているよう感じます。子どもが減っているにもかかわらず、不登校が増えつづけている子どもの自殺 初の400人超 不登校は19万人以上で過去最多)のは肌感からしても矛盾がなく、上記の研究・調査からも推定できる状況です。

この状況下で学校に行かないことを選択するお子さん、家族がいても、何らおかしなところがあると感じません。むしろ時と場合によっては合理的だとすら思います。お子さんのことを想う家族が、あるいはお子さん自身が、学校に行かないことを選択するのも教育上適切な時代になってきたと僕は考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?