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学校に行かない子のもつ危険性(管見)

学校に行かないということで「学校に行かないことを選択するのも教育上適切な時代になってきた」と申し上げつつも、学校に行かないことの問題点では学校に「再び行けるようになる可能性を残す橋渡しをしながら、じっくりとご検討されることを僕はオススメします」と申し上げ、結局なにを言いたいの?と思われたかもしれません。

僕の言いたいのは、学校に行けなくなったからといって学校に行かないことを選ぶのは一方通行になる(学校に戻れなくなる)可能性が高いので、保護者はお子さんが学校に行けなくなった複雑な状況に巻き込まれ大変なご苦労をされている中であったとしても、時間をかけ粘り強く行動し、慎重な選択をなさってほしいということです。

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『母性社会日本の病理』で河合隼雄は、母性文化の特質をもつ日本社会において、学校に行けない原因をその家庭に働いている母性の強さと父性の弱さから説明します。

母性の原理は「包含する」機能によって示される。それはすべてのものを良きにつけ悪しきにつけ包みこんでしまい、そこではすべてのものが絶対的な平等性をもつ。「わが子であるかぎり」すべて平等に可愛いのであり、それは子どもの個性や能力とは関係のないことである。・・・母性原理はその肯定的な面においては、生み育てるものであり、否定的には、呑みこみ、しがみつきして、死に至らしめる面をもっている。

母親が学校に行けない子どもを守ろうと「包含する」あまり、呑みこみ母性を発現します。

父性原理は「切断する」機能にその特性を示す。それはすべてのものを切断し分割する。主体と客体、善と悪、上と下などに分類し、母性がすべての子供を平等に扱うのに対して、子どもをその能力や個性に応じて類別する。・・・父性原理は・・・強いものをつくりあげてゆく建設的な面と、また逆に切断の力が強すぎて破壊に至る面と、両面をそなえている。

そこに強いものを作りあげる建設的な面をもつ「切断する」父性が弱いと、子どもは呑みこみ母性に足を引っ張られてますます学校に行けなくなります。

はたして父性が弱く母性の強い家庭の場合、学校に行かないことを選ぶのは一方通行になり、学校という装置の外で学びつづけることを余儀なくされる、と僕は考えます。

学校に行けなくなった問題を洗い出さずあるいは解決せずに別の道を選択することは、お子さんが自我に弱い父性を抱え呑みこみ母性に足を引っ張られながら、生きていく危険性をもちうるのです。

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