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RoseBall in Tokyo.前編

これまでの仕事の中でも胸を張って、私は頑張った!と思える仕事がある。

社会人になってから友人と通いつめていた古着屋があって、繁華街に移転するという。私は、そこで働くスタッフから一緒に働かないかと誘われた。なんと言っても明るさが大切。元気もいいし知識もコミュニケーション能力もある。一緒についてきて欲しい。とまるでプロポーズのように…、べた褒めの言葉に恐縮だけで迷いは無かった。

当時、第2次古着ブーム。初顔合わせは会社の忘年会。夜になり、誘ってくれた社員さんに連れられ会場となる古着屋が運営するカフェにつくと、オープンスペースで賑やかな宴が繰り広げられていた。こってこてのビンテージでコーディネートしたイカつい人や、今風にアレンジしたオシャレさんばかりで面食らった。「うわ、おっしゃれ〜」と空いた口が塞がらない。その空間になんとも場違いな気がしてきまづい。ぞくぞくと店仕舞いをしたスタッフも集まり、顔なじみの店員さんに会ってほっとした。三度の飯より古着が、オシャレが好きな人ばかり。社長も駆けつけ、全スタッフのその一年を労った。スタッフの皆にもその地域の古着ブームも牽引してきたことに誇りを持っているのが垣間見えた。おお、私はこの会社で働くのか。と胸が高鳴る。

会社は新店舗を立ち上がる他にも、リニューアルを図る店舗もいくつかあるというノリにのった状況だった。オープン準備のためしばらく倉庫作業要員になった。倉庫を仕切るのは社長の次に偉い某メーカーから引き抜かれた精鋭。デカい!ごつい!キレッキレで、吸うタバコを1cmくらいで消してしまう人。絵に書いたようなチェーンスモーカーを組長と名付けた。倉庫には大工から時計アンティーク家具の修理までこなす人たちと、事務室に経理の人がいる。

かなり大きめの倉庫には、ベールという数百キロの、服を圧縮したものが幾つもあった。ベールを開け、洗濯・乾燥・たたみ、修繕が必要なものは直して各店舗に持っていってもらったり送り届ける。これがまたなかなかの重労働だったりする。好きな音楽やラジオをそれぞれのスペースで流して各々の作業を責任をもってやり遂げればOK。悠々自適な雰囲気。ただし、オープン前だからそんなんじゃなかった。大工班のオシャレなつなぎを着た社員さんが夜遅くまで続く作業の日々に、「労働基準法なんてクソ喰らえ〜!」と叫んでいた。そして、セクハラなんて当たり前、紅一点の私はいい餌食となった。しかし、こんなキャラなので決して負けはしなかった。洋モノ好きのクリスチャンの人に気に入られ、私は妖怪セクハラ返しと呼ばれた。

倉庫の面々は実に個性的(強烈)で毎日が刺激的だった。仕事の前に倉庫班で喫煙していると、凄い騒音をたてた車がキキキーッとスリップさせて停まった。早朝だぜ?電気グルーヴのインディーズ時代の人生の曲をガンガンにかけて颯爽と車をおりたその出で立ちはすらっと長身、全身革でサングラス、ヘアスタイルは松田優作と言ったが座布団運びの山田くんだ。何故かサバイバルナイフさばきを見せつける。この人が経理だ。この会社、とんでもない!驚いた私を見てその人は無邪気に笑っていた。

倉庫兼本社にスタッフが一度集まってから店舗に向かうシステムで、皆経理の人には慣れた様子でスルーだったが、私はひとり動悸を抑えられなかった。別の日には、エアガンで撃たれたりした。ハードボイルドなんだな。

当時というと、デニムにインクをはねさせたり絵を書いたりまだらに漂白するものが流行っていた。デニムパンツをトートバッグにしたリメイクも飛ぶように売れ、キャミソールやシミーズを取り入れたコーディネートなんかも流行っていた。流行りは20年でまわってくるというのがあるようで、これ誰が着るのよ?と鼻で笑ったケミカルウォッシュデニムや今ではジレと呼ばれるチョッキなどが倉庫奥の奥に貯蔵してある。今年は来るぞと業界でも温めていた、ノースリーブデニムジャケット(デニムベストかな?)が寸前でスギちゃんが大ブレイクし、業界の狙いが大滑りしたのを忘れられない。服飾業界はスギちゃんを呪っていたよね。

新店舗オープンを控えた数日前に、新入社員が来た。社長の古くからの知人で、新しい店舗の店長になるという。私を誘ってくれたスタッフが店長をやるものだと誰もが思っていたのでスタッフは猛反発。開店前からの波乱の予感だった。O原という男。

バラの香りのする男

ヴィンテージ好きのアメカジぽさから、私は新店舗でなく、創業1号店の改装する店舗に配属されることになった。その店舗は前の店長が少々私物化し、常連を引き連れて独立してしまったのだ。まるっと立て直しというわけだ。すぐ二転三転して、あのO原さんが店長になるという。「なぜ!?」という反感もなんのそので初日の顔合わせのとき、バラの香水を付けたO原さんが「みなさんが疑問に思うことは分かります。僕も社長にお誘いいただいたこの機会にやる気いっぱいなので、みんなで頑張りましょう。」と大きな声ででっかい口で言った。本人にも違和感は十分伝わっているようだった。

皆、初日からO原さんのフットワークの軽さに圧倒されてしまっていた。お昼はアーモンドチョコだけで乗り切れる。一緒に作業することも多く人懐っこい同士、私たちは仲良しになっていた。社長との関係や第1次古着ブームの時の話、こんな店にしたいんだよ、と理想論を聞いたり生い立ちなんかも聞いた。ちょうど私が、借金まみれになるころだった。

人生は上手くいかなくて、プライベートはどん底でも好きな仕事にありつけるアンバランス。やはりしんどさややりきれなさは仕事でも態度に出てしまう、O原さんに注意され、勝気な私は反論し衝突するを、しょっちゅう繰り返していた。周りの冷たい視線もよそに何処でもかまわずやりあっていた。O原さんも上からの注文や再建へのプレッシャーがあったのだろう。スルーしたり突っぱねたりせずお互いに受け止め納得いくまで話し合ったりした。怒りのやり場に付き合うというか甘えていたんだと後になって気づいた。後にも先にもあんなにぶつかり合えた上司などいなかった。

これまで実家から通っていたが、連日の徹夜作業で会社の駐車場で泣く泣く車中泊をしていた。そこにあのアバンギャルド経理にみつかり、相当気の毒に思ったようで、店のスタッフでシェアして暮らしている子達がいるから話をしてやる。と言ってくれた。それからすぐ、女の子の二人暮しの部屋を間借りできることになった。家賃の負担が減るならと、快諾してくれた。

実際には、彼氏が来るから or 誕生日会をやるから外してくれる?帰宅する時はみんな揃ってから、とほとんど部屋にいられなかった。夜遅くにしかたなくまた車中泊をしている所をみつかり、アバンギャルドさんは悲しい顔をして「今日はうちに泊まるか。」と聞いてきた。心身ともに疲弊しきっていた私は迷いなく泊めてもらうことにした。

「酔って帰って寝るだけの部屋だかんね。」と言いながら、鍵を開けてレディファーストしてくれた。内心、やられちゃうのでは?!がよぎった。バツイチの一人暮らしの部屋は小綺麗で緊張して部屋に入ると、床下から空気銃をいくつも引っ張り出して見せてくれた。「うわぁ、マジなんだ…」と口に出してしまった。「あたしゃ独りだからね、何したって文句は言わせないわよ!」何故か時々おネエ口調。

「あんたは布団で寝ていいよ。」「俺はこっち」と、ソファに寝転んだ。眠くて限界だったからそのまま布団に横になった。男臭い枕の匂いがした。

寝入る寸前で「あんた、幸せになりなよ。」と言われた気がする。

翌朝一緒に出勤したときには、集合していたスタッフたちがニヤニヤしていた。車をおりアバンギャルドさんは「はーい!やっちゃったぁ〜」と嘘を言ったけど、一連の流れを聞いていた皆は信じなかった。

勤務態度が荒々しくなっていくのを心配され、少しずつアバンギャルドさんや倉庫にいる社員さんたちに事情を話すことが増えた。みんなそんなことがあったなんてと驚いていた。

そんなとき、大工班の洋モノ好きのおっとりしたDさんが突然「僕ね、こんなことあなたに言うのが初めてなんだけどね、、みんなに言わないよ、あなただから言うんだけどね。お金貸してあげるから自立しなさい。」

「え?」

「悪いものいーっぱいついてるよ、このままじゃダメになるよ。実家を出なさいよ。」人からお金を借りることに何より神経質になっていたのに、こんな私にお金を無利子で貸してくれるという。赤の他人が。まだ数ヶ月しか一緒に働いていない、赤の他人が。情けなさで潰れそうだったけどこれ以上借金が増える恐怖。(正しくは、これまでの借金というのは母親から騙されて借りた分)Dさんは私が何か言う暇も与えず「でも!1番に僕が貸したお金を返すこと!」「今日仕事終わりに不動産屋さんに行くから!本気だよ!ねっ!」

「2万5000円だって!」はしゃぎながら間取りを指さし「はい、ここにしな!」と、トントン拍子に決まってしまった。奇しくも、自分の意思はなく自立への一人暮らしが始まった。


続く






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