山際明利

苫小牧工業高等専門学校教授(総合人文科学系)。中国哲学(宋代儒学思想)。博士(文学)。

山際明利

苫小牧工業高等専門学校教授(総合人文科学系)。中国哲学(宋代儒学思想)。博士(文学)。

最近の記事

「2001年」断想

※この文章と同時期、Facebookに投稿した「2001年」関連の文章をまとめておきます。 今昔の感 小説『2001年宇宙の旅』第17章、ディスカバリー号の日課を描く場面。 "Bowman would attend to his toilet, and do his isometric exercises, before settling down to breakfast and the morning's radio-fax edition of the World

    • 通夜参り

      知人が亡くなつて通夜参りに行く。斎場はすぐ近くなので歩いて出向くことにした。夕方、ごく細かい雪が降るのを見て心配したが、出掛けるころには霽れた。 当地では葬儀よりも通夜への参列を大切にする。通夜は仕事の退けた刻限に始まるから行きやすい。同僚の不祝儀なら誰かが職場の香典を集めて皆の代参をするといつた真似も出来る。参列者の多くは字義通りに夜通し斎場で過すのではなく、式が終ると引き上げる。親族のみ残つて通夜振舞を受けながら線香番で夜を明かす。 近くであるから外套の中に溜めた暖気

      • 突っ込んではいけないRRR(ネタバレ御免)

        遅ればせながらRRR、口あんぐりさせて鑑賞しました。劇場で観て、ネット配信でもレンタルして、5回は観たと思いますが、ネットの反応を見て分る通り、この回数ではまだまだ全然初級です。ただ初級ながらに気になる点も出てきました。突っ込んだら負け、な映画だと心得つつメモします。 物語の発端 マッリが連れ去られた時、ビームは出張でもしてたのでしょうか。手をこまねいて連れ去られるままにするから、あんな大ごとに……まぁ物語が始まらなきゃ仕方ないのですが。 二人の出会い 橋梁上の列車に

        • 自分用メモ:ベートーヴェンの交響曲

          ※2016年6月、Facebookに連投した記事の集成です。 ふと気になって自分がベートーヴェンの交響曲をどれだけ所持する/したのか確認してみた。マニアでも蒐集家でもないヌルい音楽ファンのコレクション歴です。 第一番 カラヤン/フィルハーモニア ベーム/ウィーンフィル 第二番 カラヤン/フィルハーモニア 第三番 ケンペ/ベルリンフィル フルトヴェングラー/ウィーンフィル 第四番 ベーム/ウィーンフィル C・クライバー/バイエルン国立管 第五番 ミュンシュ/ボストン響 ノイマ

        「2001年」断想

          「夢華録」の覚え書き(四)

          (三)からの続きです 酒楼 「正店は七十二軒」「それ以外の店は脚店と呼ぶ」というのは『東京夢華録』にも書いてあります。女は正店を持てないという掟があったかどうか、まだ調べ当てていませんが、醸造所に女を入れないという風習は西洋にもあったようです。女は月のものがあって不浄だという観念なのでしょうが、「君の名は。」にも出て来た巫女の口噛み酒もあるのだから、一概には言えないのかもしれません。 耶律氏 耶律氏は遼の国姓。漢風には劉という姓も用いました。耶律宗盛というのは架空の人

          「夢華録」の覚え書き(四)

          「夢華録」の覚え書き(三)

          (二)からの続きです。 闘茶 闘茶の場面でやたらと泡立ちに執着しているのを見て何のことやらと思ったのですが、劇中でも言及される『茶経』を見ると、既に唐代、茶筌に似た道具で粉茶を溶いて泡立てるという作法があったようです。劇中のようなラテアートめいたことまでやったかどうか、さすがにそれは分りません。 趙盼児が舞って見せるのは、相手の高級そうな道具から審判の注意を逸らすため、ですよね。まさか舞うことで茶の味が変化するわけではあるまい。「ムーンサルトプレスに入る前にどうして拳を握

          「夢華録」の覚え書き(三)

          「夢華録」の覚え書き(二)

          (一)からの続きです。 欧陽旭 中国人の姓は多くは一文字ですが、少数派として二文字の姓もあります。これを複姓と呼びます。欧陽は比較的由来が古く、人口も多い複姓なのだそうです。北宋の有名人だと政治家・文人の欧陽脩がいます。 欧陽旭は科挙の最終試験である殿試で三位合格となり「探花」と呼ばれます。一位合格の「状元」二位合格の「榜眼」とあわせて大変な名誉を得たことになります。ただし三位合格を探花と呼ぶことになったのは北宋後半なのだそうで、北宋中期が舞台であるようにも見えるこのドラ

          「夢華録」の覚え書き(二)

          「夢華録」の覚え書き(一)

          普段テレビドラマは観ないのですが、WOWOWで放映中の「夢華録」は自分が専攻する北宋が舞台なものだから、興味深く鑑賞しています。背景や設定などについて、気がついたことをメモします。 「夢華録」 孟元老の書いた『東京夢華録』を踏まえた題名です。孟元老は北宋の末期、東京で暮し、宋朝南渡の後、在りし日の東京の繁栄ぶりを懐かしんでこの「首都繁盛記」を書きました。 孟元老その人については情報が乏しくてよくわかりません。『東京夢華録』は文章が稚拙で非常に読みづらい書物なのですが、さい

          「夢華録」の覚え書き(一)

          論文博士への道

          ※私一個の経験した狭い範囲のことを書きます。どうかそのつもりでお読みください。 令和四年、還暦を過ぎて学位請求論文を提出し、審査を受けて博士号を取得しました。科学技術・学術政策研究所の出した資料を見ると、博士号取得者に対する論文博士の割合は年年低下しつつあるとのことです。学位取得が遅くなったのは身の不敏というだけのことですが、おかげで少数派としての経験をすることにもなりました。あるいはどなたかの役に立つかもしれないと考え、ここに学位取得までの経過を略述します。 1.前提条

          論文博士への道

          還暦祝賀会での挨拶

          加藤先生の退職祝賀会、兼ねて山際の還暦祝賀会 令和4年3月16日10時より中講義室にて 自分のことはさておき、まずは加藤先生、御退職おめでとうございます。 数年前、ネットで学生相手に「本校の名物授業は何か」と訊きましたら、返ってきた答えが「ぐっさんの化学」「チャカの地理」そして「カトハツの物理」というものでありました。そういう先生が学校を去られるのは残念なことではありますが、停年とあればお祝いすべきことであります。どうか今後ともお身体にお気をつけて、楽しくお過ごしください。

          還暦祝賀会での挨拶

          開会式の怪

          オリンピック開会式でどうも気になることがあるので書きます。裏付け資料も無しに書く、単なる妄想だとお笑ひください。 陛下が開会宣言をなさる途中で都知事および首相が起立する様子が画面に映つた。途中まで着席であつたとは不敬ではないかと騒がれた。大会組織委員会から「バッハ会長のスピーチ末尾に、シナリオにない日本語の文言が入つたため、起立を促すアナウンスができなかつた」と説明があつた。 本当かなあ。 まづは起立の件。東京、札幌の昭和帝、長野の上皇、いづれも開会宣言の際はただひとり

          開会式の怪

          オリンピックの思ひ出

          さきごろ他界したジャック・ロゲ会長が「TOKYO」のボードをかかげてから八年、世紀の祭典を食ひ物にしようと暗躍、でもなく露骨に躍り回る醜態を何度も見せられた。オリンピックには嫌気がさしたといふ人がゐるのも不思議ではない。政治家やら「文化人」「識者」やらの中には自分の立場を有利にしようといふ思惑でオリンピックを腐す人もゐた。オリンピックを利用した汚い動きといふ点で、私腹を肥やすために動いた連中と選ぶところはない。 開会式も直前に色々ケチがついて、構成が散漫になつた。あんな開会

          オリンピックの思ひ出

          教科書の挨拶

          Twitterで「英語の教科書に書いてある初対面の挨拶は、まるで現代日本人が武家言葉を話すようなもので、現実には使わない」「いやそんなことはない、イギリスでは教科書通りに挨拶する」というやりとりを見た。 英語のことはよくわからないし、英語圏の事情は何も知らないが、「荒野の決闘」で、ワイアット・アープが「Howdy!」と挨拶すると、ドク・ホリデイは「Good evening!」と返す。西部対東部というだけではない、異なった環境、異文化の出会いを端的に表現した演出だと思った。

          教科書の挨拶

          寮生会誌への寄稿(令和二年度)

          (令和二年度の寮生会誌に寮務主事として寄稿した文章です。記念のため転載しておきます) 寮のいろいろ 人の世は多様なものであるから、生涯、学生寮に立ち入らない人もゐれば、寮生活を複数回経験する人もあるだらう。  地元の高校に通ひ、大学時代は貸間で暮したから、基本的には学生寮との縁は薄いのだが、高校と大学との間に予備校生活が挟まる。現役での大学受験に失敗して昭和五十五年四月、布団袋と生活雑貨少しばかりとを抱へて予備校の寮に入つた。予備校は中央区桑園に位置するのだが、寮は北区新川

          寮生会誌への寄稿(令和二年度)

          寮生会誌への寄稿(令和元年度)

          (令和元年度の寮生会誌に寮務主事として寄稿した文章です。記念のため転載しておきます) 平成から令和へ 元号の典拠についてはさんざん報道されて誰も知るところであらうが、せつかく改元のあつた年度の寮生会誌であるから備忘のため、ここに書いておくのも無意味ではなからう。  平成は『尚書』大禹謨の「兪、地平天成、六府三事允治、万世永頼、時乃功」による。孔伝には「水土治まるを平と曰ひ、五行叙するを成と曰ふ」と述べて平と成とが類義だと解するが、『尚書正義』は『爾雅』釈詁の「平、成也」とい

          寮生会誌への寄稿(令和元年度)

          白い狐の夜

          我が家と市道との間はやや広めの前庭になつてゐます。別段趣向を凝らした庭ではなく、無造作に舗装して自家用車を置いてあります。市道を挟んで向ひに立つ電柱には街灯がつき、暗くなると、昔風に言へば水銀灯の色、しらじらとした明りが灯ります。 昨春の全国緊急事態宣言中のことでありました。先行きが心配だし、年老いつつある我が身の感染も恐ろしく、お役目柄学生寮のことは片時も念頭を離れない。不眠気味の晩が続きました。 ある夜半、前庭から微かに響く聞き慣れぬ律動に浅い眠りを破られました。

          白い狐の夜