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ハヤリモノ

以前Facebookにも書いたことがあるのですが、井上陽水「つめたい部屋の世界地図」(「陽水IIセンチメンタル」A面1曲目)のイントロは「天国への階段」のイタダキかと思われます。Amのハイポジション(5フレットセーハ)から4弦のルートを半音づつ下るギターアルペジオに、オカリナのオブリガートが入るのだから、まず間違いない。ちょっと気を入れて聴けば即座に判ることだが、私は何十年も聞き過ごして気づかなかった。まさに「心焉に在らざれば視れども見えず、聴けども聞えず」であります。

その後つらつら考えてみるに、初期の陽水ナンバーには「天国への階段」の波紋が意外なほどたくさん見つかる。「センチメンタル」A面2曲目「あどけない君のしぐさ」のイントロはハイコードのCmaj7から順に高→低のアルペジオで2フレットづつ下るのだが、これは「天国への階段」のコードリフをアルペジオで弾いたものでしょう。「小春おばさん」(「氷の世界」B面4曲目)のサビのリフは、同じコード進行を低→高のアルペジオで弾いたものかと思われます。

近ごろ久しぶりに「陽水ライヴ もどり道」を聴いた。A面の終盤、父の死を語るMCから感情のこもった「人生が二度あれば」の後、淡々とした「帰郷(危篤電報を受け取って)」へと続くあたりは非常に感動的な流れです。この「帰郷」はスタジオ版と違ってオブリガートがマンドリンで弾かれる。奏者はスタジオ版と同じ安田裕美だと思われるのだが、なぜスタジオ版のギターによる美しいオブリガートを再現するのでなく、マンドリンなどというちょっとした飛び道具を用いたのだろう。想像をたくましくすれば、ここにもレッド・ツェッペリンの影響を読み取り得る。伝説的な1971年の来日公演、アコースティック・セットでジョーンズがマンドリンを奏でる姿は聴衆に強い印象を残したらしい。

陽水さんのパクリをあげつらう意図でこんなことを書くのではありません。ビートルズ狂で知られる陽水さんの曲に、これほどツェッペリンの面影が見て取られるのが面白いと思うのです。

私たちは「天国への階段」は無論、「センチメンタル」も「氷の世界」も既に古典と化した世界を生きつつあるから忘れがちになるが、同時代においてレッド・ツェッペリンはひどく「新しい」ものであったはずです。一般のファンばかりでなく、というか一般のファン以上に、音楽業界に身を置く人は鋭敏に反応したことでありましょう。

今、典拠を示し得ないのですが、陽水さんが「ビートルズ全曲歌いこなせるので自信を持って上京したが、東京ではもうそんなものは相手にされなかった」と語るのを聞いた(あるいは談話記事を読んだ?)ことがある。勝負の土俵に上がるためには最先端のものを聴き、咀嚼して、自分なりに出力する必要があったわけだ。

私は黴臭い古典の中に生きる道を見つけ、その道を歩んだことに若干のプライドを持つ。勝小吉は「本読みになるほど楽なことは無い」と言ったそうで、それはあながち否定できないことなのだが、それでも深い森の中で迷子にならぬよう必死に道をたずねてきたという自負はある。

しかしそれとは正反対の、最先端の流行りを嗅ぎつけ、その波に乗って生きる人にも、驚嘆にも似た敬意を覚える。常に最も新しくなければならないのだとすれば、その道を歩くのに必要な精力は膨大なものになるでしょう。生命を削って新しくあるのだと言い得るかもしれない。

生きるのは「ゆるくない」ことだ。北海道弁で思った次第であります。

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