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論文博士への道

※私一個の経験した狭い範囲のことを書きます。どうかそのつもりでお読みください。

令和四年、還暦を過ぎて学位請求論文を提出し、審査を受けて博士号を取得しました。科学技術・学術政策研究所の出した資料を見ると、博士号取得者に対する論文博士の割合は年年低下しつつあるとのことです。学位取得が遅くなったのは身の不敏というだけのことですが、おかげで少数派としての経験をすることにもなりました。あるいはどなたかの役に立つかもしれないと考え、ここに学位取得までの経過を略述します。

1.前提条件

1-1.研究を継続すること

学位論文は一から書くものではなく、既発表の、ということは査読を経て発表した論文をまとめ上げて構成するものです。必ずしもトップジャーナルである必要はないので、ピアレビューを経たものであることが大事です。私が審査を受けた北海道大学大学院文学院(北大文学部と略記します)の博士論文では慣習的に論文10本程度のボリュームを要求します。
また職歴として研究職にあることが有利です。審査時提出書類の中に研究歴の証明書があります。私が勤める国立高専は教育研究機関ですので、校長名の証明を出してもらいました。研究職にない人がどうするのか、私にはよくわかりません。大学の研究生として研究歴を積むなどのことが必要なのかと想像します。

1-2.講座との繋がりを継続すること

トップジャーナルに何本も書いた人なら違うかもしれませんが、普通は顔見知りの大学の先生に審査を依頼するでしょうし、それは多くの場合、出身講座の先生ということになるでしょう。卒業あるいは単位修得退学後、学位論文提出までの期間、講座との間に人的関係を維持するのには多少の労力が必要ですが、ことをスムーズに運ぶには結局それが早道です。出身講座を離れた人でも、研究拠点とする大学というものがあると思います。
人的関係を維持するとは盆暮れの贈答を欠かさない、といったことではなく、講座の支援を受けつつ継続的に研究、発表するということです。それが必然的に業績の蓄積にもなります。

1-3.家族の諒解を得ておくこと

具体的には後述しますが論文を提出するにも審査を受けるにも、いくばくかのお金が必要です。私の勤務校では全額自弁でしたが、場合によっては職場が支援してくれるかもしれません。事務担当者に確認してください。
さいわい家内は「お金の心配は無用だから、とっとと博論書きなさい」という姿勢でいてくれました。ありがたいことです。

2.執筆

2-1.構想

出身講座である北大文学部中国文化論研究室(北大中哲と略記します)の恩師が、山際君も業績は貯まったんだから学位論文を書きなさい、と声をかけてくださいました。そこから筆が動き出すまで、結局七八年もかかってしまったのですが、頭の中では常に構想を練り続けていました。
旧稿をどうまとめ上げるか、頭の中の見取り図は慎重に作るのが良いと思います。
戦線を拡大するだけの能力は無いので若いころからずっと張載の思想についてばかり調査してきました。学位論文をまとめるに当っては却ってそれがさいわいして、テーマを決めるのに苦労する必要はありませんでした。多彩な研究をしてきた人でも何か一つ大きな括りは見つけられることでしょう。

2-2.執筆

令和四年一月、執筆を開始しました。なぜここで取りかかる気になったのか、自分でも完全にはわかりません。かなり労力のかかる仕事であることは明白ですから、何か内面的に撃鉄が落ちるような動きがあったのでしょう。一つ思い当ることを挙げると、前年十二月に満六十歳となり、自分に残された時間がそう長くはないことを意識せざるを得なくなったのだとは思われます。
旧稿をまとめると言っても、単純に並べれば済むというものではありません。記述の重複は削除するし、不足は新たに稿を起すことになります。また一本の学位論文として記述の体裁を統一する必要があります。多くの部分はコピー&ペーストではなく、旧稿を目視しつつ新たに入力しました。集中の持続が必要な作業であり、勤務校が春休みに入る時期だから可能であったのだと思います。
執筆にはegword Universal 2を使いました。内容が中国古典思想ですから使う漢字は常用漢字あるいはJIS第二水準などでは話にならず、Adobe Japanグリフセットにフルアクセスできなくてはならない。かつ縦書きでなくては格好がつかない。そのためegwordにヒラギノ明朝ProNで入力するのが私の常用環境であり、学位論文もその環境で入力しました。A4横置き、11ポイント、この時点ではさほどレイアウトに凝ることはなく、読みづらくならないことを優先して版面の構成を考えました。

3.提出まで

3-1.講座とのやりとり

さきほど論文10本程度のボリュームと書きましたが、別の言い方をすれば原稿用紙で400枚ということです。執筆にかかって二ヶ月足らず、三月中旬あたりで、テキスト文字数が確実に160,000字を越えることがわかり、この分量なら学位を請求しても恥ずかしくないと判断して北大中哲に打診のメールを送りました。恩師は既に退休しておいでですが、現役の先生方とは旧知の間柄ですから、審査承諾の返事をいただくのに時間はかかりませんでした。
学位論文審査は労力を要する業務になりますが、学位授与は学部にとって、また講座にとって業績になることですから、信頼関係さえ保ってあれば承諾を得るのは難しくないはずです。前述の、繋がりを継続しておくということの意味がここにあります。

3-2.学部とのやりとり

次いで文学部事務にメールで照会し、事務担当者に渡りをつけました。きょうびのことですから、大事なやりとりこそ電話ではなく記録の残るメールが推奨されるようです。
担当から学位請求の要項、必要書類とともに、学位授与時期の一覧を送ってもらいました。北大文学部の場合、学位授与は6月、9月、12月、3月と決っています。この時点で6月は締切済みでした。また講座の先生から、3月は課程博士の論文審査と重なるので避けてほしいと言われました。急いで作業すれば9月授与に間に合わないこともないが、焦ると碌なことはない。12月授与を目指して7月末提出という日程にしました。論文博士は課程博士に比べて審査に時間がかかるとのことです。

3-3.提出準備

五月中ごろ、ひととおり書き上げた時点で20万字を少し超えました。旧稿が15万字ほど、新たに書いた部分が5万字ばかりになりました。推敲に取りかかるとともに、必要書類の準備を始めました。「学位申請書」「履歴書」「論文目録」(学位論文に用いた発表済み論文の題目一覧。同時に抜刷も必要になります)「学位記記載事項調査書」(氏名の表記確認)先述の「研究歴証明書」そしてインターネット公開に関する意向調査書を作成、印刷します。
博士論文は刊行義務があるのですが、大学のリポジトリに公開することで刊行に代えることができます。逆に書籍として刊行する意向があるならリポジトリでの公開は保留してもらう必要があります。今このnoteを書いている時点で出版社等は未定ですが、刊行するつもりなので、その旨に沿って書類を作りました。併せて(学位請求手続とは違う話になりますが)或る出版社に連絡して刊行経費の見積りを出してもらいました。

3-4.仮製本作成

六月中ごろ、推敲の目鼻がついたところで審査時提出用仮製本の準備に入りました。A4およそ150枚、これを5冊作成します。講座によってはデータだけでも受理する場合があるようですが、北大中哲からは冊子を4冊提出するよう求められました。出力はレーザプリンタがあればどうということも無いのですが、製本にはちょっと手間がかかります。多少は腕に覚えがあるので製本セットを買って五千円くらいで済ませようかとも考えたのですが、やはり不体裁にはしたくないので、職場で付き合いのある印刷業者に頼んで製本してもらいました。22,000円かかりました。表紙に表題を刷り込んでもらうこともできたのですが、自分でラベル用紙を買ってきて題簽にしました。北大生協に持ち込めば、もっと安く済むようです。北大に限らず大学の近辺なら、こういう仕事に慣れた印刷所がきっとあることでしょう。


自分で題簽を貼った仮製本

データも提出しますので、PDFに書き出したものをUSBスティックメモリにコピーしました。egwordなどではなくMS Wordなど汎用性のあるソフトで作成したなら、そのまま提出できるでしょう。結局、後で講座の先生から求められて標準テキストに書き出したものをメールで送ることになりました。汎用性の無いソフトはこうした点では面倒臭いことになります。

3-5.提出

単位修得退学者が退学後所定の期間内(確か一年以内)に学位論文を提出した場合は課程博士の審査と同等の扱いになり、手数料無しで審査を受けられます。その期間を超過すると手数料が必要になります。北大文学部の学位審査手数料は18万円、卒業生なら9万円です。古い話ですが私が学部生だった頃の授業料が年額18万円でした。
大学から振込用紙を送ってもらい、必ず郵便局の窓口で振り込み、用紙から切り離した領収証を受け取って、これを台紙に貼って提出します。ATMではいけません。
七月末、仮製本4冊、データ、旧稿の抜刷に必要書類をまとめてゆうパックで送付し、八月上旬、受領の知らせを受けました。

4.審査

4-1.口頭試問まで

送付後は基本的に先方の言うなりに動くことになります。北大中哲からは、
・九月下旬の教授会で論文受理報告、審査委員会設置
・十月下旬、口頭試問
・十一月下旬の教授会で審査結果報告、可否の審議
・順調に行けば十二月授与
という予定を知らされました。
審査委員は講座が決めるものですが、最初に相談した時点で、外部副査として恩師に参加していただく運びとなり、失礼の無いよう予め手紙で内諾を得ておきました。主査は講座の主任、副査は講座の先生および他講座の先生(専門を異にする教員にも加わってもらう慣例だそうです)そして恩師、計四名の先生から審査を受けます。
口頭試問まで折を見て読み直しました。自分が入力した原稿、しかも提出前に何度も推敲した原稿なのに、ちょっと時間が経ってから読み直すと驚くような打ち間違い、変換ミスを見つけたりします。焦って審査に持ち込まないで良かったと思います。

4-2.口頭試問

十月下旬、北大文学部で口頭試問を受けました。先に研究の概要を述べ、次いで各審査委員からの質問を受けます。こちらが高齢ですから油汗かくまで絞られるということもなく、平穏に終えられたと思います。とはいえ先生方それぞれに丹念に読んで、要改善点をたくさん指摘してくださいました。ありがたいことです。

4-3.上製本の準備

学位授与と決定した場合、授与の前月末までに上製本を提出する必要があります。十一月下旬の決定を待って用意したのでは間に合わない。この点について文学部に照会し、実際には審査委員会の判定が教授会で覆ることはまず無いので委員会の内示が出たらすぐに用意してくれという回答を得ました。
口頭試問終了直後さっそく合格と答申すると教えていただいて、苫小牧に戻ると直ちに印刷業者と打合せに入りました。
A4横置き片面印刷では体裁が良くないのでデータをInDesignに流し込んでA5縦置き、両面印刷になるようにレイアウトを直しました。この作業は八月中にあらかた済ませておきました。今回は印刷から全て業者に依頼しました。糸かがりで綴じ、黒のハードカバー。題名、著者名は背表紙に金文字で入れてもらいます。5部作成で約25万円(プラス税)かかりました。データ渡しから納入まで一ヶ月近く。自分で印刷したものを北大生協に持ち込んでホチキス綴じにハードカバーをかけてもらうなら、料金も納期も、かなり手軽になるようです。

上製本は大学図書館に保存されます

4-4.授与決定

十一月下旬金曜日の夕方、教授会で学位授与と決定したとの連絡を受けました。週明けの月曜日には上製本が届き、すぐにレターパックで北大文学部宛送付しました。

5.授与

5-1.公開用データの送付

先述の通り学位論文は大学のリポジトリで公開されます。授与決定となったところで公開用のデータを提出します。ちょっと扱いに不便でも表記の正確性を保ちたいのでInDesignからPDFに書き出したデータを提出しました。メールに添付するにはデータ量が大きすぎるので、クラウドドライブの共有機能を利用しました。
これも先述の通り、刊行予定がある場合は公開を保留することもできますが、その場合は論文要旨を別途作成して提出することになります。先回りして七月末に作成しておきました。こちらに関しては正確性よりも利便性の方が大事だと思い、MS Wordで作成し、メール添付で提出しました。

5-2.授与式

十二月下旬、北大文学部で学位授与式が行なわれました。今回、授与されるのは私だけで、式は文学部小会議室でこぢんまりと挙行されました。大学の公式行事ではなく文学部の独自行事という扱いだそうですが、主査、文学部教務課長、文学部事務長立会いの下、モーニング姿に威儀を正した文学院長から学位記を授与されました。
同時に事務から学位授与証明書を出してもらいました。事後でも必要ならば簡単に発行してもらえるのですが、どうせならこの機会にと3枚、発行してもらいました。

6.学位取得後

6-1.職場への報告

所持する学位に応じて職場での待遇に変化が生じます。若い人なら給与増もあり得るでしょう。私は高齢だからもう関係ありませんが。
事務担当者に確認してください。ちなみに審査手数料を納めて学位を取得した場合、学歴は単位修得退学のままで、博士課程修了への変更とはなりません。
またresearchmapの更新、職員録の修正等、細かいことがいくつかあります。気がついたらそのつど手を入れましょう。

6-2.刊行

先述の通り、現時点で何も決まっていません。学術振興会の研究成果公開促進経費を得て刊行できることを希望しています。(令和6年4月附記:学術振興会の助成が内定しました。今年末の刊行を目指して作業中です)

あとがき

零戦の堀越二郎さんは還暦近くなってから博士を取ったそうです。ヒコーキ博士こと佐貫亦男さんが、学位取得などという面倒なことは若いうちに済ませておくべきもので、堀越さんは年取ってからよくやったものだと書いておいでです。
堀越さんにどういう動機があったのか、余人にはわかりません。私の場合は研究を表看板にして生きて来たのが、お遊びではなかったのだと証明しておきたかった、といった動機が働いたように感じます。自分の存在証明をしておきたかった、あるいは人生に関わってくださった皆様への恩返しとも言い得るでしょう。
根気と周囲からのちょっとした後押しとがあれば、私みたいな鈍臭い研究者でも学位取得は可能です。有志の皆様に、そうした好機が訪れますよう祈念致します。

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