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「2001年」断想

この文章と同時期、Facebookに投稿した「2001年」関連の文章をまとめておきます。


今昔の感

小説『2001年宇宙の旅』第17章、ディスカバリー号の日課を描く場面。
"Bowman would attend to his toilet, and do his isometric exercises, before settling down to breakfast and the morning's radio-fax edition of the World Times."
伊藤典夫さんの旧訳:
“顔を洗うとか、そういった雑用を終えると、ボーマンは朝食のテーブルにつき、ワールド・タイムズ紙のレディオファックス版を読みはじめる。”
同じ伊藤さんの新訳:
“顔を洗い、トイレに行き、アイソメトリック運動をすませたところで、朝食のテーブルにつき、ワールド・タイムズ紙の今朝の電送版に目を通す。”
昭和43年の時点で伊藤さんがアイソメトリック運動を知らなかったことがわかります。伊藤さんが知らないなら、ほとんどの日本人は知らなかったはずです。調べても探し当てられなかったのでしょう。
半世紀後、特殊な語彙ではなくなったし、かりに知らないのなら検索すれば良い。
今昔の感に堪えません。

(平成31年1月31日)

まぼろしのシナリオ

HALとの戦いに勝利したものの、デイビッド・ボーマンは大変な状況に置かれました。ざっと10億キロ以内には誰もいない。ちょっと類のない孤独な状況です。そんな中でどうやって正気を保ち任務を継続するか。「人間ドラマ」にフォーカスするなら力を入れて描写するところであり得る。しかしあの映画ではバッサリ省略しました。ミニマムなストーリーを語ることに徹する姿勢の現れと言って良さそうです。
ところが——昔なにかの雑誌で見た書き起しシナリオに、この部分の記述が有ったのです。「ボーマンが電子キーボードを演奏して孤独を紛らす」というト書きがあったことを記憶します。そして映画のディスカバリー号にもキーボードは設置してあります。
あの書き起しシナリオは何だったのだろう。ひょっとして書き起しではなく、MGMからプレス宛、初期シナリオでも配布されたのか。事情がわかるなら知りたいものです。

(平成31年2月2日)

追記:Kubrick Blogの記事を見て、このシナリオは「キネマ旬報臨時増刊 世界SF映画大鑑」(昭和44年刊)に載った田山力哉さん採録のもの、おそらくは決定版(公開用)以前の試写フィルムに基づくものらしいこと、キーボードの演奏は船内生活のシークエンスにありHALとの戦いの後というのは私の記憶違いであったことがわかりました。Kubirck Blogさんに感謝申し上げます。(令和6年3月)

ストーリーテリング

ディスカバリー号は木星系でモノリスと遭遇する。理屈から考えるとここに大きな困難が生ずるのではないか。
人類は木星系のどこに何があるのかということは知らない。全長2kmの巨大構造物とはいえ、半径ざっと2000万kmの広大な木星系で探し当てるのは、真っ暗な運動場に落ちた黒いごま粒をつまみ上げるよりも遥かに難しそうです。『2010年宇宙の旅』では、木星-イオ系のL1点にモノリスが遊弋する、という設定を追加しましたが、発見困難という点では五十歩百歩でしょう。
発見した後はランデブーしなくてはならない。宇宙船の進路は軌道力学に支配されます。ミレニアム・ファルコン号のように宇宙空間でインメルマン・ターンをキメるというわけにはゆかない。
甚だ御都合主義ながら「木星への接近途中で運良くイオのL1点にあるモノリスを発見した」という前提で考えても、
・木星でスイングバイしてイオへ向い
・イオでスイングバイして遷移軌道に入り
・L1点で姿勢制御、速度調整
考えただけでも面倒くさい操船が必要になる。しかも既にHALは沈黙し、地球との交信所要時間も片道50分ほどかかる状態なのだから、ボーマンは一人でなにもかもこなさなくてはならない。
映画ではこのあたりに一切触れません。観客が「木星系でモノリスに遭遇した」のだと理解すれば、それで良いわけです。
物語るとはそういうことなのだと思います。

(平成31年2月3日)

お金の価値

1965年、期間二年、600万ドルの予定で開始された「2001年宇宙の旅」の制作は結局四年後、1050万ドルで決着しました。当時既に史上最高額ではなかったとはいえ、固定相場制1ドル=360円で単純計算すると37億円余。たいへんな金額でした。
1980年代後半、ピーター・グラントはクリス・ウェルチの質問に答えて、レッド・ツェッペリンが最も稼いだのは1975年、その年の収益は概算5000万ドルだと明かしたそうです。
話半分としても、お金の価値は時間を追ってずいぶん下落するものだと思い知ります。

(平成31年2月5日)


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