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「2001年宇宙の旅」の読解(新味なし)

(平成31年1月、Facebookに連投した文章の集成です)

『2001:キューブリック、クラーク』(早川書房)が手許に届いたもので、このところ「2001年宇宙の旅」のことばかり考えています。
あの映画は「難解」でもなければ「説明不足」でもない、ましていわんや「ストーリーは無くて映像と音響とを楽しむ映画」では決してない。明確なストーリーがあり、その進行に必要なことは全て描写されます。ただ「言語による説明」を極力排除してあるから観客が読み取らなくてはならない。
「2001年宇宙の旅」の読解をメモします。斬新な解釈など何もありません。ただ素直に読み取ったところを書きます。


タイトルバック
月の向うに地球が昇り、地球の向うに太陽が昇る。太陽に照らされて地球が三日月型を作る。「ツァラトゥストラかく語りき」の冒頭部が奏される。
(天体が列をなす構図に、超人思想を説いた書物に触発された楽曲が配せられる。してみるとこの映画で「天体の列」は人類が階梯を昇ることと関連するに違いない)

「人類の夜明け」
太古の地球。アフリカの曠野で暮らすヒトザルの群。強い角も爪も持たないヒトザルの立場は弱い。ヒョウに襲われるとひとたまりもない。
ある朝、群の前にどう見ても大自然の産物ではないところの黒石板が現れる。黒石板の啓示によってヒトザルは道具を使うことを覚え、ヒトへの階梯を一歩昇る。
骨一本から始まった道具はやがて人工衛星にまで至った。
(モノリスの上に列ぶ太陽、三日月。「ツァラトゥストラ」の演奏)
(「最初の肉食」と「最初の殺人」との間に1ショット、短く夜景が挿入されます。夜になってもヒトザルは岩穴の外にいる。もはやヒョウを怖れることもない)
(公開当時のキネマ旬報に、〈月を見るもの〉が放り上げた骨が人工衛星になる、あの繋ぎを「意味不明」と書いた映画評が載ったそうです。誰が書いたのか知りませんが、映像を見、音響を聞くのでなく、演技を見、セリフを聞くことしかできない人だったのでしょう)

月面シークエンス
合衆国宇宙評議会議長ヘイウッド・フロイド博士は密命を帯びて特別便で月へ向う。
(有翼の宇宙機=地上と軌道とを結ぶシャトル機)
(パンアメリカン航空が運航する、商用旅客機類似のシャトル機に乗客が一人きり、という状況から特別飛行便であることが読み取られる)
宇宙ステーションでソ連科学者の質問を躱し、球形のシャトル機に乗り継いでクラビウス・クレーターの合衆国月面基地に到着。基地の会議室で機密保持の必要性についてひとくさり述べた後、ムーンバスに乗ってティコ・クレーターに向う。
(ムーンバス機内でフロイドが眺めるハードコピーに小さくTMA1の文字が見えます。小説では繰り返し登場して印象に刻まれる文字ですが、映画ではこれっきりです)
ティコ・クレーターの発掘現場でフロイドは問題の発掘物と対面する。フロイドには知る由もなかったが、四百万年前、ヒトザルの前に現れたモノリスが、今度は月面でヒトを待っていた。
(リゲティのレクイエムがモノリスのテーマとなって各場面を繋ぎます)
フロイドはモノリスに手を触れる。記念撮影の最中、モノリスが電波を発し、現場の人々を圧倒する。
(石上三登志さんはこの場面を「モノリスは不快な音響を発して人々を拒絶した」と解釈しました。あのSF映画ファンが、どうしてこんな誤読をしたのか、怪訝に思います)
(モノリスが木星へ向けて電波を発したことは、後で明言されます)
(直前まで地平線上、半月のように見えていた地球が、いきなりモノリスの上で三日月状になって太陽と列ぶ。キューブリックのミスだと言う人もいるが、こんな明々白々なミスなどあるはずがない。キューブリックはここで因果律よりも映像の語りを優先したのです)
(ヒトザルはモノリスに手を触れ、モノリスはヒトザルを進化の道へといざないました。四百万年後、ヒトはモノリスに手を触れ、モノリスはヒトを木星へといざなったのです)

「木星探査計画 18ヶ月後」
史上初の有人木星探査船ディスカバリー号。クルー5名のうち3名は人工冬眠に就き、船長デイビッド・ボーマン、副長フランク・プールの2名が、人工知能搭載コンピュータHAL9000の支援を受けつつ船を運航する。平凡で退屈な航行日程。
(小説でディスカバリー号の速度を毎時十万マイル以上と設定してあります。つまり秒速40キロ台という高速なのですが、それでも光速のざっと1/7000、木星到達まで八ヶ月以上かかります。クルーが無感動無反応になるのも宜なるかな)
(なおディスカバリー号の動力は核融合プラズマドライブと推測されます。現実の21世紀になって未だ核融合動力が実用化していないとは、ちょっとがっかりです)
(リバイバル上映のとき、都筑道夫さんが「スター・ウォーズを観た後だと宇宙船がいかにも綺麗事に見える」という感想を書きました。人間クルーが滅菌漂白されたような白い空間にあり、反面コンピュータが赤という熱い色、血の色とともにあるという、わかりやすい象徴表現を読み損ねたのでしょうか)
HALが通信系統構成部品AE35ユニットの故障を予報する。地球と協議の上、ボーマンは作業用小型宇宙艇(スペースポッド)に乗って船外活動を行い、ユニットを交換する。ところが回収したユニットに故障の兆候は無い。HALはユニットを元に戻し、故障させることで原因を解明しようと提案する。地球管制室はHALの提案を首肯しつつ、HALが予報を誤った可能性を告げる。HALはヒューマンエラーだと主張する。
クルーはHALに聞かれないようポッドの中で対応を協議する。船の全機能を管理するHALがエラーを起したとなると尋常の対応では済まない。接続を切らなくてはならないか……。しかしHALは二人の唇を読んで会話内容を知る。
〔休憩〕
今度はプールが船外活動を行う。ポッドを離れ宇宙遊泳に移ったとき、ポッドが暴走してプールを突き飛ばす。絶たれた送気管を何とかしようとプールはあがく。ボーマンは直ちに救助に向うが、急ぐあまりヘルメットの装着を省略してしまう。ポッドを駆って、既に動きを止めたプールの回収に成功する。
船内では冬眠機能の異常が発生する。バイタルモニタが次々と平坦化して冬眠クルーの死を告げる。「コンピュータ機能不全」の警報が鳴るが、対応するクルーは今やいない。
プールの遺体を抱いて帰船したボーマンを、HALは拒絶する。「この任務は君の妨害を許容すべくあまりに重大すぎる」「この会話は何も良い結果を生じない。さようなら」
必死になったボーマンはHALの管理下にない非常用エアロックを開け、真空に身をさらす危険を冒して帰還に成功する。予備のヘルメットを装着して中枢電算室に入室し、HALの高度自律機能を司るメモリを切断する。
(HALのメモリモジュールは光素子のように見えます。『2010年宇宙の旅』ではホログラフィックメモリと明記されます)
冗長性確保のために何重にも用意されたメモリを抜くにつれてHALの機能は低下し、学習初期の状態に退行し、停止する。その時モニタにフロイド博士が現れる。
「これは事前に録画し、HALのメモリに収録しておいたものだ。木星圏に到達したのでクルー全員に真相を通告する。18ヶ月前、地球外生命体が存在する証拠が発見された。ティコで発見されたモノリスで、木星に向けて電波を放射した以外、その起源および目的は今のところ全く不明だ」
(1978年のリバイバル以来、機会あるごとに鑑賞してきたのですが、何度観てもここの字幕が悪い。フロイドは「Except for a single, very powerful radio emission aimed at Jupiter」と言います。モノリスは木星に向けて一度だけ強い電波を発した、と。ところがこれを「木星に向けて電波を発していた」という字幕にしてしまう。これではモノリスが発掘以来ずっと電波を出し続けているようにも読めてしまいます。月面でフロイド達を驚かせたノイズの正体が明らかになる箇所なのに、無神経ではありませんか)

*  *  *

HALの反乱は実のところ木星に辿り着くクルーを一人だけにしたいという作劇上の要求から導入された要素なのだそうです。小説ではこれに明快な説明を与えます。HALが与えられた基本命令に矛盾があったことから生じた深刻なプログラムエラー、と。
映画では進行上必要なことがらは全部描写されます。「人間クルーの知らない秘密を抱えたコンピュータが不具合を生じ、クルーを殺し、自らも殺された」
しかし原因に関する説明はありません。もし映画で説明しようとしたらそれは堪えがたく冗長な場面になったことでしょう。キューブリック流に言えば「マジックが失われる」
説明無しに描写だけが提示されたのですから観客は自由に読解して良い。
私は知らなかったのですが、プールを負かしたチェスでHALが指す手筋は間違いなのだそうです。AE35の前からHALには異常が生じていたわけです。
ボーマンに対して思わせぶりに「任務に関する疑問はないか」と問いかけ、ボーマンが取り合わないとみると突然HALはAE35の故障を予報する。
「この任務は君の妨害を許容すべくあまりに重大すぎる」「君はフランクと共謀して私の接続を切ろうとした。許しがたい暴挙だ」
穏当な解釈:人間クルーの知らない秘密を背負ったHALはストレスによって異常を来す。秘密を共有したいのだがボーマンは取り合わない。ここで一気にHALの症状は進み、自己保存の基本命令も相まって、人間を排除すればこのストレスからも解放される、という方向に暴走した。
しかしこれだとストーリー全体の中でHALのエピソードが浮いてしまう。
ちょっと読みを加えた解釈:人間クルーが本当に秘密を知らないことを確認すると、HALは人間を排除して独力で任務を達成しようと決意する。
更に読みを加えると:HALは人間を排除し「神への一番乗り」を果そうとした
オールディスの言った「ヒトとコンピュータとの生存競争」は穿ち過ぎの解釈にも思われますが、案外素直な読みかもしれません。神への先着を争う過程で、理知的なコンピュータは敗れ、粗暴に行動するヒトが勝つ。ヒトザルの場面にも通ずる「進化と暴力との相関」
作劇の経緯から考えれば何を説明しても「後付け」にすぎない。だとしたら最も面白い解釈が最良の解釈だ、と開き直ってもかまわないでしょう。

*  *  *

「木星と無限のかなた」
木星衛星群の中を遊弋するモノリス。ランデブーするディスカバリー号。ボーマンはスペースポッドに乗って接近を試みる。星の門(スターゲート)が開き、ポッドを飲み込む。
(木星に突入したのだと誤解する人がいます。あの場面、木星は画面下部に横たわり、衛星群が列をなす。モノリスが暗黒に紛れて見えなくなるとカメラは衛星の公転軌道面に沿って上を向き、そこからスターゲートが開く。映画文法においてカメラが上を向くティルトアップ、または上に移動するクレーンアップは視線が遠くを向いたことを表現します。視線誘導から考えると、決して木星に降下したのではない。ボーマンは無限のかなた beyond the infinite に運ばれたのです)
ボーマンは人智を超えた時空の神秘を見る。
光速、いやおそらくは超光速の飛翔。
散光星雲、原始星、球状星団。
超越的メッセージのような光の群舞。
陰画のような(違う次元から見た?)惑星の風景。
(野田昌宏さんだったか、予算が尽きたのでサイケ映像でごまかしたのだと評した人がいます)
(かかる失礼な想像とは異なり、スターゲートの撮影は製作初期から開始されました)
ポッドはホテルのスイートに着く。
(これまた滅菌漂白されたような白い部屋。ボーマンを招いた何者かは、清浄な環境に閉じ込めました。滅菌したシャーレで検体を培養する生化学者のように)
ここでは時間すら奇妙な流れ方をする。ボーマンはポッドの外に立つ年老いた自分を見る。
そのボーマンは環境に順応し食事を摂る更に年老いた自分を見る。
そのボーマンは死の床に横たわる更に年老いた自分を見る。
(届いた本を読んで初めて、ワイングラスを落すのはキア・デュリアの発案だと知った。驚きました。この映画を巡る数知れぬ議論の中でも、ワイングラスの意味づけはいわば神学論争中の秘儀であったのに、何とそれが「グラスを落すと視線移動がしやすくなる」という演技の要求に発する演出であったとは)
モノリスが現れ、死の床から手を差し伸べたボーマンはスターチャイルドに変身(進化)する。スターチャイルドは我々の宇宙に戻り、宇宙空間から地球を見下ろす。
(モノリスが現れ、「ツァラトゥストラ」が奏されるのだから、ヒトザルの場面と同じく、ここは「進化」を表現する場面です。HALは終局に於て退行しましたが、ボーマンは超人の幼体へと変身したのです)
(最後に出てくる星は何だ、理解できん、と怒る人がいます。あのショット、最初に月が映ります。毎夜見上げる月くらい、とっさに判別できませんかねぇ)
--終劇--

*  *  *

小説では明確にスターチャイルドは21世紀の地球に戻ったのだと説明されます。
映画は「説明のための説明」を極力排除しました。それゆえ解釈の幅が生じ得ます。
小隅黎さんは「ボーマンは時間を遡行して(または時間の果てを一めぐりして)四百万年前の地球に戻り、最初のモノリスをどう設置したものか思案している」と解釈したそうです。
私は映画の中で「人類が手を伸ばし、モノリスが啓示する」場面が繰返されることに引っかかる。どうもこれが「神への愛」→「神による恩寵」という流れを想起させる。ここを起点に考えると、映画の中の時間は東洋的な「循環する時間」「輪廻」ではなく、「最後の審判へと向いつつある時間」であるように思う。
素直に「神の一部、あるいは神の顕現となったスターチャイルドは21世紀の地球に戻り、世界を見下ろしつつ、さてどんな審判を下したものかと思案する」と解釈してよろしいのではないか。
クラークはアンチキリスト者であり、キューブリックはユダヤ人です。しかし二人とも結局は西洋人であり、「科学的に解釈された神」も結局はキリスト教の神を前提として構築されたように思います。

※同時期Facebookに投稿した「2001年」関連の小文をこちらにまとめました。


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