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通夜参り

知人が亡くなつて通夜参りに行く。斎場はすぐ近くなので歩いて出向くことにした。夕方、ごく細かい雪が降るのを見て心配したが、出掛けるころには霽れた。

当地では葬儀よりも通夜への参列を大切にする。通夜は仕事の退けた刻限に始まるから行きやすい。同僚の不祝儀なら誰かが職場の香典を集めて皆の代参をするといつた真似も出来る。参列者の多くは字義通りに夜通し斎場で過すのではなく、式が終ると引き上げる。親族のみ残つて通夜振舞を受けながら線香番で夜を明かす。

近くであるから外套の中に溜めた暖気が抜けもしないうちに斎場に著いた。受付で香典を差し出し、領収書とともに紙袋に入つた香典返しを受け取る。会場の椅子に紙袋を置き、訪れる人の様子を見て過した。旧知も数多く参列するので見つけて頭を下げるのに少し神経を使ふ。その間に参列者が増え、置いてある紙袋が邪魔になるらしかつた。知人の隣席に置き直し、見張りを頼んでからまた頭を下げる仕事に戻つた。

刻限が近づくのを見計らつて席に著き、紙袋は椅子の下に押し込んだ。導師が入場し、読経が始まつた。南無阿弥陀仏を何度も唱へるのだが、時折なんまんだ、の後の、ぶ、を、低い音から声を長く引いて高い音になるまで、ぶうううううう、と唱へる。少し経つとまた、なんまんだ、ぶうううううう、が来た。警報が鳴るさまに似てゐると思つた。二日前、能登で大きな地震が起り、遠く離れたこの地でも津波警戒の防災無線が鳴つたばかりである。この世は無常だぞ気をつけろと告げられたやうでもあつた。

導師に言はれて合掌礼拝を繰返すうち、焼香になつた。当節、祭壇まで出て行くのではなく、車輪を仕込んだ台に、香炉が乗つて参列者の間を巡るのが常である。焼香ですと告げる声がしたと思つたら、やにはにシャリリパリパリリと霰がトタン屋根を打つやうな音が会場を埋めた。香炉の巡る道を開けるために、参列者が一斉に足許の紙袋を押し込んだのである。急霰はすぐに止んで、抹香の煙が立ちこめた。

読経の後に法話、導師が退場してから会葬御礼の言上があつた。故人は年末に亡くなり、棺に入つたまま自宅で年を越したさうである。家族とともに年を取るといふ慶事が、もはや年を取らぬ人の上にも訪れたことを少し不思議に思つた。

残る人以外は祭壇に出向いて再度焼香する。見送る親族に会釈して会場を後にした。斎場の玄関であらためて旧知に頭を下げてまはり、外套を著て外に出ると相変らず晴れであつた。凍つた路面に気を配りながら足早に帰宅した。

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