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コンサート

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団から抽出された来日団員のうち、まづ弦楽奏者が舞台に上がつた。指揮者はをらず、コンサートマスターの弓を合図に「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が始まつた。聴き慣れた、お馴染みの、悪く言へば通俗な曲だが、音色に一点の雑味もない。合奏の息がよく揃つて純粋な喜びがホールを満たす。歴史上最も音楽的な人物と評されるモーツァルトの面目に触れたやうな思ひで、幸福な時が流れた。

セレナードが終ると、管楽器、打楽器の奏者が合流して音合せを行なひ、日本人の女流ピアニストが登場してピアノ協奏曲第27番変ロ長調が始まる。短い序奏に続く管弦楽の提示部はやはり美しい。最後の交響曲群と同時期に書かれたといふ考証を裏づけるごとく、ジュピターと似た音型が流麗に流れ、小編成ながら充実した音色に陶酔する。

変ロ長調に戻つてピアノが主題を奏で出す。その瞬間、陶酔が醒めた。楽の音ではない、雑音が聞える。奏楽の音と共に可聴範囲の外れに近いところで、かすかなゴトゴトいふ音が聞える。音符が流麗に駆け上がると、その裏でゴトゴトが走り回る。音符がレガートでも、一音毎にゴトゴトが入るから、レガートの効果が削がれる。耳に障つて仕方がない。

一口に鍵盤楽器と言ふが、オルガンは鍵盤を押すと空気流路が開く。チェンバロは弦を弾く。ピアノはアームが動いて弦を叩く。それぞれに違ふ。ピアノの名が元は「ピアノフォルテ」つまり弱音から強音まで表情豊かに発声する楽器であるのは、この「叩く」といふ機構の賜物である。上手が叩くと珠を打ち合せるやうな清らかな音が響く。今、その機構が仇を為したか、鍵盤を叩く、ハンマーが動く、弦を叩く、過程のどこかで雑音が生じて音符につきまとふ。管弦楽の音が透明な分、ピアノの音が興ざめである。

オペラグラスで確かめると舞台上のピアノはスタンウェイである。聴き慣れたヤマハと違つてスタンウェイは機械音が持ち味なのか。まさかそんなことはあるまい。札幌コンサートホールは予算が乏しくて雑音のするピアノを更新もできないのか。そんなこともあるまい。

雑音が生じるとしたら、あとはペダルか。この曲では一音毎にペダルの踏み戻しをするのか。ヘヴィメタルのバスドラではあるまいし、そんなわけはない。

苦痛を感じつつ協奏曲、ソリストのアンコールが終り、休憩の後、コンサート後半はシュトラウス一家のワルツ、ポルカ。何も苦痛はない。楽しむ内に終幕となつた。

その夜のうちに、夏に行なはれるピアノ協奏曲演奏会の入場券を購入した。同じ会場なのだから同じピアノが使はれるであらう。ピアニストが違へば音も違ふのか。それともあの会場のあのピアノはああいふ音なのか。今は判明する日が来るのを楽しみに過してゐる。

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