教科書の挨拶

Twitterで「英語の教科書に書いてある初対面の挨拶は、まるで現代日本人が武家言葉を話すようなもので、現実には使わない」「いやそんなことはない、イギリスでは教科書通りに挨拶する」というやりとりを見た。

英語のことはよくわからないし、英語圏の事情は何も知らないが、「荒野の決闘」で、ワイアット・アープが「Howdy!」と挨拶すると、ドク・ホリデイは「Good evening!」と返す。西部対東部というだけではない、異なった環境、異文化の出会いを端的に表現した演出だと思った。

外国で幾らか経験があるのは中華圏だけである。中華圏というか漢語圏で初対面の挨拶はどんな様子だか、ちょっと考えてみた。

二十世紀の末年、つまり今から二十年余り前、清華大学の漢語老師から「日本人はしばしば初次見面、請多関照と挨拶するが、あんなの教科書の挨拶ですよ」と言われた。你好、你好で大抵片付くらしい。

しかし、その少し前から付き合いのあった、苫小牧在住の中国出身者Tさんは、初対面の挨拶には初次見面、請多多関照と言うものですよと教えてくれた。Tさんは確か日中国交正常化後、比較的早い時期の渡来者であったと記憶する。してみると改革開放政策が進展する過程で、中国人の挨拶はフランクに変容したのかもしれない。

もっと遡って、私が中国語の勉強を始めたころお世話になった、名も懐かしきリンガフォンでは、文中「人民公社」などという単語が現れ、登場人物は互いに「同志」と呼び交わしていた。当節、市中の中国人が同志という呼びかけの言葉を使うことはまず絶対にあるまい。Tさんも使わなかった。あのリンガフォンには文化大革命の余喘が保たれていたようである。

人民中国はここ四十年ほどで驚くばかり変化した。縁あって陝西省郿県という、日本人など滅多に行かない田舎に前後二度ばかり行ったが、沿海部ではない陝西省でも、町並みは呆れるほど変貌した。教科書の挨拶が置いてけぼりを食うのも不思議ではない。

言葉は伝統的な存在であり、その伝統は無条件に尊重すべきものではあるが、言葉はまた環境とともに変容する存在でもあり、環境の変容は押しとどめようもない。人間、見聞の範囲は存外狭いもので、伝統の縦糸も、環境の横糸も、すみずみ知悉できるものではないだろう。言葉に関してあまり自分の経験を踏まえて自信満満なのも考えものだと思った。


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