見出し画像

「夢華録」の覚え書き(四)

(三)からの続きです

酒楼

「正店は七十二軒」「それ以外の店は脚店と呼ぶ」というのは『東京夢華録』にも書いてあります。女は正店を持てないという掟があったかどうか、まだ調べ当てていませんが、醸造所に女を入れないという風習は西洋にもあったようです。女は月のものがあって不浄だという観念なのでしょうが、「君の名は。」にも出て来た巫女の口噛み酒もあるのだから、一概には言えないのかもしれません。

耶律氏

耶律氏は遼の国姓。漢風には劉という姓も用いました。耶律宗盛というのは架空の人物かと思われます。ドラマと同時代、遼の皇族で耶律宗政という人はいたそうです。

プロパガンダ

「芸術性の高い」ものよりも大衆向け芸能の方が生々しい政治的主張を盛り込んだりします。往年の怪獣映画やウルトラシリーズの数回など、子供心にちょっと異様な思いで観たものでした。中国の芸能は党の指導下にあるのですから、円滑な制作のためには中共中央の代弁者でなくてはなりません。張藝謀監督の「HERO」などは露骨に「統一の大義のために民族矛盾を棄却せよ」と主張する映画でありました。
このドラマの場合は「中華の女性は自立している」「中国は昔から多様性に富む」(ゆえに欧米からあれこれ言われる筋合いは無い)といったところでしょうか。

腹掛け

高慧が欧陽旭に贈ってあった腹掛けが強請のネタにされる。腹掛けとはどういうことかと調べたのだが、よくわからなかった。腹掛けは現代漢語では兜肚、宋代ころには抹胸と呼んだらしい。基本的には金太郎の腹掛けなのだが、女性の胸から腹にかけてを覆う下着として使われ、またタンクトップの衣類に似た存在でもあるようなので、それを贈るのはセクシュアルな意味合い、後朝の別れのような意味合いを持ち得る。といったところでしょうが、もう少し調べないとなりません。

展開が早い

宋引章が案外腕力が強く、またいざとなったら得物を手に相手を脅かす気概というか乱暴な一面があることは、事前に描写されていました。だから全く唐突というわけでもないのだが、それにしても沈如琢を殴り倒してから強引に証文を入手して飛び出すまでの時間が短いこと。ドラマの尺が短いばかりでなく劇中の時間経過も短い。少し前まで中華ドラマは全六十回とか七十回とか、気長に展開したものですが、今は四十回で結末まで持って行かなくてはならない。脚本家も御苦労様です。

永安楼

永安楼はもと見世物小屋であったという設定です。たぶん勾欄というやつでしょう。水滸伝第九十回、燕青が李逵と一緒に東京を見物する場面では桑家瓦という繁華街の見世物小屋が登場します。『東京夢華録』に名前の残る夜叉棚とか象棚とかいう大きな勾欄は数千人を収容したというのですから、芝居小屋というよりアミューズメントパークとでも言うべきものだったのでしょう。

員外

皇帝がお忍びで永安楼を訪れ、店の者は員外と呼びかけます。員外郎とは定員外に設けられた官職にある人の意ですが、近世以降、員外という言葉はお大尽といった意味で使われるようになりました。水滸伝ではたとえば廬俊義が廬員外と呼ばれます。

鞦韆

庭に鞦韆が欲しいと顧千帆が言います。つまりブランコなのですが、単なる子供の遊具ではない、エロティックな意味が込められる場合があります。このことについては丸谷才一さんがお書きになっている(『青い雨傘』所収「鞦韆記」)ので詳しくはそちらをどうぞ。
ただし顧千帆のセリフにエロティックな気配は無いように見えます。そもそもこのドラマは色んな「男女の仲」を描くわけですが、セックスの気配はさほど濃厚ではない。とはいえ趙盼児の女ぶりには惚れ惚れします。

鐘刑

鐘刑とて顧千帆が耳元で鐘を鳴らされる拷問を受けます。近世儒学の研究者として拷問といえば東林党への凄惨な仕打ちを思い出したりしますが、実際の手法には疎いので、本当にこういうことをやったのかどうか、詳しい方のお教えを待ちます。ところで個人的にはゴルゴ13が拷問される場面を思い出して少し可笑しくなってしまいました。オールドロックのファンとしては「聖なる館」よりも「II」の方が拷問にはふさわしいとも思いますが……まぁドラマとは無関係な話です。

「聖なる館」で拷問されるデューク東郷氏

忠僕

欧陽旭は「趙盼児に累を及ぼさぬため」に自ら西京への道を選んだはずなのだが、出発前、高慧に良い顔をしてみせ、西京で苦労するうちに趙盼児を恨み出す。性格が悪いというか、弱いことは、充分描写されていました。
しかし徳爺さんが趙盼児に欧陽旭の苦衷をきちんと伝えていたらなら、ここまでの行き違いは起らなかった。徳爺さんは欧陽家の忠僕、しかし欧陽旭にとっては不忠の家僕であったようです。欧陽旭が趙盼児に渡してくれと託したお金を横領したことを匂わせる描写もありました。
また欧陽旭が趙盼児との婚約を反故にしたのは高慧を残虐な娘だと勘違いしたからであり、その評判を生じたのは乳母江氏が高慧のためにと悪辣なことを繰り返したためだと暗示されていた。
端的に言えば全て江氏が悪いということになりかねない。
脚本家は「老いた忠僕が悪因となる」というドラマを描いたことになる。それが中共中央の、何らかの方針に適うことなのかどうか、よくわかりませんが、面白いドラマの中で作劇上の瑕瑾ではないかと思いました。
(了)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?