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日本の漫画やアニメのヒロインが『女らしさの塊』のように見えるようになってしまった

こんにちは、taigaです。
日本の誇るべき文化の一つに『漫画・アニメ』があるわけだが、今日はそれについて最近特に思うところを書いてみようと思う。

その昔は『漫画』そのものが大人から嫌われていた

1970〜80年代頃までは、日本でも漫画という文化自体がまだそれなりに歴史が浅く、大人たちはとにかく『子どもの教育に悪い』と毛嫌いしていた。少し前だとクレヨンしんちゃんが当時の大人から『下品だ』と大バッシングを受けていたのと同じ原理である(まあ確かに当時のエピソードの多くは、お世辞にも品が良いとは決して言えなかったと思うが)。

ただこれは漫画やアニメに限った話ではなく、『人間は新しいものには抵抗があり、まずは否定・拒絶から入る』という原則があるので、仕方ないとも言える。

ここ数十年で時代は変わり、どんどん漫画に対する偏見がなくなった。
日本ではもはや漫画・アニメは世界に誇れる立派な一つの文化として確立され、現在、日本社会の日常はこれらで埋め尽くされている。

そんな僕も、親からは「漫画を読み過ぎると頭に良くないので注意しなさい」とか小言を言われながらも、さすがに取り上げられることまではなく、月並みの子供と同じように、子どもの頃から漫画・アニメなどに触れて育った。

当時の僕は典型的な『可愛らしい女性キャラ』が好きだった

僕は今でこそ、男女平等や女性の権利などを中心に発信しているが、まずは正直に言おう。

昔の僕は、漫画の女性キャラではおっとり可愛らしいヒロインが好きだった。
もっと言うと『ふわふわして、天然で、でも芯があって、凛々しい時もあって』まさに絵に描いたような女性らしいヒロインが好きだった。

ちょっとえっちなサービスシーンがあっても、「何見てんのよ変態!」と往復ビンタする女キャラよりも、「えっ、あのっ、すみません〜!」と恥ずかしがる女キャラの方が好きだった。

なので
ツンデレ女や気の強い女キャラを見ると正直『ウゼエな』と思っていた。
自立した女よりも適度に依存してくる女の方が可愛らしく見えたのだ。

僕の当時の性癖を、具体例を挙げて晒してみよう。
漫画で言うと、ウルド・スクルドよりも断然ベルダンディーであり、ルーアンよりも断然シャオリンであり、ルキアよりも断然に織姫だった。

そして、ゲームにおいて永遠の論争テーマで言うところのドラクエで言うと、僕は誰がなんと言おうと絶対にフローラ派だった(ビアンカ派、すまん)。
新しい冒険の書を作る度に「今度こそ絶対ビアンカを妻にするぞ!」と心に決める。しかし何度やっても、あの瞬間に僕はやっぱりフローラを選び、ビアンカには毎回、一人で山小屋に帰って頂いていた。

こんな感じで、僕も昔は漫画・ゲームは人並みに色々嗜んだ。
もっと色々書いてみると、アンナは嫌いで、しえみは好きだった。特にビビはめちゃくちゃ好みだった。なのでビビがアラバスタ編で王女として帰還した瞬間、僕のワンピース熱はすっかり冷めてしまった。

とまあ、僕自身も日本中に生息している大多数の男性と同じように、典型的な女性らしいヒロインが好きだった。つまり、自分の意見をズバズバと言ってこない、自分を不快にさせない女子が好きだったのだ。

ドイツに来て、女性の好みがガラリと変わった

しかし僕はドイツに来て、さまざまな価値観アップデートを行った。と言うより、その多くは『恥という代償』を含んだ強制アップデートだった。

その結果、僕に何が起こったかというと『女性キャラの好みの変化』だ。

自分の意見をはっきり言うことを正義とするドイツに住むようになったことが、僕の考え方に多少は影響したからかもしれない。
少しずつ僕は『おっとりとか弱く、自分の意見を言わず、夢はお嫁さん』などと言う主体性のない女性キャラに対して、虫唾が走るようになっていった。

・なぜこの女キャラはモジモジするだけで自分の意見を言わないのか?
・そもそも自分の意見など持ち合わせていないのか?
・それとも『そうやって自信なく振る舞っている方が男が喜ぶから』そうしているのか?

僕は、このように考えるようになっていった。

逆に、自分の意見をはっきりと言い、相手に依存せず、自分の仕事を全うして生きる女性の方が輝いて見え、いつしかそういう気の強いヒロインの方がよっぽど魅力的に見えるようになっていた。

そう、いつの日か、桜よりも断然に凛になったのだ。

日本では今でも『女らしさの塊』のヒロインが圧倒的な人気を誇っている

最近ひどく実感していることなのだが、日本の漫画・アニメでは、今でも『おっとり可愛らしい、自分の意見をあまり言わない、物静かだが芯の強い大和撫子のような女の子』がヒロインとして登場することが多い。

また、たとえヒロインでなくともスポットライトの当たる人気の女性キャラは、僕らに不快感を与えない、我が強くない、大人しくて、でも聖母のように時には傷ついた主人公を癒してくれるように上手く設計されている。多くの女性キャラはここに属していると僕は思う。

つまり『Weiblichkeit(女性らしさ)』を極限まで詰め込んだような『オンナらしさの塊』みたいな女性キャラが非常に多いということだ。

これに関しては、諸外国の知人・友人に聞いても「いやホンマそれな」という答えが返ってくる。

確かに、僕で言うとビビのように、好みの女性キャラがいなくなったから読まなくなった、というパターンは誰にでもあるだろう。
だからこそだ。『少年漫画だから、売れるためには男ウケする女性キャラを入れておく必要がある』と思う人がいるかもしれないが、それが『いやまさにそれな』なのだ。

日本ではまさに今でも『ジェンダーステレオタイプの典型的な女性』こそが『理想的な女性』として扱われているのだ。

日本の漫画では、まるで女性が『一人では何もできない』ように描かれている気がする

『おとなしい女の子』や『ツンデレ女子』という言葉自体は、ただの属性だ。
だが、日本の漫画の『定番の見せ場の演出の1つ』として、僕自身、個人的にゾッとしてしまうようになったのが、このようなシーンだ。

ピンチになると女性キャラは必ず主人公に「助けて・・・」と涙ながらに助けを求め、悪が倒されると「ありがとう・・・」と涙を流して喜ぶ。

これは、高い能力を持つ強いヒロインだろうと、一般人のか弱い幼馴染みヒロインだろうと、なぜか一律に起こる現象だ。
そしてそのエピソードの締めは、半ページぶち抜きで、夕日の下で泣き笑いして主人公に感謝するヒロインがお約束だ。

僕も昔は「いやあ〜ハッピーエンドだ、めでたしめでたし」と思っていた。
しかし、僕が最近感じている違和感がある。

もしかすると僕らは『結局女性は男性がいないと何も解決できない』というようなメッセージを気軽な漫画・アニメというメディアを媒体を通じて、無意識に刷り込まれてはいないだろうか?

もちろん圧倒的に強い女キャラもいるし、逆に男の友情や男キャラという場合も『決してないことはない』のだが、涙ながらに「お願い・・・」と懇願され、「ありがとう・・・」と感謝されるシーンは、圧倒的に女性キャラ側に役割が振られていると僕は思っている。

まとめ

というわけで今日の話を締めようと思うが、僕は日本人の好みを全否定したいわけではないと強調しておく。僕自身も昔はまさにそうだったからだ。

しかし、漫画やアニメという、日常的に目に触れる機会がかなり多いメディアで『女が助けを求める』『男がそれに応える』『女が泣いて感謝をする』という構図が繰り返し行われている気がする。
つまり、どうしてもジェンダーステレオタイプ・性別役割分担がねっとりと日本のメディアに根付いている気がしてならないのだ。

スポットライトの当たるヒロイン達は、僕らを『気持ちよくさせるため』に上手く設計されている。少年漫画であればヒロインは高校生ぐらいの女の子が多いが、既に齢16歳とかで『女としての魅力、母としての癒し』という属性をプログラミングされているのだ(逆に16歳の男キャラが『父親らしさ』をインプットされていることはほぼない)。

もちろん本件は僕たちだけの話ではなく、逆に男キャラのいっぱい出てくる女性向きの作品にも全く同じ原理が働く(漫画やアニメの男性キャラの多くはイケメンで背が高く、金持ちで頭も良い)。

確かに、僕らは男女問わずエンターテインメントとして漫画を読んでいるし、そこに夢を見たいに決まっている。だが、典型的な女性らしさ・男性らしさをてんこ盛りに兼ね備えたキャラクターが日本社会の日常に溢れすぎているのだ。

だから皆、段々とこの日常に麻痺していき、漫画のキャラを架空のフィクションだと捉えることができず『男はこうあるべき』『女はこうあるべき』と思わせてしまいがちなのが、日本の漫画やアニメの闇なんじゃないか、と僕は感じている。

メーテルや朝倉南はこの世のどこを探してもいないし、承太郎やケンシロウのようなイケメンも現実には存在しないのだ。

最後になるが、与太話を少し。
昨年、僕はスマホで初めてドラクエ5を購入して久しぶりにプレイしてみた。かつてのDS版からの移植だったようで、デボラという新キャラが3人目の妻候補として登場していた。
目新しいものが好きな僕は、フローラかビアンカ論争は横に置いて(ビアンカは元々僕の好みではなかったが、もはや今の僕はフローラすらも好みではなくなったので)、僕は迷わずデボラを妻にした。

結果から言うと、大正解だった。彼女はツンデレというより、もはや女王様タイプの女性だったが、典型的な女性キャラのように魔法に頼らず、比較的パワーもあり、ステータス面でも強い女性だった。
子ども達の髪の色は黒になるので、特に息子はドット絵ではまるで悟空のようになってしまったが、久々のドラクエ、とても楽しくプレイすることができた。

もしかしたら当時のゲーム制作陣が『今の世の中、強い女性も入れるべきだ』と言う意向で追加されたキャラなのであろうか?もしそうであれば、時代の流れに合わせた良いリメイクだなと、僕は思っている。

この記事を最後までお読み下さいましてありがとうございました。 これからも皆さんにとって興味深い内容・役立つ情報を書いて更新していきますので、今後ともどうぞよろしくお願い致します。