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目を背けたかった過去を、全肯定する。


“弱い大人”が好きだ。

人は誰もが弱い部分を持っているけれど、多くの人がその弱さを見せずに生きている。でもたまに、弱さ(繊細さ)が自然と滲み出ている人がいる。そういう人は、簡単に消化できないような過去を持っていることが多い。そして人一倍、他の誰かの痛みにも敏感だったりする。

noteで文章を書くようになったせいか、最近は過去を振り返ることが多くなった。生きてきた日々を見渡してみると、ところどころで自分の弱さが顔を出している。目を覆いたくなる瞬間もある。

あの頃の自分は何をしていたのか。物事を深く考えず、その本質もつかめず、楽な方に流されながら、間違った努力を繰り返していたのではないかと思ってしまうこともある。そうなると、あの時うまくああやっていれば、今もっとあれがこうでそうなっていたかもしれないといった“たられば”が頭をぐるぐる回り始める。

それでも、思う。

ある程度長く生きてきて、ふと後ろを振り返った時に見える景色が、ネガティブなことで埋め尽くされているように感じたとしても、それはそれで、その人だけにしか歩めない、ただひとつの人生だ。

寄り道した。遠回りした。失敗した。諦めた。傷ついた。要領が悪かった。自分の弱さに負けた。人よりも頑張らなかった。現実逃避した。その結果として今の自分があるとしても、私は私で、あなたはあなただ。

これは、ソラリアプラザというファッションビルの2004年夏のポスター。コピーには「かなしい思い出とかも持っている人になりたい」と入っていて、ビジュアルは「ひと夏の切ない恋」を想起させるような一人きりの海。苦しんだ悲しんだ失敗した経験が、心を豊かにしてくれるってことを言いたいのだと思う。「素敵な夏の思い出をつくろう!」や「青春しようぜ!」のような、ありがちな軽いフレーズとは全然違う。ファッションビルというポジティブな場所なのに、憂いや切なさを含んでいる。

無駄で無意味に見えるネガティブな過去は意味のあるものだった。他の誰でもない自分の人生には必要なプロセスだった。いずれそう思えるようになる時がくると信じて生きている方がいい。過去の自分を曳下し続けるよりはずっといい。

時には、誰かと比べてしまって、吸い込まれそうになることもある。たいていの場合、多くの人間が無意識に従っている価値観やモノサシにとらわれている。比べない方が難しいけれど、そういう時、自分はこういうふうに考える。

誰かと比較できるような人生より、誰とも比較できない人生にしよう、と。弱かったこと、悲しいこと、うまくいかないことの経験が、自分だけの人生を形づくっていくんだ、と。

過去と向き合う方法として、「言語化」は効果的だと思う。

「書く」ことで、万年雪のような冷たいものが溶け出す。心につっかえていた、歪な形をしたもの、ぼやっとしていてとらえようがないもの、触れ方がわからないものなどが少しずつ整理されていくような気がする。

そもそも、心を重くしているのは、散らかっている状態そのものだったりする。悩みを誰かに話したら心が安らぐのも、話しながら頭が整理されていっているからだ。

弱さもネガティブな過去も一緒に連れて、自分だけの生き方をしよう。そんな意識で一日一日を踏みしめていけばいいと思う。早かれ遅かれ誰もが平等に死ぬ。いつかこの世界に別れを告げる時、「生まれてきてよかった」と少しでも思えればハッピーエンドではないかなあ。


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