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かわいい自分にだって旅をさせたい。映画「あん」を観て。(2765文字)



 

2015年、ドリアン助川さんの同名小説を河瀨直美監督が映画化した「あん」
(※ここからのあらすじにネタバレ含みます)


 ある春、刑務所で刑期を終えた主人公が営むどら焼き屋に、年配女性(トクエさん)がやってくる。
「私は50年餡を作ってきた。時給は300円だっていい。とにかくここで働かせてくれないかしら」

  トクエさんはどら焼き屋で働くことを強く所望し、後日タッパーにいれた手製の餡まで持参する。
主人公はそんな懸命なトクエさんを冷たくあしらい、もらった餡も一度は捨ててしまうが、やっぱり気になり、ひとくち味見。食べてみるとその美味しさに驚き目を見張る。
そうしてその後トクエさんにお願いし、お店を手伝ってもらうこととなる。
トクエさん渾身の絶品餡のおかげで、その後どら焼き屋は大繁盛。

 店が順調だったそんな矢先にトクエさんが店主にも隠していた秘密が明るみに出る。
トクエさんは、ハンセン病患者の隔離施設から店まで通っていたのだった。

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 ハンセン病は歴史上長い間、病気への理解や治療法が確立しておらず、「恐ろしい伝染病」として、人々から患者に対する過剰すぎるほどの差別があった。
日本でも、患者は社会から「療養所」という名の施設に強制隔離。
一部施設を除けば出産も許されず、社会とも断絶され、強制的に自由が奪われてきたという。
それでも施設ができるまではどこにも居場所がなく、村を追われ、ひっそり身を潜めるように暮らされてきた方も多かったというからどちらにせよ辛い。
現在となっては、ハンセン病を引き起こす「らい菌」の感染力は非常に弱く、感染してもごくまれにしか発症しないことや、特効薬や治療によって完治できることがわかっているが、日本でも「らい予防法」が廃止されたのは、ごく最近の1996年のこと。


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 人生初めてのアルバイトをするトクエさんは、心底うれしそうで、一生懸命、全身全霊、身を粉にしながらも嬉々として働く。
どら焼きを買いに来るお客さんとは、まるで女子高生が青春を謳歌するかのごとく、きゃぴきゃぴと接する。
だって、トクエさんにとって働くことということは、大きな夢のひとつだったから。

トクエさんとは状況が違っても、その働く様子は自分にとっても強く共鳴を感じるものだった。

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 わたしはその日、何度目かの仕事から、心も身体もヘロヘロで自宅に戻った。
エンエン泣きながら、その日あったことを家族に話す。
ひとしきり話すとたちまちすっきりし、「また心新たにがんばろう」と涙と鼻水でびしょびしょの顔をふいていた。

すると突然、

「ビックニュース!」と夫の明るい声。


何かと思えば、駐日中国大使館の発表で、「(※)現在有効な居留許可証をもっていれば、9月1日からビザ申請を受け付ける」という。
(※)PCR検査や入国後の14日間の隔離措置は義務付けの見通し。~リンク先8月22日付日経新聞
 今年3月から、観光旅行のビザ免除処置はもちろん、他のビザや居留許可証をもっていても、外国人は原則入国禁止になっていたからだった。


あんなに戻りたかった上海の自宅に戻る日が、突如現実となってグンと近づいてきた。


 嬉しそうな夫とは対照的に、私はすんなりとは受けとめられなかった。
さっきすっきり整ったばかりの気持ちに、またザワザワとモザイクがかかる。
一人お風呂場へ向かい、シャワーの水を顔にザーザー浴びながら、とめどなく溢れてくる涙を排水溝にザーザー流す。


「腰を落ち着けて仕事をがんばれると思った矢先に、また白紙に戻るのか」


そう思ったら、どんどん沸いてくる涙はなかなかとまらない。
 

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思ってもみなかったことに、転勤が多い夫の妻となって11年。
夫の辞令とともに、あちこちホイホイついてきて11年。
 気がつくといつからか、着実にステップアップしている夫に対して、「自分は進化できているのだろうか」と、ただ折り重なっていくように過ぎていくような日々を目の前に不安になっていた。


 

 専業主婦でも、料理や掃除の上達に成長を感じることもある。
みんなを笑顔で送り出すことができるのだって、大きな喜びであり、しあわせなこと。
それでも自分の力で稼ぎを得ていないということ負い目はずっと心のどこかに張り付いているし、
何よりわたしは、「ただの自分」として活動する時間を求めていた。


 手芸、ヨガ、英語、中国医学の勉強、コーチングも受けた。
文章だって、綴らずにはいられなかった。
そしてその全てを、没頭するほどに楽しめていたのは、没頭する何かがあることで自分の中のバランスがとれていたからだろう。

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「未経験者歓迎」の仕事は歳を重ねるごとに選べなくなっていく。
新しい土地にいくたびに、右も左もわからない新参者。
仕事についても、いつだってペーペーからスタート。


 それでも仕事をすると、自分と人、社会とのつながりが実感できる。
ちょっとずつでもできなかったことができるようになる。
臨機応変な対応だってできるようになってくる。
16歳から、アルバイトの志望動機の欄に意味も理解せぬまま書いていた「自己実現」
これも可能なのかもしれない。


 仕事をすることは大変なのと同時に沢山のしあわせがある。
カラオケや買いもの、ランチや遊園地では得られない、深い喜びがある。
深いうつわに一滴ずつ水滴が落ちていくように、ゆっくりと満たされてゆく。

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パンパンに腫れた目をしながら布団に横たわっていたら、夫がとなりに横たわって手を握った。
息子もやってきて、みんなで寝そべったらシンクロごっこをやりたくなった。
ウォーターボーイズをイメージしながら、シルヴィ・ヴァルタンをめちゃくちゃな調子で口ずさみながら、みんなで足をバタバタさせる。
自分とみんなの妙な足の動きを見ていたら、笑いが止まらない。
腹筋がひたすら痛かった。


仕事はしたい。
けれどこのかけがえのない時間があるのは、やっぱり家族そろっていられるからだ。


 仕事は外にでてするもの、対価をもらうもの。
こういった概念も近い未来に変わっていくのかもしれない。
すでに「外に働きにでる」という概念もコロナ禍によって変わりつつあるし、
お金という概念も遅からず、変わる日がくるかもしれない。
だったら雇用されることに限定せずに、母でも妻でもない、楽しみながら「個人」としての仕事ができれば良い。


「かわいい子には旅をさせよ」

息子だけでなく、夫にも、自分にだって旅をさせたい。
そうやって、確実に一歩ずつでも成長していると感じたい。
生きているかぎり確固たるものを積み重ねて、自分は進化しているのだと思いたい。


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