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インドでの迷子は、砂漠漂流のようだった。(1456文字)



2019・4月。念願かなってインド・ケララ州に一人旅。
連日のヨガとカレー三昧。
ヨガは他に生徒さんがいなかったため、毎回マンツーマン。
ホテルの人に頼めば、ヨガの先生に連絡をしてくれ、先生がバイクで迎えに来てくれる。


二日目からは早起きをし、散歩を兼ねて歩いてむかうことにした。
バイクで送ってもらった道を思い出しながら、のんびりと。

え、大丈夫?!

そう、私は方向音痴。

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順当にいけば徒歩15~20分の距離を、2時間前に出発。
散々これまで痛い目にあっておきながら、なんども無謀な挑戦をしたくなる。
そう、私はこりない女。



そのうえ空港で購入したSIMは調子がわるく、WIFI環境外では携帯が使えない。
前日のバイクでみた朧げな道の記憶と、あてにならない地図(*)、さらにあてにならない勘だより。
(*)この旅の最中ずっと頼みの綱だった地図はでたらめ。
通りの名や、場所がマイルドにまちがっている地図だったことが最終日に判明。



地図通りにいっているはずが、幾度となく
「いきどまり」

時には私有地のような場所もつきぬけて、みちなき道をいく。
インドでの迷子は、砂漠や海での漂流するように不安。

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「ハロ~」
道の向こうから、ぬるっと現れた地元民らしき男性。(*)
「海行った?イルカがいたよ~」
目もきれいなら、口にする言葉もさわやか。
(*)ここケララ州では詐欺やものごい、泥棒に一度も遭遇しなかった。


そりゃみたい。
迷っているけれど、まだ時間に余裕はある。

好奇心に任せ、波の音がする方へ行ってみる。
いるかはいない。いるかはいないが、朝活を楽しむ溌剌インド人がわんさかいた。
相撲、側転、おじさんヨガ、野外ジム、
まったりティータイム中のひとや、語らう人。とても日の出直後とは思えない。

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そうだ、こうしちゃいられない。


迷子からのビーチ。
だけど本来の目的地はヨガ教室。
朝の予定はヨガ。
行くあてのない散歩ではない。
それにしても、もう熱さと歩きすぎで、疲労。
起床とともにホテルをでてきたので、おなかもぺこぺこ。


途方に暮れながら、ボロボロになった地図を片手にいざいかん。
ときどき出会うインド人に道をきくも、なかなか英語は通じない。
地図をみせるが、「わからない」「見えない」
いくら目を凝らしても、相手の発する言葉に日本語字幕は現れない。

ヨガ開始時間は刻々とせまる。
先生の連絡先もわからない。
なんとか英語が通じる人に出会い、ざっくり方向を教えてもらう。


ざっくりでいい。精密さはいらない。
正しければ。


開始時間を10分ほどすぎ、たどりついたときには、そこが砂漠のオアシスに見えた。
「先生、今日はいっぱいシャバーサナ(お休みのポーズ)してから始めたいです」

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2時間以上あるき通しで足もくたくた。
「先生、今日はヨガしたくない」が出なかったのが奇跡。
いつも以上にへにゃへにゃになりながら、なんとか練習終了。
その日も「こんにちは赤ちゃん」がやたらすきな先生のため、一曲歌って終了。(*)
バイクでホテルまで送ってもらった。

(*)この後も毎回最後に歌うことになる。


ペッコペコでくったくた。
こころから安堵して食べる、あんなおいしい朝食はそうそうない。

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精魂尽きても、方向音痴そこまで悪くない。
*人とのコミニケーションを必要に迫られとることができる。
*目的地に着くだけで達成感。
それだけでフルマラソンを走り切ったかのような感動を覚えることもある。

いつか私と待ち合わせするとき、
やたら疲れ切って汗だくだったり、目が感動でぬれていたりするかもしれません。
その際はまた挑戦をしてきたのだと思ってください。

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