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それいいね!ぐるぐるループ自己嫌悪対策。(840文字)



思春期ほどではないけれど、もやもやすることがある。


「自分のこういうとこ嫌だな~」
ひいては、
「自分いやだな~」


ホルモンバランスの関係や疲れだとしても
それだけで片付けず、なれるもんなら穏やかに過ごしたい。

思春期なんか本当
今思い返すと、見捨てないでくれた親に感謝しかない。


「自分のこといやだな~」とか
「こういう部分嫌だなってことない?」
ないだろうな、と思いつつ
何気なく夫に相談してみる。

「一度もないな~」
やっぱりな、と思いながら
話していると、目からうろこがポロリ。
それは、


行動を反省したり、悔やんだりすることはあるけど、
自分そのものが嫌になることも、なったこともない。

ということ。つまりは
良いことも悪いことも、
自分がした行い自分は別。
という考え。
何も行動を無責任に放っているのではない。

例えば、



自分がバナナの皮を道にポイ捨てしたとする。
するとその皮で滑ってこけた人が怪我をしてしまった。


バナナの皮を捨てた=自分がしたこと。
→反省し、行動を改める。

しかし、

いつもバナナの皮を捨てる人になる必要はない。
自分はバナナの皮を捨てない、という行動も選べる。


私のときどきくる「自分嫌」は、
「自分のバナナの皮をいつも道にポイ捨てしまうところが嫌」
「そんな部分をもった自分が嫌」
だった。
けれど、夫の考え方に当てはめると、

自分=バナナを捨てる人
ではないし、
前回バナナを捨てたことを悔い改めて、捨てないという選択ができる。
なので、自分を嫌いになる必要はない。


自分にとっては、大発見。

行動は選べる。
過去じゃなくて今をみようという感じは
アドラー心理学にも似ている。


自分はずっと自分。
多少の個性くらいで
装飾も色も情報もないフラットな自分。
その自分を信頼し愛情をもって
リスペクトをもって
ゆるし寄り添う。

夫の「自分」への眼差しはそんな母性にも似たように感じた。


私もわが子のように自分に愛をもって接したい。



ちなみにバナナの皮を道にポイしたことはないし、する予定もない。



3年前にくらべて
随分空がきれいになった上海より。


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