稼いでも稼がなくても。(1070文字)
仕事してもしなくても、稼いでも稼がなくても、どっちでもいい。
それでは日本経済や社会が回らないし成長もないでしょう!
はい、イラつかないでください。
私も政治、経済のこと考えるのは好きです。
金投資未来やインフラと高齢化社会の関係についてなとご一緒にお話しいかがですか~
仕事してもしなくても、
稼いでも稼がなくても、
というのは家庭内での個人である私の話。
専業主婦に憧れた日
育児や家事に専念したかった日
海外で働けなくなった日
今後の先行きが不透明な日
どの時も、仕事をしっかりすると家庭内はうまくいかなくなると思っていた。
けれど今やっと思うことは「全ては自分次第」だということ。
【どうなりそうか、どう思われるか】
そこを気にするより、
【どうしたいか。どんな未来に向かいたいか】
そこが要。それは息子と夫と暮らすうち教わった。
作りたい、希望する未来のため、
夫婦がすれ違ったら修正し、おろそかになった育児や家事は知恵を絞る。
手を抜けるところは抜く。
心がけ次第で、どれもどうにだってなる。
長いこと私は「働く、稼ぐ」に対し必要以上に敏感だった。
満足にできないときは自分を責めた。
それはきっと、
*ただ自分を責める理由をそこに見出していたこと
*「ただ生きているまんまのわたし」を夫に承認してほしかった
もういいや。気づいたら、そんなことはどうでも良くなった。
だからこそ思う。
今自分で稼がなくても生活できているのならそれもいい。
ビーチクリーンをしたり、読み聞かせボランティアをしたり、地域のために活動してもいい。
子どもや動物のように、生きているだけで稼ぐ人の原動力になることもある。
その視点をもつと、さらなる感謝ループも生まれてくる。
稼いでいないというだけで、「ただ息しているだけですみません」そう思わなくてもいい。
貨幣を使い、経済をまわし、息して生活しているだけでも誰かの役に立っていると思えばいい。
私は稼ぐか稼がないかに関わらず仕事が好き。
(時間の切り売りではない仕事に限る)
誰かと関わって何かを生み出すことや、
成長や発見、工夫が好き。
だれかが喜んでくれる顔も、対価とていただくお金も好き。
結婚するとき「仕事バリバリやるならおれが家メインでいいよ」と言っていた夫。
洗濯も掃除も仕事も、きっちり細かくこだわりを持つ夫は今年元旦付で昇進。
「給料はそのままなのに!」漏らす彼に、
「権力と地位、金以外男が欲しいものは手に入ったじゃない!」と変な励まし方する私。
この頃の内助の功活動はもっぱら言葉で遠隔で行っている。
相変わらず私はあらかたの家事が苦手、容器に対しての見積もりも苦手。
いただいたご厚意は、今後の執筆の原動力にさせていただきます。 これからも楽しんでいただける記事を執筆できるよう 精進していきます。 今後とも応援宜しくお願い申し上げます。