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正しそうに思えることも良いこととは限らないのではないかと思うことがある

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こんにちは、旅人先生Xです。

今日は、「正しそうに思えることとの向き合い方」について書いていきたいと思います。

正しそうに思えることって、つい思考停止になりがちですが、そういうことこそ、しっかりと考えていく必要があるのではないかと感じています。

ぜひ、目を通していただけると嬉しいです。

目次は、以下の通りです。

正しそうに思えることってちょこちょこある気がする。


子どもたちに話をする時や声をかける時に「こういう時は、○○してあげるべきなのだろうな」と思うことがあります。

落ち度のある行動をしてしまったときならば、「それはいけないことだと思うけれど、どう思うかな?」と声をかける。

全体的に気になることがあったら、「こうすると良いと思うけれど、どうだろうか」と話をする。

こうしたことは、一見、正しそうに思えることです。


実際に、そうすることで行動の変容を促したり、良い影響を与えたりできることがあります。

むしろ、そういうことは多いかもしれません。

ですが、一概にそうすることが良いこととは言えないこともあるのではないかと思うのです。




正しそうに思えることが良いこととは限らないと感じるわけと私なりの対策


例えば、間違いを注意すると言ったことは、正しいことのように思えます。

実際に私も正しいことだろうと思います。


ですが、「正しいことだから」という理由で、厳格に間違いの注意を行うということをしてしまうと何だか息の詰まる雰囲気になってしまうことがある気がするのです。

正しいことをしているのだから、間違っているわけではありません。

でも、何だか「良い方法」だったとも言えない気がする時があるのです。

ではどうしたら良いのでしょうか。


先ほどの注意の例で言えば、背景や状況に応じて、柔軟に、変化を促すような応援の声をかけたり、見守ったりするという選択肢をとることも効果的なのかなと感じています。

0or100、白か黒かみたいな極端なアプローチだけではなく、その間の部分も探っていくことが、一人ひとりをよくみて関わっていくということなのかもしれません。

白か黒かみたいにパッと分からないことは、考えるのも判断するのも一苦労です。

しかしながら、その一苦労とどう向き合っていくかということは、実はとても大切なことのように私は感じています。




今回は以上になります。

お読みいただきありがとうございました。

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